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封じられた姫は覇王の手を取り翼を広げる  作者: 有沢真尋
【第六部】 征服されざる太陽
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引き裂かれた夜の果てに(前編)

 陽が落ちて後。


「……?」


 王宮の一室にて。

 遠くで何かが聞こえたような気がして、アーネストは手にした杯から顔を上げた。

 耳を澄ます。


(気のせいか……? 姫さまが泣いていたような気がした)


 杯の中のミント水に目を向ける。揺れる水面。胸騒ぎが消えない。ざわざわしている。暗闇で風に揺れる梢の立てる音のように。かき乱される。


「ちょっと、行ってくるわ。何もないならそれでええんやけど。たしかめるだけ」


 剣を手にして座していた絨毯から速やかに立ち上がる。その一挙手一投足に絡みつく視線。その方角へ視線を向けると、銀髪を肩に流したナサニエルがにこっと微笑んだ。


「行くだけ無駄だ。姫はいまラムウィンドスと過ごしている。横槍を入れようものなら、血を見るぞ」

「あの二人のことや。どうせまた、林檎の作付面積がどうこうって額突き合わせて話しとるだけや。それを、ちょーっと確認してくるだけや」

「そんな、自分でも信じていない話をしてどうする。今日一日でもだいぶ事態が動いているんだぞ。この上、ラムウィンドスが待つとは思えない。だいぶ限界に見えたからね。今頃姫君のことを抱き潰してるよ」

「……ッ。そんなアホな」


 突き放すような、露悪的な物言いをするナサニエルに、アーネストは色をなして食って掛かる。

 その勢いで、小卓を蹴り上げてしまい、灯りが転がり落ちた。その場に居合わせたラスカリスが受け止めて、「あちち」とぼやきながら消し止める。

 ロスタムとエルドゥスが、警戒するようにアーネストの動きを注視した。

 ひとり、余裕綽々の表情でナサニエルは微笑みとともに言う。


「納得がいかないならドアの前で聞き耳を立てていればいい。愛しの姫のよがり声を聞いて安心するならしろ。このド変態野郎が」

「なっ……なんで聞きに行くのが前提やの!?」

「気になるんだろ? 我慢していないで行けばいいんじゃないか? 恋焦がれた姫君が、男に抱かれて喘いでいるのを聞きたいだなんて、なんというか……。良い趣味だとは思うが」

「行くなんて言っとらんやろうが!!」


 勢いよく怒鳴りつけてから、アーネストはその場にどかっと座り直す。


「絶対行くつもりだったくせに」


 ロスタムが、納得いかない様子を隠しもせず呟き、その横に腰を落とした。

 エルドゥスがごく小さな声で「総司令官殿か」と言った。


「この状況で、女にうつつを抜かすようなひとには見えなかったが」


 耳を澄ますような仕草とともに目を細めたエルドゥスに対し、アーネストはカッとなった苛立ちをぶつけた。


「あいつはああ見えて、全然余裕のない男や。でもまさか、いま姫さまに手を……。余裕がないにもほどがあるやろ……」


 いまだ信じられないようにぶつぶつと言っているアーネストに対し、ナサニエルは口の端に笑みを浮かべたまま楽しげに言った。


「総司令官殿は、何が聞こえても部屋に近づくなと衛兵に命令してから姫君の部屋へ行った。今晩を逃すつもりはなかったと見える。……まあ、普段の生活ぶりをみても女の気配の無い男だったが。女の柔肌に興味が無いわけではないだろう。扱いが上手いようには見えないから、今頃姫君は痛みに泣き叫んでいるかもしれないが」


 アーネストはげっそりとした様子で首を振った。


「物知りやね、ナサニエル」

「褒めてるのか。ありがとう。せっかくの男前の面が、嫉妬に焼かれて滅茶苦茶になっているみたいだが。大丈夫か、アーネスト?」


 ナサニエルは軽い仕草でかがみこむと、絨毯に置かれた銀杯を手に取った。そして、誰が止める間もなく、その中身をアーネストの顔に向けてぶちまけた。

 派手な水音。

 ぱしゃ、ぴしゃと頬や髪を伝って雫が滴り落ちる。

 幸い、中身は色味のないミント水で服の染みになることもなかったが、目を開けたまま受けたアーネストは唇をひくつかせてナサニエルを見た。


「なんやの」

「しけた面してんなと思って。この先、あの姫にはこんなこといくらでもあるぞ。いちいち自分のものみたいな顔をして喚くな。立場をわきまえろ」


 言い返そうとした様子はあった。

 結局、アーネストは何も言わずに口をつぐむ。

 その目の前に片膝をつき、まっすぐに視線を叩きつけてナサニエルは低い声で言った。


「寂しいなら慰めてやってもいい。銀髪好きの変態の相手は慣れている」

「……ええわ」


 絞り出すように呟いて所在なさげにその辺に手を伸ばす。ロスタムが、溜息をつきながら中身の入った盃を手渡した。


「少し飲めば?」

「うっせーなガキ」


 弱く啖呵を切ったアーネストの隣に、肩をぶつけながらエルドゥスも座った。


「付き合う」

「王子様。やめてほしいんやけど」

「遠慮するな。俺はそこそこ高貴な身だが、下々と分け隔てなく接するのは得意だ」

「ああー……死んでくれへんかな」


 うざいんやけど、とアーネストは一切の遠慮のない発言をした。

 一方、アーネスト越しにエルドゥスはロスタムに目配せをする。具体的には、ばちっと片目を瞑って見せていた。

 それに対し、ロスタムは「は?」と顔をしかめて応じた。お前となんか意思疎通しない、という断固たる決意の表れのようであった。何も通じなかったエルドゥスは、無駄に目配せで何か伝えようとし続けていたが、ロスタムはあっさり視線を背けた。


 そういったすべての光景を、なぜか「お目付け役」を引き続き賜っているラスカリスが、悄然と疲れ切った顔で見ていた。


セリス(月の姫)が王宮に逗留中で……、ラムウィンドス(太陽の末裔)がもらいうけて? 月の家臣(アーネスト)がキレた、と。それを、黒鷲の子で太陽神殿の工作員と草原の王子がなぐさめていて……。登場人物濃すぎ。それとこの銀髪は)


 ラスカリスが目を向けたのを敏感に察したらしく、ナサニエルは立ちあがって振り返る。

 月光を閉じ込めたような、見事な銀髪である。噂によれば、月の王家にしか出ないという色合いだ。

 顔立ちは端正であるが、あまり印象に残らない。眼鏡に特徴はあるが、眼鏡を外してしまえば記憶を辿るのが難しくなりそうだ。

 目立つ銀髪さえなければ、人の意識にさわらぬように動き回るのに適した容姿に見える。要するに、潜入任務などには向いている。


「帝国の。子守りが大変そうだ」


 薄く笑って声をかけられる。

 子というのは、このこうるさい青少年たちを指しているのはわかるが、であればナサニエルはいったい何歳くらいか、というのが皆目見当もつかない。


「いやいや……。これはこれで、大変な夜になった。あんたも。えーと……」


 ロスタムとアーネストが連れてきて、エルドゥスに紹介をしていた。「サイードの」と小声で何かを持ち掛けていたのは知っているが、この騒ぎのせいで話が一向に進んでいる気配がない。その話はラスカリスも聞く心構えではいたのだが。仲間はずれ、断固反対。

 にこりと唇だけ笑みの形にしてから、ナサニエルは呼び止められるのを避けるように窓の方へと歩いて行く。


 その後ろ姿に、杯を傾けたエルドゥスが、鋭い視線を投げていた。

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✼2024.9.13発売✼
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