彼と彼女と彼(後編)
窓から差し込む朝の陽射しを浴びて、肩の辺りが光に滲んでいる。
長い頭布から、額と首筋に白金色の髪がのぞいており、それが精巧に整った面差しに、ほんのわずかの甘さを添えていた。
その男に、真後ろに立たれたセリスが固まった。
同席した者たちの態度、何より顔をしかめてまごうことなき渋面となったアーネストの反応で、そこに誰がいるかは気付いているだろうに、完全に石のように動きを止めていた。息をしているかすら怪しい。
男は少しだけ待っていたようだが、セリスが振り返らないのを察したようで、腰に帯びていた剣を外してセリスの横に腰をおろした。
座っていてさえ、背筋が伸びていて、恐ろしく姿勢が良い。
貫禄、とライアが小さな声で呟く。
イグニスは掌で顎を支えながら、赤く充血した目で男を睨み据えた。
「あ、あの……お仕事は……。忙しくはないのですか」
恐ろしくぎくしゃくとした仕草で、セリスが彼の方へと顔を向ける。
「忙しくないということはないですが。食事くらいは」
低く硬質で、よく透る声をしていた。
それでいて、どことなく余裕を感じさせる態度のせいか、神経質そうな印象はない。
全身から得も言われぬ緊張感が漂っており、さながら研ぎ澄まされた刃のような出で立ちであった。
「あまり落ち着いて話す時間を持てませんでしたが。我が主が無理を言っているそうで」
男から最初に水を向けられたのは、イグニスである。
「本当だよ。無理無理の無理だよ。どうなってんの黒鷲。私をなんだと」
「使えるものは使う性格なんです。思った以上に使われているとすれば、それがあの人の手腕だと」
「へ~~、立てるねぇ。歴史的大惨敗を喫した長殿のこと。見放したくならないの?」
卓向かいの男に対し、顎を逸らして挑戦的な目つきをしたイグニスに対し、男はにこりともせずに言った。
「あなたは、あなたの主が判断を誤ったとして、人前で誹ることはあるのか」
「何その含みのある感じ。二人きりのときはその限りではない、ってこと? あ。ちょっと待て。あれ~んん~、たしか先日そんなの見たような気がするぞ」
突然目を瞑ると、眉間を指で揉みながら、イグニスは唸り始めた。
すぐに「思い出した」と目を見開いて、口の端を吊り上げる。
「そうだ、あの時だ。連絡橋の上で姫君が攫われたと、報告を受けたときだな。顔色は変わらないくせに声がおそろしく冷たくなって、黒鷲殿に『使えない男だ』と」
男の秀麗な面差しに、冷ややかな笑みが浮かんだ。
「非公式の会談内容をみだりに口にするべきではないですね」
「それは隣の姫君に聞かせたくないから?」
イグニスの視線がセリスに向く。セリスの隣に座した彼以外の、全員の視線がセリスに集中する。
セリスは目を瞬いてから、全員の顔を見回した。
「あの時軍司令官殿は叔父上対策で忙しかったし、姫君を救出したのは結局、そこの美丈夫君だって話だよね。身体が一つしかないと選ばないといけないからねぇ、仕方ないよね」
二人がなんの話をしているのか。
あの夜の出来事をあてこすり合っている、正しくは何やらイグニスがじわじわとラムウィンドスを責めているらしい、ということに、セリスは少し遅れてようやく思い至った。
この状況でセリスが味方をするのは、もちろんラムウィンドスそのひとである。
「それは、わたしもラムウィンドスもよくわかっていますから」
誰よりも先に、決然とした声で言い放つ。
「お互いのすべきことが、別々の場所にあるのならば、一緒に行動できないのは当然のことです。ラムウィンドスはこの都市に必要な人間であり、わたしは役割も責任もないただの旅人です。今はもう彼の主でもありません。彼がわたしを優先しないのは、当然のことです。あのとき、このひと以外の誰があの恐ろしい方と剣で渡り合えたというのでしょうか」
「あの恐ろしい方?」
素早く問い返したイグニスに対し、セリスは力強く頷いて口を開いた。
「サイ……っっっ!?」
塩漬けのレモンを摘まみ上げたラムウィンドスが、容赦なくそれをセリスの口の中に押し込んでいた。
「……んん~~~っ!? 酸っぱ、しょっぱ……」
涙目になりながら飲み下しているセリスをしげしげと見つめ、「いきなりはキツイなぁ」とエスファンドが小さく呟いた。
「お前何してんねん!?」
色めきたったアーネストがセリスに腕を伸ばすより先に、ラムウィンドスがセリスの肩を抱き寄せて強く引き、自分の胸におさめてしまっていた。
「あの男の名前を、この人の口から聞きたくない」
「な……にわがまま言うてんの!? 今自分が何したかわかってんのかボケが。虐待やで!!」
アーネスト、とセリスが息も絶え絶えに名を呼んだが、ラムウィンドスが見るも明らかにセリスを抱く腕に力を込めて黙らせた。
「絞め殺す気か、いい加減にせえや。苦しがってるやろが」
身を乗り出して片膝立ちになったアーネストに対し、いつもながらの無表情を向けてラムウィンドスがそっけなく言った。
「お前こそよくも俺にそんな口をきくな。この人を置き去りにして危険な目にさらしたこと、俺が怒ってないはずがないよな。よりにもよって、我が叔父上の前に晒して」
腕の中でもがもがと暴れていたセリスが、「ですから!!」と声を張り上げてラムウィンドスを見上げる。
「アーネストは悪くないんです!! アーネストを責めないでください。わたしの不注意ですと申し上げたはずです。あなたは何を聞いていたんですか!?」
「あなたが俺に言ったことは全部覚えています。ですが、きけないお願いもあります。いいですか。何か問題があったときには、誰かが責任を負うんです」
「それはわたしですよね!? 一から十まで全部わたしですよね……!? きけないお願いってなんですか!? 素直にわたしに責任を問うてください。アーネストには手を出さないでください!!」
厳然として。
ラムウィンドスの腕に閉じ込められたまま、噛みつくセリス。
対して、ラムウィンドスはといえば、顔を向けて聞いてはいたものの、鉄壁の無表情を保っていたが。
真剣すぎるセリスの翡翠の瞳をのぞきこんで、静かに告げた。
「わかりました。では今晩そのように」
「……えっと……?」
「あなたがアーネストの代わりに責められたいというのならば、仕方ないですね。俺のお仕置きは少し意地悪ですよ」
しれっと言われたセリスは、表情を強張らせた。しかし、ひくにひけないように、態度はいささか尖ったまま。
「それであなたが納得されるのであらば、わたしは構いません!」
傍で聞いていたライアが、頭を抱えているアーネストに対し、小声で「あのひとたちの逢瀬ってどうなってるの」と尋ねる。
力なく首を振ったアーネストであったが、思い余ったように枯れた声で呟いた。
「俺を巡って争うのはやめて欲しいんや……ッ。ていうか。俺をダシにいちゃこいてんのほんとやめてほしい……なんの拷問なの」
切実で悲痛な響きであった。