夢幻の銀(後編)
天井が高く、いくつもの石柱が並んだ他は、がらんとして広い部屋である。
正面に置かれた重厚感ある椅子や文様の細かな絨毯の他、調度品の類がほとんどなく、人も少ない。
明らかに何かが行われて終わった後の、撤収間際の空気感であった。
そこに居並ぶ面々を見て、衛兵に止められた事情を理解しつつ、セリスはぐるりと辺りを見回した。
訝し気に目を細めてから、一人一人の顔を見ていく。
「いない……」
呟き、入ってきたばかりの入口を振り返る。
(確かに見た。だけど、ナサニエルのときは衛兵が止める素振りはなかった。止めなくてもいいひと? もしくは見えていない……?)
「どうしましたか」
よく知った声が、近づいてくるのを感じた。
(ラムウィンドス……!)
耳にしただけで、心臓がはねる。痛いほど鳴り始める。
息もできなくなりそうで、そんな場合ではないと自分に言い聞かせた。
「人を探していました。ここに入ったように見えたんですが」
「今ですか。誰も来ていませんが」
冷静を装ったセリスに対し、嘘を言う必要もないラムウィンドスが、断言する。
セリスは言葉もなく、その表情に乏しい顔を見上げた。わずかに目を細めて問われる。
「何か」
ラムウィンドスは、ナサニエルを、知っていますか。
喉元まで出かけた言葉を、セリスは呑み込んだ。
大きく目を見開いたまま固まってしまったセリスを前に、ラムウィンドスもまた無言のまま見下ろしてくる。
「間違えました。たぶん、わたしの見間違いです」
掠れた声で告げると、ラムウィンドスは、はっきりと不審そうに眉を寄せた。
「何を? 誰と? 何かお困りなら言ってください」
「いえ。あなたは忙しい……」
言ってしまったから、セリスは「しまった」と唇を噛みしめる。
理由が相手にあるような言い方をしたら、彼は無理をしてでも都合をつけてきてしまうかもしれない。これはあくまでセリスの問題なのだと、はっきり言う場面であった。
(わたしは、愛に寄りかかり過ぎる。人から助けてもらうことに慣れ過ぎている。こういうところが)
「気にしないでください、ラムウィンドス。ごめんなさい、場を荒らしてしまいました」
気づかわし気な顔をしながらも、ラムウィンドスは一度口をつぐんだ。珍しく、躊躇う様子ながらも「そんなことはありません」と告げてくる。
その目が、やはりまだ何か言いたげに、セリスのあらわになった銀の髪を見た。それを人目にさらすのは、無防備すぎはしないかと。無言のまま、問うてきている。心配されているのだ。
「わたし……行きます。申し訳ありません。疲れているなんて言える立場ではないのに、ぼーっとしていたみたいで」
無理に笑みを形作って、アルザイに向かって頭を下げる。引き留められる前にと背を向ける。
(ナサニエルのことは、まだ他の人には。自分自身で、できるところまで)
その思いから足早に歩き出したところで。
誰かが、ふわりと横につけてきた。
音も無く、寄り添って来たその人影に、セリスは驚いて目を向ける。
「どうしたの、ロスタム」
顔を向けて来ることなく、前を見たままその人は言った。
「ここではやることがない。手伝う」
彼以外の他の誰かであれば、その場で断った。
セリスはほんの一瞬躊躇った。その一瞬が、ロスタムに確信を与えてしまった。
「何か言いたそうにしていた。俺にだろ?」
ちらりと、布に覆われた顔からわずかにのぞく瞳で見下ろしてくる。
(警告を出すべきか悩んだ。ナサニエルは、アルス様を知っている。間違いなく神殿の関係者だ。ロスタムが存在も知らないとすれば、それだけで彼にとっては脅威になり得る)
戸口の前で立ち止まって見上げると、ロスタムも向き合うように歩みを止めた。
真っすぐに見上げてから、セリスは視線を巡らせその場にいた人物の顔をさらい、ロスタムに向き直る。
「アルザイ様は」
「俺を必要とはしていない。現に、なんの咎めもないだろ」
ロスタムが断りなく退出することに対して、確かにアルザイはなんの反応も示していない。
(それでいいの?)
声にしなかったのに、目で言ってしまったようで、ロスタムに軽く頷かれていまう。
セリスはロスタムを見つめたまま唇を噛みしめた。
ロスタムの瞳が揺れている。
飄々とした口ぶりのくせに、隠した表情に緊張を漂わせているのが伝わって来る。
まるで裁可を待つかのように。
迷いを振り切って、セリスは広間へと身体ごと向き直り、アルザイへと視線を投げた。
「ロスタムをお借りします!」
常に無く鋭い瞳で成り行きを見ていたアルザイは、ふっと笑みを浮かべた。
「何故俺に?」
一歩踏み出して、セリスは強く言った。
「彼は、アルス様があなたに託した人だからです」
アルザイは、一度唇を開いた。
言葉にならなかったように苦笑して、大きく手を広げてから、その手をそのまま下ろして。
再びセリスに目を向けた。
「俺はアルスから何も聞いていない。好きにしろ」
それは俺のものじゃないから、関知しない。言外にそう告げられている。
セリスはじっとアルザイを見ていたが、不意に首をめぐらせてロスタムを見た。
「力を借りたいんだ。一緒に来てほしい」
微動だにしないロスタムに歩み寄ったのはセリスで、手を差し伸べた。
その手を取ることなく、ふいっとロスタムは顔を逸らす。
セリスはすぐにロスタムの手に手を伸ばしてしっかりと掴んだ。
「はなせ」
総司令官が怒る、と小声で言われた気がしたが、セリスは意に介さずに握りしめた手を強く引いた。
「離さない」
断固として言い放ち、セリスはロスタムを引きずるように歩き出す。
多くを語れば余計なことを言いそうだった。それはこの少年を怒らせてしまうとわかっているから、その場では言わなかった。
何度か、ロスタムに手を振り払われかけたが、なおさら力を込める。
口調は飄々としているくせに、その実セリスに同行を申し出た彼はひどく心細そうな目をしていた。
手伝うと言ったくせに、その様子はまるで。
懐に飛び込んできた傷ついた雛を思わせ、セリスはどうしても手を離すことができなかった。