長い一日の終わりに、再びの夜(後編)
寝た……ふりをして、やり過ごそう。
反射的にそう決意したのに、ドアはやすやすと開かれてしまった。
(わたしが寝ているかもしれないのに……!?)
とはいえ、灯りは今、ラムウィンドスが手にしている一つだけだ。寝台の上にセリスがいるのを見たら、納得して帰ってくれるのではないか。
「す……すう……すう……」
目を閉ざして、寝息をたててみる。
ラムウィンドスは、特に歩みを止めることなく寝台のそばにくると、横の小卓に灯りを置いて、そのまま寝台に腰を下ろした。ぎしっと軋んで重みに沈む。
もはや意図がまったく読めぬまま、ただ寝息の演技を続けるセリスの横に、ラムウィンドスが身体を投げ出した。
「わー!!」
体と体がぶつかった。もともとドキドキと激しく鳴っていた心臓が飛び跳ねて、セリスも飛び起きた。
「ああ。起きていましたか」
横たわったまま、ラムウィンドスがしれっと言う。しれっと言った。
信じられないものを見る目でセリスは問いかけた。
「何をしようとしましたか!?」
「隣で寝ようと考えていました。すごく眠い」
「部屋を間違えていませんか?」
「間違えていません。姫の部屋で姫の寝台で寝るつもりでした」
何を言っているのか、さっぱりわからない。
「変ですよ」
「変でいいですよ」
「いえ、この場合、よくないのはわたしの方であって」
ラムウィンドスは、ふう、と息を吐いて身体を起こした。もともと、長い脚は寝台におさまりきっていなかったようで、寝台に腰かける体勢になる。
「姫はいつもとても気持ちよさそうに寝ていましたので。きっとここで寝たら気持ち良いのだろうと考えていました」
いつも。
そうだ、いつも見られていたのだと思いつつ、セリスも並んで腰かけて前を見つめつつ言った。
「それならわたしは、どこか別の場所で寝ます」
「どうしてですか」
「どうしてって……。このままではわたしとあなたが、一緒に寝ることになります」
それまで、意味不明ながらもぽんぽんと返してきたはずのラムウィンドスが、不意に沈黙した。
しん、と辺りが静まり返った。
「ラムウィンドス……?」
恐る恐る声をかけると、掌で額から目元をおさえつつ、ラムウィンドスが呟いた。
「気付いてしまいましたか」
「何をですか」
「俺があなたと寝ようとしていることです」
どう反応すればいいかわからない。正直、まったく、わからない。
「狭いですよ……」
「それはまあ、その通りですね」
考えを述べて、肯定されたけれど、事態に変化はなかった。
「あなたがわかりません……。わたしは旅暮らしも経験しましたので、絨毯の上でも寝られます」
ラムウィンドスに立つ気配がなかったので、セリスが立った。本当に、何もかもわからなかったので、少し落ち着こうと思ったせいだ。
けれど、手がラムウィンドスの手に捕らえられて、その場から離れることがかなわなくなった。
「あの」
振り返れぬまま、少しだけ咎めてみたのに、まったく効果を発揮しなかった。手を放してくれない。
そのまま、背後から厳然たる調子で言われた。
「わかりにくいですか。では、わかりやすく口説いてもいいですか。歯止めがきかない自覚があります。あなたが怖がっても、止められない」
「それって、ラムウィンドス、わたしのこと」
ぐずぐずと確認する隙など、もう与えてはくれなかった。
後ろから、強い力で引かれてセリスは観念して目を瞑った。
寝台の上に引き倒される。ラムウィンドスがのしかかってきて、組み敷かれる。
「怖い思いをしたと聞きました。こんなときに俺は姫に、手荒なことはしないと思っていたのに」
乏しい明かりの中で呻くラムウィンドスに、手足を縫い留められて身動きがかなわず、セリスはしずかに言った。
「離してください」
「……あと五秒」
切実な懇願から、測ったように正確な時を経て、ラムウィンドスは拘束をといて立ち上がった。
背を向けられる。
素早く立ち上がったセリスはぶつかるように背にしがみついて、その身体に腕を回した。
逃がさない。
「離してくれないと、わたしがあなたに触れられないんです。止めてなんて言ってません」
「姫」
「あなたは五秒で満足みたいですけど、わたしは全然足りません。……わたしがいいと言うまではこのままですよっ。離してなんかあげません。少しは思い知ってくださいっ」
振り払われまいと腕にぎゅうぎゅう力を込めると、溜息をつかれた。怯みそうになったが、絶対に離すものかとますます意固地になってしまう。
「俺の腕が手持無沙汰です。俺もあなたを抱きたい」
思いつめたような声での申し出を、セリスはすげなく却下した。
「だめです。あなたの力は強すぎるから、息の根を止められてしまいます」
「姫の力も十分強いですよ」
困惑の声を聞き流して、セリスはひたすら力を加え続けていたが、ふっと気を抜いた瞬間に腕を外され体勢が入れ替わっていた。
「捕まえました」
そのまま腰から抱え上げて持ち上げられる。顔がぶつかりそうなほど近く、息を呑んだが「俺の肩に腕を回して」と言われておとなしく従ってしまった。
もう離れられない。
至近距離で、泣きそうなほど切ない目で見つめられ、唇を奪われる。
しがみつく腕に力を込めて、セリスは瞼を閉じた。
* * * * *
草原の民アルファティーマとの敵対は鮮明となり、東国との仲はこじれ、手を貸してくれるのは今まさに四方を敵に囲まれた古き帝国のみ──
隊商都市としての存亡を危ぶまれるマズバル。
そしてまた、アルファティーマに狙われ、喉元に牙を突き立てられて食い破られるときを待つだけのイクストゥーラ。
動乱の時代は訪れることもなく、ただ強者によって踏み散らかされるだけの未来があるのかもしれない。
にわかに迫りつつある滅びの予感に身を浸し、行末も知らぬまま、傷ついた都市の夜は更けていった。