長い一日の終わりに、再びの夜(前編)
もうずいぶん前のこと。
誰も訪れることのなかった離宮で、はじめてひとを迎えた。
年頃になったので王宮に呼ぶと伝えられ、離宮には兄であるゼファードが迎えに来た。
けれど、思い切って開け放ったドアの前に立っていたのは──。
* * *
騒動から丸一日。夜。
日中の、殺気立っていた王宮の気配も今はどこか遠い。
たくさん殺し、殺されたとのことだった。人だけではない。建物や街並みにも爪痕を残して、隊商は姿を消していた。忽然と消えたという綺麗なものではなく、課題と問題を積み上げて行った。
ライアはなし崩しに王宮に滞在し、帝国からの助っ人の補佐をしていた。「この人字が汚くて仕事にならない」と言いつつ、妙にイキイキしていたのが印象的だったが、セリスの腫れた頬を見たときには悲しそうな顔をして抱きしめてくれた。
また、アーネストに聞いたところによると、ロスタムはとある少年とともにアスランディア神殿の預りとなっているらしい。アルザイとの対面はまだ先になりそうとのことだった。
セリスは、飄々として何事もなく元気そうなエスファンドら学者たちのもとにいたが、夕方早々に解散となった。そのまま部屋に戻ったら寝台の上に倒れこんでこんこんと寝てしまった。
起きたら部屋の中が真っ暗で、目が慣れるまでじっとしていたところだ。
(生きている……)
暗闇に手をかざして、虚空を見る。
とても怖いことがあった。死ぬかと思ったときに胸にあったのは、ラムウィンドスにひとめ会いたいという思いだけだった。
会って何をどうすればいいのかわからない。すがりついて安心したかっただけかもしれない。
自分がそうしたいのは、この世でたった一人だと強く思ってしまった。他の誰にも触れられたくない。一刻も早く会わねば。息ができなくなる。
アーネストは、それを叶えようと言ってくれた。
けれど、そんな場合では無いのはよくわかっていたから、自分に出来ることをしようとした。「もっと他にやることがある」優先すべきは、ラムウィンドスに会うことではない。
わたしはまだ大丈夫。誰かに首を絞められているわけじゃない。息が止まるなんて思い込み。
心のどこかで。
恐れていたのかもしれない。
自分が求めるほどにあの人は自分を求めてなんかいない。会いに行っても邪魔にされるだけかもしれない。それくらいなら、無心に動き回っていた方がいい。そうすれば、再会できたときに「姫もよく頑張りました」と言ってもらえるかもしれない。そのくらいは願っても良いはず。
もちろんそれ以上なんて、望んでいない。
そう思い続けていたのに。
(あの人によく似た人に甘く囁かれて、微笑みかけられた瞬間、何かが折れてしまった。自分がそれを切望していることをまざまざと思い知らされた。おそらく、見透かされていた。わたしのこの満たされない、寂しさを。どうしようもなくあの人を求めている浅ましい欲望を)
欲しいのは本物で、似た人なんかではないのに。手を伸ばせば届くと、唆された気がした。もし本気であの男、サイードがすべてを奪おうと決めて向かってきたら、どこまで拒めたのだろう。
怖かった。自分の弱さが怖かった。
(会いたいけど、会いたくない。今のわたしを見られたくない)
誘惑されたことを忘れたいのに、乱暴に貫かれた耳が痛い。
「ラムウィンドス……」
両手で顔を覆う。声を殺して泣いた。涙が溢れて止まらなかった。
今一番会いたくて、会いたくない。いっそ王宮を出てしまえば。近くにいるから歯止めがきかないだけで、離れてしまえば欲望はいつか枯れてくれるかもしれない。
居て欲しい人が隣にいないまま考えるのは、どうしたって諦める方法だけだった。
考えて、考えつくして、いっそ消えてしまいたいとまで思いつめたそのとき。
ひそやかに、ドアが叩かれた。
「姫。夜遅くに悪い。ラムウィンドスです」