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封じられた姫は覇王の手を取り翼を広げる  作者: 有沢真尋
【第六部】 征服されざる太陽
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月を呼んだ日(7)――残る者、進む者

「草原の第三王子エルドゥスが、姫と共に草原へと行くでしょう。剣鬼を食い止めてきてください。私は……」


 微笑んだまま絶句したイグニスに対し、腰かけた位置から見上げたセリスがしずかな声で言った。


「自分が二人いないのが、体が一つしかないのが辛いんですね」

「……よくおわかりで」

「草原が帝国に攻め上がるのを遅らせる為にも、あなたは隊商都市(ここ)の防衛戦に立つのが良いのではないでしょうか」


 イグニスの紺碧の瞳を見つめ、セリスもまた目を逸らさずに告げる。


「いずれ帝国で草原を迎え撃つ為の、良い経験になるのではないかと思います」


 決戦を遅らせることができても、回避することはできない。


「なるほど、姫は黒鷲の心配をしているんですね。それならあなたが残ればいい。草原のやり口がどれほど容赦ないか、その目で見ればいいんだ。サイードがイクストゥーラに向かうなら、マズバルには第一王子が……来るかな。来るだろう。エルドゥス王子が野放しなのは置いておいて、第二王子もそろそろリンダルハ攻めから凱旋する。それこそ手が空いているからと帰り道に帝国を攻撃していく線も……あああああ、なんであいつらあんなに好戦的なのかな!?」


 急に喚き出したイグニスに対し、ラスカリスとライアで「落ち着け」「落ち着いて」と声をかける。


「リンダルハにはミランダ王女がいますし、帝国(うち)から人も出しているし、そこまで簡単に落ちていると決めつけなくても」

「負けるよ!! 第二王子なんかただの野獣だっつーの。ああ、帝国が弱体化しまくっているせいで、直接攻め込まれたらあっさり負けるから、まだ戦力残している周辺国に姑息に手を回して時間稼ぎをするこの方法、いつまでも通用するわけがない!!」


 赤毛を振り乱して絶望を撒き散らすイグニスを、セリスは感心したように見て頷いた。


「なるほど。帝国はお友達作りは上手いんですね。確かにあなたもさっさとアルザイ様の懐に飛び込んで、骨身を惜しまないで働く誠意を見せて、マズバルの国力を上げるのに貢献しようとしている。直接帝国を攻められない為なら、いくらでも力を貸すという態度が徹底しているといいますか」


 がばっと身体ごと振り返ったイグニスが、力強く断言した。


「弱いんですよね、帝国。軍事力は草原の戦闘を熟知しているエルドゥス王子が増強に努めるとしても、まだ猶予が欲しい。何しろあの馬鹿王子はいまだに帝国入りしていないし、こんなところで遊んでいるし……!!」

「そうですね、まだ隊商都市(こんなところ)ですよ。草原の狙いも。帝国以前です。ここを落とせると思って狙っているわけですから、落とせなかったら痛手のはず。がんばってくださいね」


 唇に笑みを湛えて、セリスが爽やかに言い切った。

 呆然と。

 口をつぐんだイグニスであったが、素早く、ほとんど邪悪さを感じさせる笑みを浮かべた。


「がんばって、ですか。へえ。なるほど。もっと頑張れと。この私に!!」


 胸に手を当てて確認したイグニスに対し、セリスは笑顔を崩すことなく、翡翠の瞳を面白そうに見開いた。


「あなたには死なせたくないひとがいるのでしょう? 他の誰を利用し、己の手を真っ赤に染めてでも、守りたい相手が。ここでアルザイ様と共闘し、草原を潰してください。あなたが必要とする猶予を稼ぐ為には、それが最善です」

「『アルザイ様を守って』て聞こえるよ。そんなに黒鷲に心を寄せているの?」


 セリスは口を閉ざす。無言のまま、イグニスをまっすぐに見つめる。


(……言わないか)


 選んだ伴侶を覇王に導くと予言された姫君は、肝心の「誰を選んだか」を決して口にしない。

 言わずとも知れているだろうに、その心がどこにあるかは。

 昨晩、誰の腕の中にいたのか。

 思い合っているのは明らかなのに、ここから道を違えるのだ、二人は。


(アテナ。早くあなたの元に戻りたいんですけどね。泣いてません? 泣かないでくださいね。私以外のいじめに屈してはいけませんよ。皇帝なんですから。早く。馬鹿王子(エルドゥス)をあなたの元に連れて帰ってあげたいんですよ。本当に。生きるにしても死ぬにしてもあなたが必要としているのはあの男だ)


 ひとよりもよく物が見えてしまう。それゆえに、いらぬ苦労を背負う。

 絶大な後悔を振り切って、イグニスは心の奥底でただ一言詫びる。


(私もエルドゥス王子もまだ、あなたの元へ行けない)


「ところで、そちらのあなたは何者? そろそろ名乗ってはいただけませんか?」


 イグニスは視線をセリスの側に立ったままの人物に向ける。

 月の王家の銀の髪を持つ、細身の青年。

 身のこなしに隙が無い。まなざしは冷徹で、感情を表に出さぬ抑圧的な印象がある。

 顔立ちは綺麗だが、特徴らしい特徴がないのが異質ではあった。ただし、それらすべてはごく一部の者だけが抱く印象だろう。言うならば、「印象」そのものが限りなく薄い。 

 まるで影のようだ。

 月の影。


「私も姫に同行します。……アスランディア神殿からの要請もある」

「それは君が何者かを表していないよ」


 誤魔化されるつもりはないと返したイグニスに対し、ナサニエルは小さく吐息してから答えた。


「ここマズバルには我々の威信を示す建物などはありません。ただし、アスランディア神殿より上位として、いざというときには彼らを従えてきた。私はその一族に連なるもの。ただし、少し状況が変わって来た。アルスの後にアスランディア神殿に立った長殿はこの関係をひっくり返すつもりらしい。言うならば太陽を上位に。月よりも」


 諦念の滲んだ口調で独り言のように言ってから、セリスを一瞥することもなく、イグニスを見て答えた。


「草原への道は私も知っています。姫が成すべきことに尽力は惜しみません。私は月神(イクストゥーラ)の巫覡として同行します」



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