破滅の使者はかく語りき(前編)
「は~~なるほど。そうなるのか」
ラスカリスからの報告を受けて、イグニスはのほほんとした調子で言った。
早々と起き、朝食を済ませて執務机に向かい、気がついたら昼過ぎ。見た目は完全にマズバルの重臣そのものである。
「何が『そう』なのか私にはさっぱりなんだけど」
はっきりとした苛立ちを滲ませて、イグニスに杯を運んできたライアは唇をひくつかせた。
机の前で報告を済ませたラスカリスも、同意するかのように重々しく頷く。
ラムウィンドスが手を出した相手が、身分を隠していた月の姫であると王宮に知れ渡ったと同時。
アルザイが姫を「迎え入れたい」との意向を持っているとの報告が入ったのだ。
(意味がわからないんだけど……!?)
「セリスは一人よ? 黒鷲と総司令官殿の二人で仲良く共有なんて」
言いかけて、そのおぞましさにライアは掌で口を覆う。
ちらりと視線を向け、イグニスは苦笑して言った。
「古来、臣下の妻が気に入ったと召し上げる暴君はいるし、その逆に、手柄に対する褒美として自らの寵姫を臣下に与える例もある。その辺、何が起きてもそれほど不思議なこととは思わないよ。黒鷲殿がどの時点で決断したかはわからないけど、マズバルの現状を考えれば『予言の姫』は強力な駒だ。覇王が守護者として君臨する地として、失った威光を神の名のもとに取り戻す……」
話しながら、何か思いついたように徐々に声が低くなる。
物思いに沈むように目を眇め、拳で顎をとんとんと叩く仕草をした。
「いま、何を考えたの」
沈黙に不吉なものを感じて、ライアはどこか咎めるように声をかける。
イグニスは「ああ」と、くぐもった声をあげた。そして、眉毛を指で掻くような仕草をし、前髪を軽くつまみ上げながら言った。
「争いの種だなと。『選んだ相手を覇王にする姫』なんて、いかにも血気盛んなアルファティーマが好きそうだ。隊商都市に姫君がいると聞いたら、面白がって略奪しにきそうな気がするんだよね。その防衛戦、結構辛いんじゃないかな。ま、帝国としては願ったり叶ったりだけど? 砂漠で潰し合いしてくれている間、帝国は生きながらえるわけだし。ちなみにうちの皇帝は女帝なんでね。姫君争奪戦には参加しない。たとえ伴侶に選ばれても、組み合わせ的には子どもが望めないから」
あっけからんとして、軽い口調だった。
(逆に怖い)
頭痛を覚えてライアは額をおさえる。
その様子をなぜか面白そうに見ながら、イグニスは続けた。
「しかし黒鷲も酷なことをする。月の国は現状、落とすだけならさほど難しくない。だけど『救ってもいい』とラムウィンドスに言ってしまったわけだろ。悩みどころだね。今連れていける手勢なんかたかが知れている。飛ぶ鳥を落とす勢いのアルファティーマ、まして剣鬼サイードが出てきたら勝ち目なんかない。助けるどころか共倒れだ。それを見越して、黒鷲殿は姫を引き受けると言っているのかな。『姫は自分に任せて、お前は彼の地で月の王とともに死んでこい』と」
「なんなのよそれ。悪党にもほどがあるでしょう」
たまらずにライアは話を遮る。
「そうなんだよな。総司令官殿がそこをきちんと判断した上で、無理な負け戦に手を出さず、粛々と月の王の首を持ち帰るのが一番なんだけど。アルファティーマは月を略奪し損ね、黒鷲は姫を召し上げる口実を失い、二人は結ばれる。ねえライア」
急に名前を呼ばれて、何よ、と言わんばかりの目だけでライアが答えれば、イグニスは不自然なまでに気安い笑みを浮かべた。
「私は姫君について多くを知らないけど、どういうひとなの? 『自分はあなたを諦めて黒鷲のものになるから兄を救って』と、自己犠牲をたてに総司令官殿に無理難題を押し付ける悲劇の姫? 或いは、『兄も祖国も諦めた、あなたの手で殺し、滅ぼしてしまって構わない』と言ってしまえる、判断力ある悪女?」
つきつけられた二択を、ライアは胸の内で何度か繰り返して考え込む。
やがて、興味深そうに見ているイグニスに対して告げた。
「どちらも違う」
(セリスは……)
少なくとも、誰かに意志を奪われる為に、ここまで来たわけではないように思う。
ただし、本人のその意向がどこまで尊重されるかはまったく未知だ。
誰がどうみてもセリスが「好きな」相手はたった一人で、他の相手などありえない。
だが。
(黒鷲は……そもそもセリスに「選ばれる」つもりはあるのかしら。そんなもの関係なく、奪ってしまえば「選ばれた」ことになるの……? 本当に?)
「私の気のせいでなければ、黒鷲、今回の決断は頭悪いと思うのよね。あなたの言う通り、『予言の姫』は、掲げてしまった時点でアルファティーマを刺激しかねない。月に兵を出した状態での都市防衛戦は厳しいはず……。これ、誰が得をするの?」
畳みかけると、イグニスは椅子の背にぐっと寄りかかって、腕を組んだ。
すぐに身体を起こして組んでいた腕をほどき、掌で机を叩く。
いつもの彼らしくない真顔で、真面目くさった調子で言った。
「帝国だね。隊商都市と月で草原をひきつける。前線に立つのは太陽王家か。馬鹿な。そこまでの犠牲を背負い込まれるほど、私は黒鷲に恩を売った覚えはないんだが」
声が険しさを帯びるとともに、暗い目をして立ち上がる。
誰にともなく、虚空を見つめてぼそりと言った。
「不愉快だ」