痛みを持って与える者(4)
「アルザイかラムウィンドス、どちらかの首は必要だ」
利き手と片目を刺されつつ、悠然と言い放つサイードに、アルスは「だめだ」と答えた。
「あれは、似ているがアルザイじゃない。諦めろ」
かばわれた形となったロスタムは、自分を決して見ようともしないその人の後ろ姿へ、厳しい目を向けて言った。
「アルス。何をしに来たんですか」
「鷲使いがいると聞いて、見に来た。いらんことに首をつっこんでいるようだが、実力の差くらいわきまえろ」
振り返らぬまま、アルスは答える。実に苦々しい口ぶりだった。
アルスの正面に立ち、その表情の変化を追っていたサイードは、感心したように言った。
「お前にも泣き所があったんだな」
「サイード。馬鹿なことを言っていないで、行くぞ」
行け、ではなく。行く、と。
その場にいた誰もがその言葉を聞いた。
ラムウィンドスの瞳の温度が、下がる。凍てつく視線。
「叔父上と共に行くのか、アルス」
冷然とした声で確認をする。
アルスは紫色の瞳を険しく歪めて、肩越しにラムウィンドスを振り返る。
「二度とマズバルに戻るつもりはない。後はお前たちでどうにかしろ。アスランディア神殿に新たな長が必要なら、私が後継者に指名したい相手は偶然にもこの場にいる」
「それは鷲使いのロスタムのことか。アルザイ様に渡す気はないと」
「私が育てたんだ。アルザイはロスタムの存在も知らない」
視線はラムウィンドスに向けたまま。
決してロスタムを見ようともせずに、アルスは似合わぬ早口で言った。そこに人間らしい動揺を見て取りながらも。
頬や手足に受けた傷から血を流しつつ、ラムウィンドスが冷ややかに尋ねた。
「二度と戻らないと言ったな。どうして、この場から立ち去れるつもりになっている?」
響きは冷たいが、ただならぬ熱がその一言にはこもっていた。
アルスはそれを受け流すかのように、冷めきった態度を取り戻して言った。
「大局を見ろ。アルザイはキレているし、王宮も無事ではないはずだ。お前はこれだけ時間をかけてこの男一人倒せなかった。時間切れだよ。いい加減諦めて、さっさと指揮に入れ。サイードも、引き際を見誤るな。その目、ひどいな。失明するだろう」
なおも言い募ろうとしたラムウィンドスの腕に、エルドゥスが掴みかかった。
「正論です。時間を使い過ぎました。敵はあの男だけではないはず」
「災厄を運んだアルファティーマ人が、どの面下げてそれを言うか」
手厳しい言葉にめげず、エルドゥスはラムウィンドスを掴んだ手を放さなかったし、ラムウィンドスも強いて振り払わなかった。
頭ではわかっている。負けを認めて次なる行動に出なければ、と。
秀麗な顔に、敗北を悟った怒りが滲む。その顔をちらりと視界に収めつつ、アルスはロスタムの方へと顔を向けた。
「ロスタム。私たちを追いかけてはだめだ。お前も何かやることがあるはずだ。……月の姫だが、暴徒化した男に襲われていたようだ」
ロスタムはアルスを見て、すかさず言う。
「姫にはあの、キラキラした男がついてるはずだ」
「さて。アーネストといったか、あの男は別の場所で交戦中だったが、間に合ったかな。姫は派手に殴られ、手ひどい暴行を受けていたようだが」
素早く歩み寄ったサイードの背を軽く手で押して、歩くように促しつつ、アルスは噛んで含めるように言った。
「セリスのことだよ。怪我で済んでいればいいが」
「お前は」
ラムウィンドスの繰り出した剣は、雷撃のように空を引き裂き、避けきれなかったアルスの肩口に食い込んで血を流させた。
次の瞬間には、そのアルスを腕に抱き込んだサイードの剣が、続くラムウィンドスの剣に応じていた。
かばわれた位置から、アルスが瞳に奇妙な優しさを浮かべてラムウィンドスを見た。
「激情に身を任せるのは結構だが、今この都市ではそういったことがあちこちで起きている。お前が守る責務があるのは、姫だけじゃないだろ。鎮圧に動けと言っているんだ。そうこうしているうちに被害はますます大きくなる」
さらに、サイードがかぶせるように言った。
「今回の件で、東国と草原を一度に敵に回し、隊商都市は厳しい立場になるだろう。都市もこの有様だ。復興に時間がかかるようなら、その間に、私が月を落としておく。……あの国は砂漠が落とすものと待っていたが、お前らは見せかけだけでまったく動くつもりがない。ゼファードに関しては、温情のある殺し方を約束する」
「叔父上……! どの口が温情などと言うかッ。ゼファードに手を出すことは許さない!!」
「大きな口をきく。ならばまずは、足元の火を消せ。今からでも被害を抑えろ。お前は自分が死なないことを優先しろ。救うべきは、ゼファードだけではないはずだ」
ラムウィンドスの背後で、ロスタムが「姫様のことは」と呟く。
顔を怒らせたまま、ラムウィンドスはようやく、剣をおろして身を引いた。
「行くぞ」
アルスが、ラムウィンドスと睨み合ったままのサイードに声をかける。ふっと顔をそむけて、サイードはアルスの導く方へと足を向けた。そして闇の向こうに去った。
すかさずロスタムが弓に矢をつがえて射たが、無造作に剣で叩き落されて終わった。
「協力を願う」
いつまでも後ろ姿を見送ることなどはせず、ラムウィンドスはその場に残った面々に短く告げて行動を開始した。