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封じられた姫は覇王の手を取り翼を広げる  作者: 有沢真尋@12.8「僕にとって唯一の令嬢」アンソロ
【第五部】 隊商都市の明けない夜(後編)

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汝の敵から目を逸らすなかれ(前編)

 ──違和感。


 頭の中で、いくつもの光景が断続的に繰り返される。

 優しすぎる笑顔。リーエンの頭を踏みしだいた足。

 拾え。

 答えはきっとそこにある。

 耳にした言葉を何度も胸の中で繰り返す。

 必ず──必ず意味がある。


 あれほどの警告を発していたエスファンドが、なんの手がかりもくれないはずがない。


 * * *          


「少し考える時間をください」


 隠れ家宿を出て、月明かりの街路を進みながらセリスが言った。

 すれ違う人の姿は、多くはない。繁華街のようなところからは離れているのだろう。

 物思いに沈んでしまったとはいえ、セリスの歩調は決して遅くはない。しかし、前を見ているかは定かではなく、肩を並べていたアーネストがその手を掴んだ。

 セリスが小さく息を呑んで顔を上げると、アーネストはさらっとしたいつもの調子で言った。


「転ぶ。怖くないなんて言わんといて。オレは嫌だよ、姫さまに転ばれるの」


 何かを言おうとして、アーネストの強い視線にあてられ、セリスはごくりと喉を鳴らす。

 早歩きで先に進んでいたロスタムは、暗い影となったプラタナスの木のそばに立って待っていた。風が吹いて、緑がざわめいた。

 手を繋いだまま、セリスとアーネストは歩き出す。温かく乾いた大きな手。旅の間、何度もこの手に守られた。

 セリスが、そっと横を見上げると、アーネストもまた見下ろしてきたところだった。


(これが最後……)


 言葉にできぬ想いをのせて、セリスは目を伏せる。

 自分が女であることを自覚し、それを使おうと決意した以上、周囲との関係性は意識して変えていかなければならない。

 アーネストはその最たる相手。

 曖昧な関係に寄りかかって甘えることは、もうできない。


「考えはまとまった?」


 アーネストに尋ねられ、セリスは一瞬視線をさまよわせてロスタムを探した。その姿を視界に収めて言った。


「さきほどのエスファンド先生の言動を考えていました。リーエンに対する冷ややかさ。普段の先生を知っていれば、すごく違和感のある行動なんです。あれには、きっと意味がある……」


「むかついたんやのうて?」


「先生は、何かに気付いているんだと思います。でも、それを言わなかった。言えなかったのか、言う気がなかったのかはわかりません。ただ、ロスタムに『師から指示はあるのか』と確認しましたよね。そしてロスタムの行動が、ロスタムの師であるひととの意志とは無関係と確認した。先生が示したのはここまで。……おそらく、先生の友人で、ロスタムの師である人のことを思って、先生は明確な助言を避けた。でも、リーエンを踏みつけるあの動作できっと示していたのだと思う」


「何を」


 当然の疑問に対し、セリスは唇を噛みしめる。

 追いついてきた二人を見て、ロスタムは再び歩き出している。その後ろ姿を見ながら、セリスはきつくきつく唇を噛んだ。


「血ぃ出る」


 繋いでいない方の手が伸びてきて唇に指が触れて、セリスは息を止めた。噛み締めた前歯と唇を、指でぐいっと遠慮なく押されてたまらずに小さく口を開いた。勢いで、アーネストの指を軽く噛む。


「!?」


 噛んだセリスが大きく目を見開いた。乱暴な仕草でさらに指が口腔内に押し込まれた。何かの間違いではと見上げたアーネストの表情は怖いくらいに真剣で、何を考えているのかが全然わからない。咄嗟に舌と唇の動きで指を押し出してから、セリスは呟いた。


「噛んじゃった。ごめんなさい」


 普段なら、そう言えば「ぼんやりしとるからやで」と笑うアーネストが、何も言わないまま顔を逸らしてしまった。そのまま歩き出し、手を引かれるままに、セリスもわずかに遅れて続く。

 全身から一瞬で汗が噴き出したような錯覚があった。心臓がどくどくと脈打っている。 

 アーネストは、歯で唇を噛み切りそうになったセリスを止めようとしただけ。深い意図はなかったのだろう。あれは、ただのはずみ。そうわかっているのに、アーネストの体の一部が自分の体内に侵入することを許してしまったような、背徳的な痛みが痺れとなって全身を駆け巡っていった。


「アーネスト……」


 名を呼ぶだけなのに。

 触れあった手の、握りしめる力を強められて息が止まりそうになる。

 視線が絡んだだけで、逃げ出したくなる。もう手を放してと言いたい。大丈夫、わたしはあなたによりかからずとも、一人で歩けるから、と。

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