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封じられた姫は覇王の手を取り翼を広げる  作者: 有沢真尋
【第六部】 征服されざる太陽
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呼び出し(前編)

「絹が虫の排出物? お前は何を言っているんだ?」


 真顔で問い返したロスタムに対し、向かい合って話していた黒髪の少年、エルドゥスは一瞬言葉を詰まらせた。


「嘘じゃない。蚕という虫が排出した繭から糸を作っているんだ」

「つまり絹は虫の糞だと?」

「糞とは言っていない。だがあれは植物由来の綿などとはまったく違うものだ」


 付き合いきれない、とばかりに早足で歩き出したロスタム。結んだ黒髪を背で跳ねさせながら、エルドゥスはそのつれない後ろ姿を追う。


「そもそも絹は東国随一の交易品だ。西に来れば来るほど、その製法など知らぬ者が多い。帝国など、富と権力の象徴の意味で絹の衣装を好む皇帝がしばしば現れるが、彼らとてその肌触りが何によるものか知らない。絹糸など、桑の木に成るものだと考えている」

「桑の木の葉を食べた虫が吐き出す糸……ふうん」


 素通しで陽が差し込む石造りの回廊を、二人は大股に進んでいる。

 その後ろに、ラスカリスが続いていた。


「ふうん、って。お前絶対納得していない」


 エルドゥスが、肩をぶつける勢いでロスタムの横に並んだ。

 ちらりと視線を流すと、ロスタムはすぐに前を向き、平淡な調子で答えた。


「一応、覚えてはおく。俺は絹は布としか考えたことがなかった。ただ、植物ではなく生き物が関わっていると聞けば、東国以外で作られない理由としては妥当だとは思う。種を運んでどこかで植えてみれば良いという問題ではないわけだな?」


 おっ、とエルドゥスの顔にわかりやすい喜色が浮かんだ。


「そうだ。絹を作り出す虫を、この砂漠を越えて西の国々まで生きたまま運ぶのは至難だ。だからこそ絹は東国の強力な交易品であり、珍重されている。この先もその価値を大きく落とすことはないだろう。どうにかして手に入れたいと考えている者は、西にそれだけ多い」


 草原の民アルファティーマの王子にして、幼き頃を帝国で過ごしたエルドゥスは、一般には広く知られていない事柄に対しても、精確な知識を有している。

 ロスタムなど、一見すると話半分に聞き流しているように見えるが、最初よりエルドゥスに対する態度はだいぶ軟化してきていた。彼なりに。


(ロスタム……。月の王の配下で、アスランディア神殿の神官が育ての親。しかも父親はどう見ても、当代の黒鷲。容姿、声が似すぎている)


 この年頃も背丈も似通った、「曰くあり」の少年二人は、現在アスランディア神殿に身を寄せていた。

 そこから動くな、という厳命が総司令官(ラムウィンドス)から下っている。

 拘束されているわけでも軟禁されているわけでもないが、差し当たり二人はその言いつけを守って派手な動きは控えている。

 なお、成り行きで二人と共に過ごしているラスカリスは、帝国宰相イグニス付きの護衛官。

 本来なら、彼の人の身の安全を第一に考えねばならぬ身であるが「私のことは心配するな。そちらを頼む」というそっけない手紙が王宮逗留中の本人から届いており、結果的にこちらを優先する形になっている。


 ――そこそこ言葉や文字は学んできたつもりだが、帝国の文字は難しいな。


 イグニスの極めつけの悪筆による手紙をのぞきこんだロスタムは首をひねっていたが、ラスカリスは「オレにも難しい」と答えるにとどめた。

 

「しかしこれ以上捨て置かれるようであれば、そろそろ俺としても我慢が」

「同感。別に怪我をしたわけでもないし、少し時間を無駄にしている気がする」


 少年二人が話しながら向かっているのは、神殿の正面出入口だ。


(神殿内でできることは限られている。剣の稽古も今日の分はこなしているし。市場や街の様子を早くその目で見たいと言い出すのは、時間の問題だったよな)


 止める立場にもないラスカリスは、追うのみ。

 回廊を経て正面へと続く天井の高いホールに足を踏み入れたとき、空気の流れに妙なものを感じた。

 ひりりと張りつめた、緊張感。 

 バタバタと足早に追い越していく神官。慌ただしい動きは何らかの先触れが駆け抜けた後のように見える。

 ちょうど、先を行っていた少年たちもそのことに気付いたらしい。


「誰か来たのかな」


 エルドゥスが黒目がちな目で正面を見据える。 

 光が溢れる入口の方から、神官を従えて進んでくる背の高い人影があった。

 そのすらりと均整の取れた体躯、優美な立ち姿には見覚えがある。


(サイード……。いや、マズバル軍の軍司令官殿)


 頭布から垂れる長い布を背に流し、神官の何らかの声掛けに小さく頷きながら歩いて来る。

 その顔を見つめて、ロスタムが小さく呟いた。


「アスランディア……。『ラムウィンドス』だ」

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