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封じられた姫は覇王の手を取り翼を広げる  作者: 有沢真尋
【第六部】 征服されざる太陽
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月を呼んだ日(6)――帝国の、見果てぬ日々

「アルザイ様が、まるでわたしがマズバルで盛大な婚礼をするかのようにわたしの名を使うということですが、ゼファード兄上もわたしがイクストゥーラにいるかのように名前を使っているんです。わたしは、動向が注目されているラムウィンドスと一緒に月へは行けません。ここにも残るつもりもありません。……草原へ行きます」


 ソファに腰かけたセリスの前で、イグニスは片膝をついたまま、微動だにせず耳を傾けていた。

 しばらく前から、一切何も言わずに口をつぐんでいる。眉をきつく寄せているせいで、やや怒っているかのように見える表情。実際、紺碧の瞳の奥には猛々しい炎があった。

 青い、炎。


「私はね、この時代この地上で一番面倒事を背負っているのはうちの陛下だと思っていたんだ。年齢はあなたと変わらない。見た目も……似たようなものかな」


 ゆるく首を傾げる。目が、一瞬セリスから逸れて遠くを見た。

 壁の向こう。遥か砂漠の彼方。灼熱の昼と冴え渡る星月夜を幾日も越えた先に聳えるは、光を湛えてキラキラと光る群青の海。都市を守り続ける堅牢な城壁。

 古き帝国の威容を誇る白亜の宮殿。

 肌に吹き付ける潮風と、頭上を飛ぶ海鳥の声。


 イグニスは、追憶を閉じ込めるように瞼を閉ざす。

 視界が一瞬にして紅蓮の業火に包まれた。

 血の赤い川が石段を流れて行き、黒い煙が立ち上り、逃げ惑う人々の背に刃は突き立てられ、豪奢な衣装に身を包んだ少女皇帝が両手を掴んで引ったてられてくる。地に膝をつかされ、細い首に振り下ろされるのは、血糊に汚れて刃こぼれした剣。


(陛下……!)


 何度も。

 何度も何度も巡る悪夢。


 イグニスは心のままに剣を持って戦うにはあまりに弱く。身体を投げ出して守ろうとしても、刃は自分の身体を刺し貫いて彼女をも串刺しにする。

 ――忠臣だな。

 嗤う男の声が耳に響いて意識は急激に暗闇に落ちて行く。


(アテナ。細い肩に幾万の民を背負うローレンシアの皇帝よ。あなたを無残に死なせたくない)


 顔を上げ、目を開ける。

 銀色の月光を閉じ込めた髪。涼やかで理知的な目元、通った鼻梁、形よく引き結ばれた唇。少年のようにも少女のようにも見える、綺麗な姫君。


(役に立ってくれる? あなたが地上にもたらすという幸運は、私の皇帝(アテナ)理想郷(アルカディア)にも届くのかな)


 イグニスはゆっくりと立ちあがった。

 物言いたげに見守っているラスカリスと、目で何かを訴えているライアに気付き、口元をほころばせる。

 心配ないよ、と。


「馬鹿王子に役に立ってもらうしかないね。私が一人でのこのこ国に帰っても、陛下はあんまり喜ばないと思うけど。仕方ないよね。壁内に入る前に、エルドゥス殿下にはやり損ねた仕事をしてきてもらおう」


 言いながら、自分の手を見下ろす。

 幻の赤い血が染みだし、夥しいほどに溢れて零れ落ち、床に届く前にかき消えた。


(すべては幻。今はまだ)

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