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封じられた姫は覇王の手を取り翼を広げる  作者: 有沢真尋
【第六部】 征服されざる太陽
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千年王朝の臣と不屈の王子(1)

 高所の窓から注ぐ光が、彼の炎のような髪を明るく照らしだす。


 会議の大広間にて、中央に立ち、アルザイと対峙するのはやや痩せた中背の男。居並ぶ文官、武官たちの視線が射すくめるほどに集中しても、気負った様子もない。

 優し気な風貌をしていた。

 深い紺碧の瞳には理知の光を湛え、唇には笑みを絶やさない。


「あれで、何度も前線に出ているらしいね。平時にあっては内政に秀で、ひとたび戦場に立てば破軍の異名で語られる策略家。智謀の将にして皇帝陛下の最も信頼の厚い部下という……」


 小声でさらさらと流れるように囁かれて、ライアは声の主であるエスファンドを無言で見上げる。

 唇を、引き結ぶ。


 折り重なるように眠りに落ちて、大切なものを扱うように抱き寄せられた記憶が、すでに遠い。

 帝国の炎。


(イグニスはおそらく、今ここにいてはいけない人)


 想像を絶するであろう逆風の中、千年王朝を背負って立った少女皇帝の横が、彼が本来身を置くべき場所のはず。

 だというのに、なぜ皇帝と彼は、今こんなにも離れ離れになっているのか。


「今回の件では世話になったな、帝国の」


 口火を切ったのはアルザイであった。

 顔色を変えなかったのはその横に立つラムウィンドスくらいで、明らかに空気がざわついたのをライアは肌で感じた。


 狂乱の夜、イグニスが王宮にて口先で東国人たちを丸め込み、捕り物劇を演じた。

 腕に覚えはないという文官で、護衛官がついていたわけでもないというのに。

 己が身を白刃の前にさらし、一歩もひくことなく、一滴の流血も許さなかった。

 しかしそれは、あの時、アルザイにその場を任されていた者たちにとっては屈辱的な出来事であったはず。

 いかによそ者に寛容な土地柄とはいえ、限度はある。まして彼はあの時は完全なる異物だったのだ。


(異物であるのは今も。イグニスは馴れ合わないし、隊商都市(マズバル)に骨を埋める気はない。彼は皇帝の臣下)


 その彼を、アルザイが認めた。


「労いのお言葉、光栄に存じます」


 微笑みを浮かべたまま受けたイグニス。

 続けて何か言うより先に、アルザイが口を開く。


「何やら勝手な約束も取り付けたらしいな。東国人たちの助命と聞いたが、間違いないか」

「ありません」


 即答。

 ひじ掛けに肘を置き、背もたれに背を預けていたアルザイが、ふん、と鼻を鳴らした。

 口の回る男のはずだが、もってまわった話し方や、阿諛追従(あゆついしょう)めいたおべっかを並べることもない。

 強気であるとも言えるが、おそらく明確な狙いがそこにはある。

 あえて手柄を主張しすぎず、会話から無駄を省いた態度。

 そのすべては、自身の発言の一つ一つを際立たせるための戦略。

 アルザイがすっと両目を細めた。


「望みは何だ」


 紺碧の瞳を瞬かせて、イグニスは笑みを深めた。 


「私は急ぎ帝国に帰らねばならぬ身です。とはいえ、この混乱の最中にあって信用できる旅の供(ラフィーク)を探す手間が惜しい。ですので彼らを頂いて行きたい。隊商を率いる能力を有した、東国人たちです」 


 目を細めたまま、アルザイがごく小さな声で呟いた。アホか、と。

 聞こえただろうにイグニスは笑みを崩さなかった。


 アルザイの傍らにあって、二人のやりとりを見守っていたラムウィンドスが「発言の許可を」と願い出た。アルザイは軽く頷いて、了承を示す。

 ラムウィンドスはイグニスに視線を定め、硬質で響きの良い声で告げた。


「火事を免れたラクダはそれなりにいます。一人あたり三頭から六頭ひけるとして、見た目それらしい隊商を組むのであれば、今捕らえている東国人たちで足りるでしょう。ですが、本当にそんなに目立つ隊商で帰るつもりですか」


 言わんとするところを正確に把握した上で、イグニスはにっと口の端を吊り上げた。


「はい。囮に立てようにも統率する人間がいなければ意味が無い。隊商には私が同行します」

「それは、その裏で()を帝国に急がせるために? つまり、彼を生かすためにあなたご自身が草原(アルファティーマ)の目を引きつけるという意味か?」


 ラムウィンドスの声が、一段低くなった。

 彼、と呼ばれた人物は、現在数名の兵士に囲まれて広間の末席に立っている。


 頭髪や顔を隠すような布はすべて取り払い、すっきりとした面差しをあらわにしているその人物は、派手さはないものの人目を引く。

 長身痩躯で、氷雪や大理石を思わせる肌に、意志の強そうな黒瞳。一本に束ねて背に流している長い黒髪。


 人と物の行き交う交易路上の都市に住まう者は、世界には自分たちとは異なる特徴を持つ者がいるのを実際に目にして知っている。そして、肌や髪、顔つきや言葉から出身地を類推することもできる。

 彼は、異質であった。

 彫りの深い顔立ちや肌の色合いから西の人間のようにも見える。一方で、くっきりとした眉や野性的なまなざしが草原の民を思わせた。


「隊商は確実にアルファティーマの襲撃を受けるでしょう。それを知っていて、東国の彼らがまともな道筋で帝国まで進むとは考えられない。良くて、どこかの都市についたところで解散して終わりか。あなたが数に勝る東国人を抑えられるとは思えないのだが」


 温度のない、淡々とした調子でラムウィンドスはそう言った。

 イグニスは、いかにも軽い仕草でひとつ頷いた。


「がんばります」


 追及に何一つ答えないくせに、妙な爽やかさだけはある。


「彼は」


 これといった反応も示さぬまま、抑揚なくラムウィンドスが重ねて問うた。


「総司令官殿の見立て通り。私とは別の方法で帝国へ向かいます。あの方には無事に帝国入りをして頂かなくては」


 流れるような会話に耳を傾けながら、ライアはそっと足下の石床を見た。


(……わからない。勝算があるのかないのか)


 目当ての人物とは別行動をとると言っている以上、イグニスは自分の道程が安全だとは考えていないのだろう。信頼のおけない旅の仲間、容赦のない襲撃者。ただでさえ辛い砂漠の旅だというのに、危険を詰め込み過ぎている。


(それでなんで、私に帝国に来いなんて言うのよ……!?)


 割り切れない思いを抱えているのはライアだけではなかったらしい。

 兵士に囲まれていながら、不意に渦中の「彼」が声を張り上げた。

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✼2024.9.13発売✼
i879191
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