痛いから(後編)
ラムウィンドスの帰還を王宮の入り口で待とうとするセリスを、アーネストは止めた。
「無事はオレが伝えるから、少し休んで。今の姫さまを見たら心配させるだけやで。まだ頬が腫れとる」
「休むのはアーネストが」
「オレの方が姫さまより体力あるんやなぁ、これが」
「わたしよりずっと働いています」
アーネストは、つべこべ言っているセリスの腫れた頬に手を伸ばす。だが、触れる前にセリスがひどく怯えた目をしていることに気付いて手をおろした。
半歩軽く下がって距離を置き、目を見て笑いかける。
「あいつには久しぶりに会うんやろ。綺麗にしとき」
言われたセリスがどんな反応をしたかは見ずに踵を返して、その場を後にした。ラムウィンドスを迎えるべく、王宮の入り口に向かう。
ほどなくして、ラムウィンドスが姿を現した。
石段の途上、柱にもたれかかって待っていたアーネストを、階段をのぼりながらラムウィンドスが見上げる。何人か従えていたが、ラムウィンドスが歩調を緩め、手で軽く合図を送ると、いずれも追い越して先に王宮に入って行った。
「派手にやられとるなぁ」
あと三段という距離でラムウィンドスは一度立ち止まった。
頬から血を流した痕があり、手足を衣服の上から切り裂かれ、自分の血とも返り血ともわからぬものに塗れて白金色の髪もところどころ血に染まって絡まっている。
「お前は無事で何よりだ。少し休め」
固い表情で言うと、顔を前に向け、階段を上るのを再開する。
真正面にきたところで、アーネストは声をかけた。
「姫さまは無事やないで」
ラムウィンドスが足を止める。感情のないまなざしでアーネストを見る。
「生存の報告は受けている」
「気にしてはいたんやな」
「お前がついてるのは知っていたから、他を優先した」
そのまま、通り過ぎようとする。
アーネストは苛立ちのままに、ラムウィンドスの腕に掴みかかった。
「俺はあの人のこと、守り切れんかったって言ってるんやけど。気にならんの?」
掴んだ手に手を置いて、ラムウィンドスはアーネストの目を覗き込んだ。
「もし俺に身体が二つあったら、もう一つはアーネストというんだ。お前の働きに不足があったとは考えない。俺が出来なかったことは全部やってくれたと考えている」
金色がかった瞳に見つめられて、アーネストはおさえきれなかった感情を暴発させた。
「アホ。そんなわけあるか。俺はお前やない。どうやったってなれんのやッ」
「俺になってどうする。今のままで十分だ」
「十分やない……ッ。姫が一番辛いときに必要としたのは誰やと思うてる!? 俺やないからな!!」
「それでも。その時その場にいて姫を助け、姫を支えたのはお前なんだ。俺はお前になりたいよ」
アーネストが拳で殴り掛かり、ラムウィンドスはふらついた足でかろうじてそれをかわした。
「踏み外したら死ぬところだった」
言いながら、階段を上り切る。そのまま長い足で大股に歩き続ける。
その背をアーネストは追いかけた。
「殺すつもりだったからな」
「それなら、外すなよ。死にそびれたじゃないか」
肩越しに振り返った顔が。目も、口元も。
笑っていた。
「わかった。次はかわさんといて。しっかりあててやる」
「嫌だ。今晩は姫のそばで休むと決めているんだ。本当を言うともうずっとそれしか考えていない。それまで死にたくない」
「……おぉ」
聞いてもいないことまで、吐きやがった。
あまりにもきっぱりと言い切られて、アーネストは振り上げた拳を中途半端なところで止めた。
(ずるい男やな。こんな時だけ)
口調とは裏腹の、切実すぎるまなざし。脆さと繊細さと悲しみを湛えた瞳。
不意打ちに、胸を裂かれる。
「俺は邪魔する気なんか無い。好きにすればええわ」
捨て台詞にしては気弱な呟きをもらして、アーネストは深い溜息をついた。
すでに前を向き、歩きだしていたラムウィンドスは、アーネストが足を止めたことに気付き、わざわざ引き返してきた。
どんどん近づいてくる、と思って見ていると、近づくどころではなく、あっという間に額に額を思い切りぶつけられた。
かわせなかった。
「痛ッ。なんやの……」
「べつに。愛情表現」
アーネストは額を手でおさえたが、ラムウィンドスもまた自らの額を手でおさえていた。
(涙が出る。痛すぎやで)
「お前の愛、ヤバイやつや。姫さまにはやめてな。痛すぎるやん、こんな愛」
「余計な忠告だな。この愛情表現はお前限定だ」
「嬉しくないんやけど。ようわからんし」
「察しの悪いふりして何度も俺に愛をねだるなよ。好きだって言ってんだよ馬鹿」
売り言葉に買い言葉で、口喧嘩には強いのがアーネストの身上であったが。
この時は本当に、頭の中が空白になって何も言えなかった。
ふっと息を吐いて、ラムウィンドスは再び歩き出す。
(なんやの。いまの)
苛立ちや不満や怒りが、一瞬どこかに行ってしまった。何が起きたかわからぬままアーネストは所在なさげに佇んでしまった。
「おかしいやろ。あいつ、寝ないと、だめになる奴やったっけ……?」
誰にともなく呟いたが、もちろん答える者はいなかった。