千年王朝の臣と不屈の王子(3)※
わかりやすい、挑発。
不敵な笑みを浮かべるエルドゥスとは対照的に、喧嘩を売られたラムウィンドスは、感情を乗せない瞳で見返していた。
音も無く、空気に揺らめき一つさせずに動いたのは顔を布で覆ったロスタム。
エルドゥスを囲む人垣をすり抜けて、後ろに回り込む。エルドゥスが反応するより先に、その首筋にぴたりとナイフをあてた。
「殺されたいのか」
「聞くってことは、選択の余地がある?」
肌に触れたナイフの冷たさに臆することなく、エルドゥスはにこやかに言ってから、弾けるように飛び上がった。
そのまま、宙で回転し、危なげなく離れた地点に腰を落とした姿勢で着地。
一瞬の隙を突かれたのは、その場で彼を封じ込めているつもりであった全員。
躊躇なくナイフを投げつけたロスタムは、かわされるのを予期していたように駆け出し、誰とも接触することなくするりと人垣を抜けた。
いつの間にか抜き放っていた半月刀を持って切りかかる。
立ち上がったエルドゥスは、素手ながらも笑みを浮かべたまま待ち構えていた。
ロスタムが踏み込んだ瞬間、口元の笑みを深めて肩をひいただけでかわす。
返す刀が来る前に、華麗に蹴り上げる。足の先が刀を持つ右手をわずかにかすめた。
一度身を引いてから、再びロスタムと向き合う。
ごくごく呆れた表情で見守っていたイグニスが、沈黙しているこの場の最高権力者と彼に付き従う青年を振り返って言った。
「止めます?」
そのまま、普通に歩いて近づいて行って「やめなさいよ」とでも言いそうな何気なさだった。
彼の護衛官であるラスカリスが、焦ったように遠くから声を張り上げる。
「巻き込まれたら死ぬぞー!!」
イグニスは頷いてから、軽くラスカリスを睨みつけてぼやいた。
「この私に対してそういう、『お前は鈍くさいのだから』みたいな言い方はどうかと思う。事実だけどね」
そして、周囲に視線を滑らせた。
衛兵が動かない。ラムウィンドスが無言の指示で止めていると気づいたイグニスは、眉をひそめてそちらへと視線を向ける。
アルザイ、ラムウィンドス共にこの状況に意見を言う様子もないのを見てとり、イグニスは速やかに口を開く。
「わかりました。話を続けましょう」
イグニスの背後では、居並ぶ武官の腰元から半月刀を奪ったエルドゥスが、ロスタムとまともに斬り合い、烈しい金属音を響かせていた。
「ああ。そういえば、今日は武器を預かり忘れていました」
ラムウィンドスが、空に雲があります、くらいの平坦な調子で言った。
御前会議ということで、平時なら念のため武器を預かるくらいのことはするのだが、今日は衛兵以外の参加者たちも各々武装を解かずに一同に会していたのだ。
肘掛に肘を置いたまま眉間を指で軽くつまみ、アルザイは面倒くさそうに答えた。
「まだ何かと落ち着いていないからな。こことて、戦場みたいなものだ。いいんじゃないか」
雲があれば雨も降るかな、といった調子だった。
それはそれで砂漠においては珍しい現象ではあるのだが、この二人はそこに触れる気はないようだった。
「イグニス! 巻き込まれない程度に、止めろ!!」
ラスカリスが、発言の許可も得ないままイグニスに対して叫ぶ。
さすがに衛兵を押しのけて、前に出ることにはまだ躊躇があるらしい。
一方のイグニスはもはや何も聞こえていないようにラムウィンドスに向かって話し始めた。
「かつてロムルスという王が存在しなければ、今日『ローレンシア』の名はなく、王の名も長く後の世に伝わることはなかったでしょう。この王の功績のひとつはすぐれた都市を建設し、自らの名を都市に冠したこと。では、すぐれた都市とは何か」
「イグニス!!」
剣戟と怒号。
状況を受け止めかねてチラチラとアルザイを伺う多数の臣。
何故か話し続ける帝国人の青年。
表情が動かない総司令官。
「どういうことなの……?」
呟いたライアに対し、エスファンドがのほほんと答えた。
「興味があるんじゃないの?」
「何に対して?」
「あの少年たち、どっちが強いのかなぁって。私は武芸には疎いけど、あれ二人とも相当強いよね。決着つくのかな」
今日は陽射しが温かいね、くらいの穏やかさであったが、砂漠生まれ砂漠育ちのライアとしては「陽射しなどまともに浴びるものではない」という感覚の持ち主なので、エスファンドの言い分がよくわからない。
「決着がついたらどちらかが死ぬんじゃなくて!?」
「刃物持ってるからね」
思わず、ライアは両手で額をおさえる。頭を抱えた、という状態であった。
剣戟の合間を縫う、イグニスの淀みない話し声。
「人の住まう世界の安全を保つために必要な戦争があります。このとき、都市建設にもっとも外せない条件である『温暖な土地』を手にしている者は有利であり、また持たざる者は当然にしてこれを欲する。偉大なるロムルスの名を冠する帝国首都はまさにこの条件に適した都市であるがゆえに、これまで数多の戦乱の渦中に置かれてきました。しかし」
イグニスの泰然自若とした態度は見上げたものであったが、何しろ周りがうるさい。
顔をしかめたアルザイがぼそりと言った。
「そろそろ黙らせろ」
「御意」
君主の意向を汲んで、ラムウィンドスが動く。
何合と切り結んでも止まらぬ少年たちの間に無造作に入り込んで、打ち合わされた互いの刃の間に刃をねじ込んで跳ね上げた。
「だいたいわかった」
勢いが止まらずに踏み込んできたロスタムの腹に蹴りを入れ、同じく迫っていたエルドゥスの顎を肘でしたたかに打つ。
軽い動作であったが、込められた威力の烈しさゆえに、二人は身体を折ったり床に膝をついたりした。
それでもすぐに立ち上がり、強い光を湛えた瞳で睨みつけてきたエルドゥスに対し、ラムウィンドスは恐ろしくそっけなく言った。
「殿下にサイードの相手は無理だ。無駄に命を落とすだけだ」
「帝国に、どうしても行かねばならないのです」
「無理だ」
にべもなく即答したラムウィンドスに対し、エルドゥスは声を張り上げて言った。
「であるならば、あなたが一緒に来ればいい。あなたとて、サイードを取り逃がしたままではいられないでしょう。あの男を見事討ち取らぬ限り、総司令官殿こそが、アルファティーマに手心を加えた内通者との疑惑を払拭できませんよ。それで、良いんですか」
けぶるような黒の瞳をじっと見据えて、ラムウィンドスはわずかに目を細めた。
あくまで、お願いではなく脅迫を持って協力を強要しようというそのふてぶてしさ。
それはおそらく、遠い未来を見据えている。
この先もずっと続く関係があると考えているからこそ、今ここで優位は譲れないという強い意志。
対等以上の関係を結ぶ為の布石。
「気概は買うが、賢明ではない。あなたは今何も持たぬ身だ。必ずしも友好的である必要はないが、交渉であればもう少しうまくやるように」
冷めきった態度のラムウィンドスを前に、エルドゥスは唇を引き結んでいたが。
ふっと息を吐き出すと、やにわにその場に片膝をついた。
「助けが必要ですので、手を貸してください!!」
確実に何か言いたい顔をして事の成り行きを見つめるイグニス。
一方のロスタムはといえば、痛む腹に手を置きながら呟いた。
「お前、割り切り早過ぎだろ」