束の間の(前編)
セリスが、口を手でおさえながら腕を伸ばして飲みさしのコップを探した。
仕草で察したアーネストが動くより先に、ラムウィンドスが卓の上から掴み上げ、セリスの手に持たせる。
渡されたので、素直に飲もうと唇を寄せ、コップを傾けたところで、セリスは不意に固まった。
ようやく。
状況を把握した。
その場の流れのまま、やや喧嘩腰になって話していたせいで、意識が向いていなかったのだ。
自分が胡坐をかいたラムウィンドスの上に乗り上げていて、腕で支えられて抱きかかえられていることに。
固まった上に、徐々に血が上ってきて、顔が熱くなっていくのがわかる。
「……えっと、あの……。えーと……」
普通に話しているつもりなのに、緊張のせいで声が掠れる。塩レモンに痛めつけられた挙句、干上がった舌、それ以上に頭が一番働いておらず、まともに言葉が出ない。
「落ち着いて水を飲んでください。何か口直しに甘いものを」
ラムウィンドスの声が、ものすごく近い。
それが、昨晩から今朝にかけての二人の距離を思い起こさせて、胸が引き絞られるような、締め付けられるような切ない痛みがあった。
「マリク? デーツは食べられます?」
ラムウィンドスは、いつも通りの実直そうな口ぶり。マリク、と呼ぶ程度には冷静だ。
それなのにセリスの記憶の中では、その声が「姫」と切なそうに呼びかけてくる様が思い出されていて、気持ちが追い詰められる。
「よぉ言うわ。さっきなんか、食べられるかどうかも確認しないで塩レモン口に押し込んどったくせに」
アーネストが陰々滅々とした声で言った。
ラムウィンドスが視線を向けた気配があった。
何か言うつもりかな、とつられてアーネストの方を向いたそのとき。
ラムウィンドスの手が、セリスの後ろからうなじにそっと触れた。
「~~~~~~~~~っ!!」
言葉に。
ならない。
想定もしていなかった感覚が全身を駆け抜けていった。
驚きのままにラムウィンドスを見上げると、目元に笑みをにじませて見下ろされる。
デーツを手渡してくる手つきは優しかった。
全然悪気はなさそうで、かなり楽しそう。
そんなラムウィンドスを見れて良かったと思いつつ、セリスはコク、と小さく唾を飲み込んだ。
「塩レモンが……良かったです……」
この人の手に触られるのは嫌じゃない。ただし、自分の動揺がひどすぎてとても他の人に見せられたものではない。人前では、完全に醜態を晒してしまう。それならば、泣くほど酸っぱくてしょっぱいレモンを押し込まれた方がマシだった。
(ラムウィンドスがいると……存在が大きすぎて)
結論としては、注意力が落ちる。他のものに意識が行き届かなくなるのだ。
こんなことではいけない。
決意を新たにしているセリスであったが、騒動どこを吹く風で飲み食いをしていたエスファンドはその決然とした横顔を眺めつつ、見透かしたように「そうじゃないんだなぁ」と呟いた。
聞きつけたライアが「何がですか」と尋ねると、ふふっと楽し気に笑みを返されるのみ。
「ん……?」
天才はよくわからない、と首を傾げたライアの耳元に唇を寄せて、イグニスがぼそっと言った。
「すごいよねあの二人。ここまで堂々と『二人の世界』を見せつけられると思わなかった。姫君なんか完全にあの男以外目に入っていない。私たちもあれにならって結婚しよ」
見もせずにイグナスの脇腹に腕を突き立て、ぐいっと押しのけつつライアはアーネストの顔を見てしまう。
それとなく二人から顔を逸らして、パンを口に運んでいた。
先程セリスから手渡されたものだろう。
(いじましくて泣けるんですけど)
ライアは俯きながら、そっと目頭をおさえた。
その時、バタバタと近づいてくる兵士の姿が見えた。