破滅の使者はかく語りき(後編)
そして、常にない鋭い視線をラスカリスに向ける。
「馬鹿王子は何してる」
言われたラスカリスは、ああもう、というように口元を歪めた。
「馬鹿って言うなよ」
「他に何が? あいつが隊商もサイードも潰しておかないからこのザマだ。ぜ・ん・ぶ、あいつが悪い。何もかも! 全てが!!」
目をむいて、髪を振り乱すほど激しい口調となり、手振りを交えて言い出したイグニスを前に。
えぇー……? とライアは間抜けな声を上げた。ラスカリスも右に同じという有様でげんなりとしていたが、イグニスは委細構わず独壇場を続けた。
「不愉快なんだよ。このまま私が帝国に戻ったら、マズバルもイクストゥーラも仲良く滅亡! で!? 略奪を繰り返し後顧の憂いもなくなったアルファティーマが、満を持して帝国攻略かよ!? そして千年王朝は滅びの時を迎え、この慧眼無双にして知恵才覚に恵まれ神算鬼謀の人として讃えられるはずのこの私が! まるで行く先々全部破滅に導いた災厄の使者として歴史書に名を残すことになるわけだろ!」
ぼんやりと見ていたラスカリスは「名を残せるだけ良くね? それ、異色で目立つし、なかなか悪くないぞ」と呟き、ライアは「ペラペラペラペラ自分を讃える語彙は豊富な男ね」と正直な感想を述べた。
「そもそも、だ。東西交易路は現在オアシスを繋ぐ道が主流となっているが、これは長いことまとまりなく乱立してきた都市群を一つにした『守護者』あってこその栄華だ。人が住むには適さぬこの死の砂漠を、価値あるものへと高めた宗主国マズバルの功績は大きい。一方で、気候的には恵まれ、東西を結ぶ最短の道を有する草原は、いまだに諸部族をまとめあげる英雄を輩出することなく、統一国家を築くに至っていない。もしここに大国が生まれた場合、人や物の移動が抜群に円滑となり、商業や文化も飛躍的に発展するはずだ。おそらく交易路の主流はあっさりと砂漠から草原にうつる。それでなくても、東国は近年海上の路に挑み始めていると聞くしね」
最後の「ね」は自分に向けられているのかな、とライアは「はい」と返事をしてみた。
イグニスは満足した様子で手を差し出してくる。ライアがその手に杯を差し出すと、一息に水を飲み干した。
そして、目を瞑り、天を仰ぐように喉を晒して呟いた。
「馬鹿王子……」
馬鹿馬鹿言うのやめましょ、とラスカリスが力なく進言したが、イグニスに届いた様子はない。
目を見開くと、一転、手にした杯を親の仇のように睨めつけて言った。
「オアシス諸都市の栄華を、支配者の視点でよく理解しているのはサイードだ。あの男がアルファティーマに流れたのが、間違いなく歴史の転換点になっているはず。数多の部族を、ときに力でもって押さえつけてでも国家を目指す利を説いてきただろう。遠からずアルファティーマは草原の覇者となり、東国も帝国も食らうんだ。隊商都市の失墜、月の国の滅亡、そういった一つ一つがこの流れを作る。これは今さらサイード一人殺しただけでは止められないが……」
血管が浮くほどに杯を握りしめた手から、ライアは指を一本ずつ外させて奪い取り、「サイードって人、何考えてるのかしらね」と軽い口調で言った。
「そんなに砂漠を憎んでいるのかしら。太陽の国が今もあったら、復讐の剣鬼は存在しなかった……?」
「復讐なんだろうか……あの男は『復讐』で動いているのか……?」
その時、部屋の入り口に垂れた布が揺れて、よろりと足をもつれさせながら白い衣装を身につけた人物が現れた。
あ、と叫びの形に口を開いてライアが駆け寄る。
倒れてしまうと心配したのは杞憂らしく、その脇をほっそりとした青年が抱き抱えるように支えていた。顔に見覚えはないが、青年の髪をまとめた布から、銀の髪が少しだけ見えている。
(銀……?)
いぶかしみつつも、知った顔へと声をかける。
「セリス……その」
「ライア、どうしたの?」
心配どこを吹く風、妙にさっぱりした表情で微笑まれた。
ライアはまじまじとその顔を見つめてしまった。
(今日のセリスは「少年」じゃない)
性別を偽っているとき特有の空気をまとっていない。艶やかさすら漂わせた、薫るがごとき「女」だった。確実に、何かが変わった。
それはたとえば――いま足をふらつかせた原因。昨日の晩の出来事、と考えそうになってライアは首を振った。勘ぐりなど。
セリスの身に起きた変化を探りそうになった自分に、嫌気がさした。
「イグニスさん。少し話聞かせてもらったんですけど」
一方で、気負った様子もなく、セリスはイグニスに向き直り、話し始めた。
涼やかな声はいつもと変わらない。
「歴史の流れは変えられなくても、先延ばしにできれば、アルザイ様が力を入れている地下水路事業及びエスファンド先生以下が取り組んでいる『農書』編纂も機能して、砂漠は農業生産を伸ばしていけるはずなんです。交易そのものから完全に離れることはできないでしょうが、自給自足まで持っていければ、他国の顔色をうかがう必要性も今ほどなくなります。しかも、交易路の守護者としての責務から高めた軍事力は健在です。国力の充実を見計らって『交易』よりも『防衛』に政策を転換しても愚策ではないはず」
淀みなく話すセリスをじっと見つめていたイグニスであるが。
不意に、にやりと目元で笑った。
「なるほどなるほど? その話、もう少し詳しくお願いします、月の姫。あなたはその歴史の中で、具体的にどんな役割を果たすおつもりですか?」