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封じられた姫は覇王の手を取り翼を広げる  作者: 有沢真尋
【間章】 幼き日の邂逅
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君の名は(3)

 知らない声が聞こえた。セリスは動きを止めたが、光の方から近づいてきた。

 すぐに、カンテラを掲げた見たこともない人が姿を現した。


 兵士のような動きやすそうな格好をした、知らない人。

 いそがしく考えていたセリスだが、相手の顔を見て大きく目を見開いてしまった。

 すんなりと通った鼻筋、薄い唇。端整な顔立ちの中でひときわ目をひくのは強い意志を湛えたまなざし。

 今まで会ったことはなかった。でも、セリスはそのひとを知っていた。その姿かたちを、その名を。だから思わず呼んでしまった。


「アスランディア……!」


 途端、光の中でその人ははっきりと眉をひそめた。


「俺が太陽の息子アスランディアなら、お前は月の娘イクストゥーラか」


 セリスがそれまで耳にしたことがある中ではもっとも硬質で、澄んだ声音だった。

 怒られたのかと思い、セリスは口をつぐんだ。するとその人は、カンテラを軽く動かしてセリスを光の下に照らし出した。


「どこから来たんだ? 何をしている?」


 尋ねられても、セリスは先ほどの不機嫌そうな声を忘れることができず、頑なに口を閉ざした。

 離宮を出れば知らない人がいるというのは、知ってはいたが、いざ出会ってみればこれほど恐ろしいことはなかった。なにしろ、離宮の者はみなセリスのことを知っているのに、この人は知らないのだから。


「口がきけないのか。……いや、さっきしゃべったよな」


 ぶつぶつと言いながら、その人はセリスを見ていたが、ドレスが木の枝に引っかかっているところに目を留めた。無言のまま、手を伸ばしてくる。ほんの一瞬のことだったが、覆いかぶさるような格好になり、光がさっと翳った。


「やだ!」


 咄嗟にセリスは手を突き出す。

 小さな抵抗をものともせず、その人はドレスをつまみあげて枝からはずした。肩が引っ張られるような感覚から解放されて、セリスは転びそうになりつつも、なんとか踏みとどまる。そのままの勢いで、目の前に立つ人を睨みつけた。


「小さなイクストゥーラは随分気が強いんだな」


 怒った様子はなかった。

 気のせいでなければ、声はひそやかな笑いを含んでいた。


「わ、わたしは、イクストゥーラではないわ」

「わかっている。俺も別に本気で言ってない。アスランディア呼ばわりされたのがむかついているだけだ」

「むかついている?」


 セリスが首を傾げると、その人は目をしばたいた。


「……もしかして、むかつくって言葉が、わからないのか?」


 セリスはこっくりと頷いた。その人は空いていた手で落ちてきた髪を払いながら、困ったような顔をした。


「そうだな……。怒っているとか、気に入らないとか、そういう意味なんだが」

「怒ったの?」

「怒ったというほどでもない。あまり好ましくなかった」

「好ましくなかった……?」


 また聞いたこともない言葉だとセリスが眉をひそめて考え込むと、その人はぐしゃぐしゃと髪をかきまぜた。絹糸のようなきれいな髪だった。


「悪いな。俺はお前みたいなガキと話したことがないんだ。何をどう言えばいいのかわからない。ただ、アスランディアと言われるのは好きではない。それに、言うべきではないと思う」

「どうして? だって、あなたは絵本で見たアスランディアにそっくりなのよ。太陽の息子アスランディア。金色の髪に、金の瞳……」


 言いながら、セリスはその人の目をのぞきこむ。乏しい灯りではっきりしたことはわからなかったが、明るい色の瞳。その人はぐっと眉を寄せて顔をそむけた。


「やめるんだ。ここは月神の国イクストゥーラだ。アスランディアっていうのは、滅びた国の名であり、滅びた国の神の名だ。口にすべきではない」


 言っていることは半分も理解できていなかったが、とても苦しそうな表情をしているのが気になった。


「どこか痛いの?」

「痛い?」


 まるで知らない言葉を聞いたかのように返される。先ほどの自分と同じように、「痛い」の意味がわからないかと、セリスはなんとか説明を試みる。


「痛いっていうのは、ベッドの角に足の小指をぶつけることよ! それから、そうね……、もうおよしなさいと言われたときに食べ過ぎてしまったとき! お腹が、とっても重くて、あれも『痛い』だわ」

「うーん……」


 考え込む素振りのかげで、その人が肩を震わせていることに気付かず、セリスはなおも痛いことの実例をいくつか挙げ続けた。


「あとは……、出来たてのお料理をつまみ食いするために手で掴んでしまったとき!」


 そこまで言ったところで、光の中で片目を細めたその人がすかさず口を挟んだ。


「それはおそらく『熱い』という」

「あ、そっか。そうね! でもね、その、とっても『痛い』に近いと思うわ」


 噛んで含めるようにそう言うと、その人はくつくつと喉を鳴らしていたが、ややして身体を折って笑い出した。


「さっきから聞いていれば、くいしんぼうなんだな。『つまみ食い』なんて言葉、どうして知ってるんだよ!」


 あまりにも盛大に笑い飛ばされて、セリスは呆然と目の前の人を見つめてしまった。


「どうしてと言われても。よくそれで叱られて……」


 不意に寒気が襲ってきて、くしゃみが出た。


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