天何ゆえに我らを砕く(後編)
「少し身体を動かしたい。俺の相手をつとめるのは、あの月の男アーネストだ。もしおかしな動きがあれば、俺もあいつも殺して構わない。おかしな動きなどするつもりはないし、あいつにもさせないが。座って休んでいてくれ」
実に友好的に笑ってそう言い、監視を遠ざけたエルドゥス。
砂漠の陽の下、アーネストは剣を抜いて向かい合う。
草原の王子。皇帝の腹心である宰相「帝国の炎」がわざわざ探し、迎えにきた要人。その顔立ちは、純粋な草原の民とは違う。紛れもなく西方の血が出ている。おそらく故国にあっては、異端。
(王子に何ができる? どれほどの強さが)
勝気そうに炯々と輝く黒瞳。
アーネストをまっすぐに見つめ、よく通る声で告げた。
「草原にあって君主の責務とは、死にかけている民に食べ物を与え、裸の者に着るものを与え、貧しい民には富をもたらすことだ」
より良く生きる為に略奪も辞さぬ民の掟は、貧しく飢えた過去のある者の悲願。
エルドゥスは剣を天に捧げ、宣言する。
「我ら戦いと共にある民。この血塗られた剣は」
声に出さず、唇だけが誰かの名を呼んだ。
灼熱の陽を浴びたその身体から、陽炎のようなものが立ち上る。ゆらめくは、蒼い、炎。
エルドゥスが動いた。
稲妻のような鋭さで。
金属が激しくぶつかり合い、がっちりと競り合って擦れる音が響き渡る。
打ち付けられた力を受け止めながら、アーネストはエルドゥスが混じりけなしの本気であると悟った。
監視の目を逸らす為の模擬戦ではない。
全力でぶつかってきている。
アーネストの剣はかつて共に研鑽した男と同じ流れを汲む。力よりは速さ。身のこなしと洞察、判断力で躱し、斬りつけていく。対複数であれば。
一対一であれば、普段は採らない戦法のいくつかも選択肢に加わる。
力でぶつかってくる相手には、力で応じることもある。速さを身上としているとはいえ、膂力は並み居る兵に決してひけはとらない。
刃越しに視線を交わし、同時に身を引いた。そうと見せかけて二人ともすぐに二合目を打ち合わせる。
ガツンと刃こぼれするほどの衝撃を響かせ、睨み合う。
「草原へ」
ごく短く、囁く。
剣舞には程遠い、重くぶつかり合う刃越しに、エルドゥスが言った。
「姫と」
アーネストは軽く目を瞠って、剣をひいた。
姫君をさらって逃げろと唆すこの少年は、その行先までも指し示そうとしている。
動乱の国へ。
アーネストの思いをねじ伏せるように、素早く言った。
「俺も行く」
暗黒の瞳をのぞきこんだ瞬間、アーネストは言い知れぬものを感じた。
黒鷲と太陽の遺児が争奪を表明した、覇王の伴侶たる「幸福の姫君」。
故国を追われ、帝国にて再起を図ろうと言うこの少年もまた、その威光を利用しようと企てているというのか。
あの二人のどちらにも「姫に選ばれる」意味では勝てるわけがないと、エルドゥスの頭でもわかるはずなのに。
ぶつかりあった剣から伝わる純粋で強大な力が、それをぐらつかせる。
強い。
今見せている以上に、彼はずっと強い。
後の世の歴史書は彼をどのように伝えるのだろう。彼だけではなく、この時代に砂漠を統べるアルザイを、滅びの国から生き延びてきたラムウィンドスを。月の国の最後の王となるやもしれぬゼファードを。同じく、風前の灯火である帝国を率いる少女皇帝を。
滅びに囚われる古き国々を駆逐するは風は、草原から吹く。
推し量るまなざしのアーネストに、エルドゥスは実に何気なく笑って囁いた。
「俺を信じろ。共に行こう」