帝国の炎(3)
「とぼけている場合ではないぞ。さっさと態度を決めろ。アルザイ様の不在は明らかにおかしい、あなたがたの企ては成功しない。私が何故ここにいるかは先程述べた通り。帝国はいま少々人手不足なので、めぼしい人材を探して歩いているんだ。むざむざ死なせたくないという私のこの真心を受け取ってくれ」
真心。
「もう少し……具体的な報酬などを提示された方が動きやすいのではないですか」
「報酬か……」
思わずライアは横から口を挟んでしまった。
イグニスはちらりとライアの顔を見たが、すぐに目を逸らした。
「帝国、お金ないんですか?」
ライア、思わずの追撃。
「無……っくないですよ。どれだけうちを貧乏扱いしたいのか知りませんけど、私だってかなりの給料をお約束いたしますね」
「あなたはそんなに偉いんですか?」
「帝国にご同行いただければ最上級のもてなしを約束しましょう。ちょうど良かった、私はぜひともあなたも連れて帰りたかったんです。美しき砂漠のラクダ……」
今、何か、変なことを言われたな、とライアは首を傾げた。
「なぜ私をラクダにたとえましたか?」
「価値あるものに例えられると嬉しいのではないですか? 砂漠とくればラクダでしょう」
「あなたの姫君は真珠で私はラクダなんですか? ラクダの顔、しっかりご覧になったことありますか?」
「……可愛らしかったと思うが」
ライアに淡々と責められたイグニスは、ここにきてはじめて困った顔をした。責められているのはわかっているが、自分の何が失言だったのかは本気でわかっていないようだった。
「あなたが運命の女性に会えないのがよくわかりました。会えないのではなく、皆目が合う前に顔を逸らしてしまったのだと思います。あなたに運命だなんて思われたくなくて……」
「こんなにいい男なのに……!?」
自信満々な落ち込み方をするイグニスをさておき、ライアは一同を見渡した。
視線を最後に止めたのは、マズバル家臣団の中でも老齢にある男だった。
「帝国に恩を売ることをお勧めします」
ライアとは口もききたくないかのように、男は黙ったままだった。そこに、重ねて言った。
「帝国、困ってますし。東国の方々はアルザイ様の首を取れないならなんで王宮にいるのかなって空気になってますし。この二つには手を組んで都市を出て行ってもらうとして、今は市内に入り込んだアルファティーマを敵と定め、掃討するのが一番ではないですか」
老齢の男は皺でひびわれた顔に表情らしい表情を浮かべずに言った。
「遅い。アルザイ様は侵略者を決して許さない。その者たちにはもはや生きる道はないっ」
言い終わり様、両陣営にめまぐるしい動きがおとずれ、各々刃物を構える形になった。
ライアが制止するより先に、イグニス立ち上がった。
「いい加減にしろ! 私は人の無駄死にが大大大嫌いなんだ!! 双方剣をひけ、道はある!!」
居並ぶ者たちの、殺意を帯びた視線にも動じずに、イグニスが前に一歩踏み出した。
「思い出せ!! 我らが敵はアルファティーマだ!! ここで殺し合っている場合ではないぞ。私は何度もアルファティーマとの戦を経験をしているから知っている。奴らに慈悲はない。すでにある命、これから生まれ出る命、そのよろこびも悲しみも等しく砕かれ、奴らの通った後には何も残らない!! 敵はあいつらだ。セキよ、部下に剣をひかせろ。アルザイ様との交渉は私が受けもつ。絶対に死なせない。無益な闘争はするな」
肩で息をするほどに、烈しい口上を述べ立てたイグニスを、セキは澄んだ黒瞳で見た。
やがて、部下に手で武器をおさめるように指示を出した。
「宰相のイグニス……。名は聞いたことがある。『帝国の炎』だな。皇帝の寵臣がなぜここまで来ているのかわからないが……。噂が確かなら、あなたに命をゆだねるのも良かろう。こちらも色々と不具合があって、王宮を生きて出られるとは思っていなかったところだ」
思いがけず穏やかな態度だった。
それが何に起因するか──たとえばロスタムの襲撃によって隊にどれほどの動揺があったのか、また王宮内外で手引きするはず者の動きが見えなかったことなど──セキが計画の綻びによって、諦めたその理由のひとつひとつ、このときのライアの知るところではなかった。
ただ一つ。
この場にいないアルザイやラムウィンドスが対応に入っている場では、おそらく流血は避けられていないはず。
しかしながらこの日、多くの血が流れる惨劇が予感された王宮では、血の一滴も流れることなく事態が終結に向かう。
それは、武器も味方も何一つ持たない一人の青年の働きによるところが大きい。
遠く東の果てからの旅人をして「帝国の炎」と呼ばれた彼は、とてもひそやかに呟いた。
「それでいい。どうせ死ぬのなら、そのすべては陛下のために」