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封じられた姫は覇王の手を取り翼を広げる  作者: 有沢真尋
【間章】 幼き日の邂逅
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君の名は(6)

「あの……、他に何もないの……」

「俺は何も要求した覚えはない。それは姫の大事なものなのだろう」

「アスランディアは、いつ離宮に来れるのかわからないのでしょう? だったら、いま何かしておきたいの。でも、何もないの。どうしていいかわからないの。だからきっと、痛いの……」


 言いたいことがあるはずなのに、うまく言えない。必死に考えてみたけれど、考えれば考えるほどめちゃくちゃになる。泣きたい気分のまま俯き、林檎を差し出した。


「まぁ、そうだな。あんまり姫が食い物の話ばかりするから、腹は減った」


 独りごとのような呟きの後、不意に手が軽くなった。

 見上げると、アスランディアの化身が、手の中で林檎をもてあそんでいた。


「それ、生でごめんなさい。お菓子は持って来れなかったから」

「別に。俺はこのままの方が好きだ」


 言うなり、林檎に歯をたてて噛り付く。さくっという小気味良い音がした。丸ごと林檎を食べるところなど初めて見たセリスは、大きく目を開いて真剣に見つめてしまった。その視線に、アスランディアの化身は片目を細めて渋い顔をする。


「姫の手でずいぶん温まっている。ぬるい」

「美味しくないの?」

「美味しいよ」


 とてもそっけない口調だった。

 だが、美味しいの一言を聞いた瞬間、先ほどまで胸にあった痛みが驚くほどすんなり消え去った。


「そうでしょう! 美味しいでしょう!」


 真面目くさった顔で頷いたアスランディアの化身は、もう一口林檎をかじる。そして、空いている方の手ですっとある方角を示した。


「ここをまっすぐ行くと、離宮に着く。そろそろ騒ぎになっているかもしれない。急いで帰るように」

「はい!」


 やり残したことは、もうない。あとは、急いで帰るだけ。

 そう了解して、別れを告げようとしたそのとき。


「姫様ー!」


 すごく近いところで声が上がった。

 アスランディアの化身は、地面に置いてあったカンテラを掴むと、さっと身を翻した。


「どうやら俺がこの場を去った方が無難のようだ。またな、小さなイクストゥーラ」

「アスランディア……、約束よ! 絶対に離宮にきてね!」

「わかっている」


 微笑んだように見えたが、次の瞬間にはその姿は木立の間に消えていた。


 * * * * *


 その後セリスは離宮から駆けつけた女官に涙ながらに怒られ、連れ戻された。

 帰ってからも、一晩何をしていたのですと散々叱られたが、結局アスランディアに会ったのだとは言えなかった。なぜだか言ってはいけないような気がした。


 二人で交わした約束は心の奥底へ大切にしまいこんだ。

 その記憶は、悲しいことに時間が過ぎるにつれ少しずつ薄れていった。

 どんなに忘れまいとしても、一年、二年とたつうちに淡くなっていった。

 十年もたってしまった今となっては、本当にあった出来事なのかすら確信が持てない。


 それでも。

 男の人に会ったことがない自分に、男の人の記憶がある以上、それはきっと本当にあったこと。

 アスランディアと呼ばれて、一度はむっとしていた以上、アスランディアではなかったんだろうな……ということは、ときどき考える。とはいえ、本当の名前は聞きそびれてしまっているし、どうやって探せば良いのかも見当がつかない。

 セリスにとって頼りにできるのは、あのときの約束だけ。


「結局、離宮には来てくれなかったな……」


 窓の外の雨を見つめ、セリスは声も無く、アスランディアのばか、と呟いてみた。

 ちょうどそのとき、廊下の方で何やら騒がしい物音が聞こえてきた。



 

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