この手で守るべきものを(3)
「お前……!!」
首をおさえた男が、少し離れた位置に片膝をついた姿勢でセリスを睨みつけていた。
指の間を血が伝っている。まったく、当たらなかったわけじゃない。
身を起こしながら、セリスはナイフを構える。
「優しくしてりゃ付け上がりやがって。もっと痛い目みないとわからないみたいだな!」
「それを優しいと思っているのが、そもそもおかしいんですよ!!」
身体の震えが指先まできている。このままではナイフを取り落としてしまうと、セリスも声を張り上げた。
「一発しか殴ってねえぞ」
「だめの中では良い、みたいな理屈は聞けません!! こんな暴力は、はじめから一切合切すべてだめです!!」
「うるせえなっ!!」
気の強さほどに、腕が強くないのは自分でよくわかっている。
相手が動く気配を見て、セリスは反射的にナイフを投げつけた。男がかわす一瞬で、自分の腰にあった剣を抜く。
「やる気かお姫様」
セリスは相手の動きをじっと見る。笑っているし、全然余裕だが、切られたことで獰猛になっている。もうセリスが弱いだけの女とは見ないだろう。
反面、手足が震えているのを意志の力で止められないセリスは、自分自身を弱いと認識してしまっている。
(わたしのこの体は、守らなければならないのに)
脳裏をよぎったのは、誰よりも強いひとの後ろ姿──ラムウィンドス。
すぐに男が動く。
習った通りに剣を振るおうとしたのに、いくらもしないうちに距離を詰められ、剣を叩き落された。腕を掴まれ、抗う間もなく腹を蹴り上げられる。嘔吐いて、酸っぱい味が口の中に広がった。前髪を掴まれて、顔を引き上げられた。
間近で生温い息を吹きかけられて、セリスはせめて目だけで睨みつける。
「さて」
男が舌なめずりをするように声を発したその時、遠くから走りこんでくる足音があった。
「姫さまっ」
声を聞いた男が、咄嗟にセリスの首に腕を回して締め上げようとする。
人質になどとられるつもりのなかったセリスはここぞとばかりに暴れた。
到着したアーネストは、立ち止まらぬまま、一切の躊躇なく剣を振るった。
応戦すべく、男がセリスを投げ捨てる。
まだ腹を蹴られた衝撃はあったが、草地に転がり落ちたときに指先が剣の刃に触れた。震える指で、なんとか柄を探り当てる。片膝立ちしながら、剣を正面へと突き立てると、男の脇腹に届いた。ぐりっと肉をえぐる得も言われぬ手ごたえが伝わる。
同時に、アーネストが致命傷を与えたようだった。
男がくぐもった呻き声を上げ、やがて絶命する。
剣を抜いたアーネストは、その場に剣を置き、動けなくなっているセリスに歩み寄った。
「姫さま、怪我……」
アーネストの指が頬に触れた瞬間、セリスは勢いよく身を引いた。
その動きにアーネストは目を見開いた。
「怪我、見せて。殴られたんやないの!?」
「……わかっているんです、けど」
全身を這い回る手指の感触がよみがえって、うまく話せない。
アーネストが脅威だと思っているわけではないのに、差し出された手に縋れない。
二人の間に空いた距離を詰めることが、どうしてもできない。歯を食いしばっても、堪えようのない涙が零れ落ちて来た。
「ごめんなさい……」
「なんで謝っとるの」
「うまく戦えなくて」
「そんなこと」
差し出した手をゆっくりと握りしめて、アーネストはセリスを見下ろした。
「俺はこの後どうすればいい? 壁の方はおっさんの兵が対処する。姫さまは……」
蹴られたお腹が痛すぎて、何も考えられない。
目を瞑って、呼吸を整えた。
「アルザイ様に、アルス様と連絡がついているか確認して……。それから……」
願いはある。ただ口にすべきではないと思ってしまっている。
(ラムウィンドスに会いたいだなんて)
腹を腕でおさえながら、俯いて唇を噛みしめたセリスを前に、アーネストは抑制のきいた声で言った。
「あいつを探すっていうなら、姫さまを連れていく。俺を頼りなよ、いつもみたいに。いいんやで」
歯を食いしばって、涙を手の甲で拭きながら、セリスは力なく頷いた。