四阿の二人(前編)
寝台に腰かけて、窓枠に半身もたれかかって、エスファンドはもう長いことすうすうという安らかな寝息をたてていた。
そのうち何か沙汰があると思って、床に転がされるままでいたリーエンであったが、一向に何の声もかからず、しまいに寝息が聞こえてくるに至り、まさかと思ってなんとか身体を反転させて師の様子を伺った。
風が時折、その前髪を揺らす。
闇に慣れた目には、窓から差し込む星月夜の弱い光だけで十分に師の横顔が見えた。
「んー……」
くっきりとした眉や睫毛に、陰影のある彫りの深い顔立ち。
こんなときですら、目にするだけで胸を疼かせる。
「んーんーんんー!」
気づいて欲しくて、縛められた状態から、リーエンは声を出そうともがいた。
いつまでもこのままと言うわけには。
「……なに?」
ゆっくりと目が開いて、穏やかな声がかけられる。
聞かれても答えられない。封じられている。膠着状態を抜け出すためにも拘束を解いてほしい。せめて口だけでも。
その思いはもう目で訴えるしかなくて、呻き声を上げながらエスファンドを見上げる。
ようやく視線が絡むと、師は笑った。
「その目はだめだよ、リーエン。私が加虐趣味の持ち主だったら、確実に最悪の嗜虐心を刺激してしまう」
加虐趣味とか。嗜虐心とか。リーエンとて、それが何を意味するか、わからないわけではない。先程この場にいた少年が躊躇いなく「拷問」と口にしたように。自分にもそういった、ただ日々を生きるためには決して必要とされない技術に関しての知識がある。
しかも、エスファンドからはこの裏切り者の不肖の弟子に対して、何か恐ろしいことをするとの宣言がなされている。
それでも、まず話したいのだと呻き続けると、立ち上がったエスファンドが近づいてきて、床に跪いた。指が、がっちりと口にはまった布を緩めてずらそうとする。
(先生。不器用すぎです……)
「むずかしい」
東西に名を轟かす才人が、弱音を吐いた。
「んん、んんん、んんー(落ち着いて取り組めば、なんとかなります!)」
励ましたい一心でリーエンは伝わらない声を上げ続け、エスファンドは時間をかけてもたつきながら布を緩めるのに成功した。
息が楽になり、声が出せる状態になったリーエンはほっとして言った。
「さすがです、先生」
「今、私をばかにしただろう」
「そんなことはありません。手放しでほめました。本当ですってば」
心から言っているのに、床に座り込んだエスファンドは明らかにぶすっとむくれてしまった。
(先生、天才だから、ばかにされるのに慣れてない……。心から褒めてるのに)
「すごく楽になりました。こうして先生とお話もできます。感謝しています」
「私は突き抜けた天才だから、滅多に人をばかにしないんだけど。だって少しくらいのばかとまともなんか区別がつかないくらい、私が天才だから。だけど、君はばかだろう。そもそもその拘束を指示したのは私だからね。私に陥れられて、私に救われて、私を讃えている場合なのか」
「先生はやっぱり優しいです……」
リーエンは本心からそう言ったが、エスファンドは再び重く暗澹たる溜息をついて、後ろに手をつき寝台にもたれて天井を仰いでしまった。
「最悪」
普段のエスファンドなら絶対に言わない単語が、リーエンの耳に届いた。
「僕だって、最低最悪でした。でも、先生が口をきいてくれて、それだけですごく幸せなんです。もう、何をされても構いません。先生……」
任務の失敗と命の危険を思えばこそ、熱に浮かされたような言葉は止められなくて。
しかも、目の前に落ち込んでいるような、弱気になっているような師の姿があるとあっては、かき口説かずにはいられない。
「僕に何をなさるつもりなんですか。先生がなさることなら僕にとってはすべて喜びでしかない……。それがどんなひどいことでも。ああ……拷問も知識としてはあるんです」
そう言いながら、拘束されて不自由な身をよじり、悶えるように閉ざされた内股をすり合わせるようにしてしまったのは、ほとんど無意識の動作だった。
熱烈なリーエンの告白につられたように目を向けていたエスファンドは、その動きを見て何度目かの、深く重い溜息をついた。
「君、普段はそういうこと言わないでしょ」
「言わないですね。僕がどれだけ先生を好きか言ったって、先生困るでしょう。いえ、僕の素性に気付いてらしたとすれば『お、色仕掛けがきたか』って思われてしまったんでしょう? 言わなくて正解でした。色仕掛けなんかする気も起きないくらい先生のことが好きで、好きすぎて」
「リーエン」