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封じられた姫は覇王の手を取り翼を広げる  作者: 有沢真尋
【第五部】 隊商都市の明けない夜(後編)
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彼の刻印(3)

 乾いた唇が唇をかすり、セリスは咄嗟に転がるように身を翻した。 


「いまの……」


 そういうことをされたのは、初めてではない。何が起こったのか、わからないわけではない。

 この場合、あまりにも無防備であった自分に驚いていた。いくら似ているとはいえ、別人だとわかっている人に、一瞬でも気を許してしまった事実に痛いほど動悸がしていた。

 サイードと名乗ったその人は、ふっと笑いの息をもらした。


「あなただから逃がしてあげたよ。無理強いする気はない」

「あなただからって……、わたしの何を知っていますか」


 どうにでもできる、と言わんばかりの態度に、セリスは強気に言い返す。

 サイードは微笑んだまま言った。


「頬が腫れている。辛い目にあったようだ。まだ痛いのでは?」


 セリスは思わず、片手で頬をおさえた。

 全身から力が抜けてしまいそうで、セリスはなんとか意地を張ろうと試みる。今弱気になったら、この人には押し流されてしまう。

 その心を見透かしたように、サイードはしずかな声で言った。


「あなたはラムウィンドスのことが好きなのか。俺は君に残酷なことをしたか?」


 セリスは歯を食いしばったが、呻き声をおさえることができなかった。

 歯列の合間から、本音が零れ落ちた。


「い……や……な、ひと」


 声を立てず、サイードは品のある笑みを浮かべた。


「可愛らしいね、セリス」

「あ、あの人は、わたしのことをそんな風には呼びませんので!」


 別人だ。絶対に別人だ。もう気を許したりしない。

 そう強く自分に言い聞かせるセリスに対し、サイードはおかしそうに笑いながら言った。


「わかった。あいつのことだから、名前で呼んだことなんかないんだろう。幾つになったんだっけ。奥手なことで、少し驚いてしまったよ」

「あなたは誰なんですか……」


 めまぐるしく思いが駆け巡り過ぎて、セリスは多大な疲労とともに、ごく正直な疑問をぶつけた。


「自分から言うのは結構抵抗があるんだけど『おじさん』だ」

「おじさん」

「言わなくていいよ」


 黙れと言外に告げられた気がして、セリスは口をつぐんだ。

 サイードは自分の耳に手を当てると、つけていた耳飾りを外した。

 小ぶりな宝石のついた控えめな意匠のもの。

 セリスが何をと思う間もなく、立ち上がって距離を詰めてから膝をつき、セリスの左耳に針の部分を突き刺した。


「いっ……」


 痛みと衝撃に息が止まり、じわりと涙が滲む。

 サイードは何事もなかったように立ち上がり、そのままドアに向かった。


「後で外すように。穴をあけたばかりは傷が化膿しやすい」


 あまりにも突然のことで、セリスは耳をおさえたまますぐに外すこともできずに呆然とサイードを見上げた。


「どうして」

「今はあまり時間がないから」


(それは答えなんだろうか)


「連れが用心深くてね。色々片付くまで休んでいろとは言われたが、そろそろ行く」


 戸口から薄く差し込む暁の青い光の中で、サイードは感情をうかがわせぬ表情で言った。


「私のこの目に光があるうちに、あなたに会えて良かった。これからは、月を見上げるたびにあなたを想うだろう」

「サイード」


 行こうとしていると気付いて、セリスは名を呼んだ。引き止めるつもりもなかったのに、なぜ声をかけてしまったのかはわからない。

 サイードは血の涙を流したような目は閉ざしたまま、もう片方の目では笑って言った。


「名前を呼んでしまったから、あなたも俺を忘れられなくなる」


 そして去った。



 しばらく呆然としていたセリスだが、はっと気づいて左耳から耳飾りを外した。

 誰かがこの場にいたと知ったら、アーネストが気にするだろう、と自分には言い訳をした。

 ただ、その耳飾りを捨てることをせず、懐に忍ばせてしまった理由は自分でもよくわからなかった。まるで隠すような行為であるとの自覚はあった。


 耳飾りを外したあとも、貫かれた左耳はじくじくと痛んでいた。 

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✼2024.9.13発売✼
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