この手で守るべきものを(1)
※暴力描写有り。
アーネストがその場に駆け込んだとき、すでに暴漢に切りかかっている男の姿があった。
ひと目見ただけで、闇に舞う黒鷲のごとき男の素性に思い当たる。
相手もまた、アーネストを素早く視認したようだった。
互いに敵は誰かを間違うことはないので、言葉は交わさず。
視線だけで、相手の狙いを確認し、アーネストは女性を組み敷いていた輩を切り捨てた。
同時に、先行していた男は剣を抜いた二人を相手取り、危なげなく切り伏せていた。
もとは深紅であっただろう長衣に血を浴びながら、貫くように絶命させた男の身体から剣を引き抜く。
「お前か。セリスはどうした」
その服装や頭髪の乱れ、返り血の量を見るに、ここに至るまでかなりの戦闘をこなしてきたと思しき隊商都市の長は、それでいて存外に凪いだ声だった。
「無事やけど。そう思って、例の鷲使いから追手もひかせたんやないの」
「追いかけても良かったんだが、人手が惜しくてな。旧市街に姿を消したところまでは聞いた。それでなんで、ここまで戻ってきた。戦場だぞ」
アーネストは、息絶えた男の身体を押しのけ、その下で身動きとれなくなっていた女性に視線をやった。顔に殴られた痕があり、衣服がまともに残っていない。生きてはいる。黒髪に黒い瞳、年の頃はセリスとあまり変わらなそうな……。声をかけるか迷って、「何か布、綺麗なの」とアルザイに向かって言う。すぐに、そんなものは持っているはずがないと気付いて小さく溜息をついた。
辺りには五人の男の死骸が転がっている。
「オッサンは何を追って来たんや」
こんな道から外れたところに、無目的に現れるのはいかにもおかしい。
そう思って聞けば、バタバタと数人の足音が聞こえた。
(ああ、別に単独行動やのうて兵も引き連れて……)
「一区画、焼いた」
アルザイは、一度聞いただけではわからないことを、さりげなく言った。
「……焼いた?」
全身に力が入っていないように見える立ち姿であるが、すぐにでも剣を振るえる体勢をしている。
なんだこれはと思いながら、アーネストも次なる戦闘に備える。
「あれ、オッサンところの兵やなくて、敵か!」
「おう。存分に働け」
質問に対し、余裕すら漂わせる美声で答えられて、アーネストは倒れたままの女性に一瞬だけ視線を向ける。
「動けないなら動かんでええ。目を瞑っていればすぐに終わる」
辺りには、むせかえるような濃厚な血の匂いが立ち込めていた。
耳をすませば、女声の悲鳴が遠くでかすかに聞こえた気がする。
(姫さま、無事でいてな。どこもかしこも戦場やで)
アーネストは走り込んできた者を迎え撃つ。十人弱か、互いに交わす言葉の様子や背格好、体格などを見て東国人とあたりをつける。
相手の不意をつく形で、アーネストは一人目、剣を振り上げて肩口から腕を斬り飛ばした。
剣を握ったままの手が、重い音を立てて地に落ちる。
後は乱戦となった。
(嫌やな)
と思ったのは、おそらくアルザイも同じだろう。
これまで薄々気付いてはいたが、本当に、嫌になるほど息が合う。
声を掛けずとも、相手がどう動くかが予測できてしまう。アーネストは一度アルザイの危ういところを剣で防いだが、アルザイには二度背を守られた。
全員を切り伏せたところで、息を整えながらアーネストは聞いた。
「何が起きとんのや。俺が今斬ったのは誰やの」
アルザイはアーネストの主君ではないが、この都市においてその行動は絶対だと信頼しているからこそ、疑問は差しはさまずその指示に従った。とはいえ、確認くらいはしたい。
「今回の隊商……。口を挟んできた帝国が、皆殺しにすべきだと。取り合う気はなかったが、市内の東国人の聚落を見に行ってみた。不思議と留守か空き家が多くてな。まあ、この日にそうだということは偶然ではないだろうと、念のため焼き払った。後は見つけ次第殺している。この方角に向かう者が多かったので、気になって深追いをしてしまったが」
どこかでまだ、争うような声が聞こえる。
「鷲使いからの伝言や。この辺の市壁の一部に壊しやすい部分があるらしいわ。こっちに向かって逃げてる奴は、間違いなく狙いがそこやな。外にお迎えがきているのかもしれんね」
「そうか。そんな抜け穴があったとは知らなかった。すぐに兵をまわそう」
アーネストは溜息をついて、ふらりと歩き出したアルザイの腕を掴んだ。
掴まれて、怪訝そうに視線をくれたアルザイに対し、できるだけ抑えた調子で言う。
「熱くなってんのと違う? ここには、他の人間をまわせばええわ。陛下はここにいていい人やない」
「俺の街のことだ。この手で育て、守り、ここまで……俺が」
「守り切れなかったことに動揺して、壊すなら自分の手でゆうこと? それで焼いたん?」
「動揺」
「しとるわ、ボケ。不思議そうな顔すんなや。正気やない、ここで踏みとどまれ。さっさと正気に戻れ」
矢継ぎ早に言うアーネストに、アルザイは困ったように首を傾げた。
「お前は何をしているんだ?」
「俺は姫さまと、壁の確認にきた。こっちに兵まわす余裕あるならまわして欲しいとこやけど……。交戦せんで、都市内の味方は全部殺したって壁越しにでも脅せば、案外お迎えは引き上げるかもしれんね。王宮が攻め上られていないのだとしたら、今回は、略奪だけで都市を落とす目的やないように思うわ」
ただし、都市の長の号令一下、常駐の商人聚落を焼き、隊商の東国人を斬り殺したとあっては、東国が黙っているわけがない。否応なしに砂漠は戦乱に引きずり込まれていく……。
「アルザイ様!」
遠くから声と足音が聞こえた。兵が駆けつけてきたのだと知って、アーネストは小さく息を吐く。
アルザイはアーネストに対して、再び言った。
「セリスはどうした」
(姫さまならそのへんに隠れて……)
そう言おうとして、アーネストははじかれたように顔をあげて、何も見えない闇に目を向けた。
争う声が消えない。近いところで何かが起きている。気付いて、全身から血の気が引いていた。
「そのひと、助けておいてや! 陛下の民やからな!」
倒れたままの女性のことを言いながら、駆けだす。
最悪の予感を裏付けるように、声はアーネストの足を向けた先から聞こえていた。