紫の目の神官が言うには(2)
以降、ライアはアルスの姿を見かけることはなかったが、どこかで見ているのは明らかである。手を抜かず、自分なりに努力はした。
思いつく限りの理由をつけて、アーネストと顔を合わせるたびに誘いはかけたし、隙を作った。アーネストの気をひこうとした。しかしすべて綺麗にかわされた。
(これは私の技量の問題ではないわ。アーネストは、誘いをかけてくる女性の手管をすべてわかった上で、かわしている)
考えてみれば当然のこと。
アーネストほどの美貌なのだから、それこそ今までの人生で、異性同性問わずお誘いは数多あったはず。ライアの薄っぺらいにわか仕立ての色仕掛けなど、効果があるはずがない。
しまいに、呆れたように言われてしまったのだ。
「寂しいの?」
これはもう無理だと思い、正直に打ち明けることにした。
もちろん、「自分が工作員を引き受けなければアーネストに話がいってしまう」という部分は省いたが、それ以外は真っ正直に告げた。男を籠絡する手管を得て、神殿の裏の仕事を請け負う人材になるつもりなのだ、と。
そして言ったのだ。
「何も考えずに、ひと思いに私を抱いて欲しいの」
その結果が、沈黙。
沈黙につぐ、沈黙。
古ぼけて擦り切れた絨毯い、低い寝台。粗末な行李。必要最小限の備え付け家具の置かれた、神殿内の一室で、二人は向かい合っていた。
灯りは机の上に置かれた燭台一つ。
絨毯に腰をおろしていたアーネストは、完全に頭を抱えてしまっている。文字通り、掌で額をおさえてうなだれており、表情を伺うこともできない。
寝台に腰かけていたライアは、ひたすら返事待ちの状態だった。
悪いことをしてしまったな、という思いはあったが、言ったことを言わなかったことにはできない。もしかしたらアーネストは「冗談なの、忘れて」と言えば喜んで忘れてくれるかもしれないが……。
(言ってみようかな)
魔が差した。
苦悩するアーネストを見ているのが忍びなくて、本当に一瞬魔が差した。
「忘れて」
口の中が乾ききっていて、掠れた声しか出なかった。もっとさりげなく言いたかったのに、失敗した。
案の定、溜息とともに顔を上げたアーネストは、およそライアが今まで見たこともないくらい最低最悪に剣呑な顔をしていた。
「アホ」
とてもシンプルに罵られて終わった。本当に何もかも終わった、と思った。
出会って以来、危うくも紡いできた友情や連帯感のようなものを裏切り、取り返しのつかないことをしてしまった。
ライアは勇気を振り絞って「私が悪かったです」とだけ言った。そのまま部屋を出ていければどれだけ良かったか。
しかし、アーネストを篭絡できないで試験に落ちてしまえば後がない。
あのアルスという神官は、アーネストの美貌に目をつけている。決して逃さないに違いない。
(我が身を挺して……というのはおこがましいにせよ、私がアーネストにかかる火の粉を阻止したいと思ったことなんて、無にされてしまう)
アーネストはまだ不機嫌そうな目でライアを見ている。その顔を見ないようにしつつ、ライアは立ち上がるとアーネストの横に腰を下ろした。
「目を瞑っていてくれたら、すぐに終わるから」
「オレ、アホって、言ったよな。お姫様育ちのお人には『アホ』の意味がわからんの?」
「良くない意味だろうなー、くらいには想像がついています。でもね、私もひけないの」
「退いとけや。何も馬鹿正直に向こうの言い分に付き合うことないんやで」
ライアが、(男をその気にさせる方法って……)と考えながらアーネストの太腿の上に手を伸ばすと、すぐにアーネストの手に取り押さえられてしまった。
「だいたい、手の内明かした時点で、篭絡なんかする気ないねんて」
(確かに。どう考えても詰んでる)
何がどうあってももう駄目だ、と思ったら本音がもれてしまった。
「そんなことアーネストが黙ってればいいだけじゃない。アーネストも少しは協力して。見た目だけでいいから、私に惚れちゃいましたー! って演技してよ。そ、それに私だってどうせそういうことになるなら、初めての相手は知っている人の方が怖くないし」
「初めて」
「当たり前じゃない」
思わず顔を上げたら、まともに目が合ってしまった。
「ほんっとに……。お姫様ってのはどうしてこう……」
「すごく無理なことを言ってるとは思うのだけど、灯りを消して、私をセリスだと思って」
「おい。ふざけんのもいい加減にせえ」
凄まれた。
(怒らせちゃった)
ここまで言っても駄目なら、もう何をどう言っても駄目なんだろう。諦め時かと立ち上がろうとしたとき、アーネストが捕まえたままのライアの手を持ち上げて、唇を寄せた。
「何をしてるの」
「……そういうの心外なんやけど。どうしてもゆうたら、こういうことになるやん」
アーネストは一度手を離すと、ライアの後ろ髪に手を触れて、そっと梳く仕草をした。指先が心なしか優しい。
「アーネスト?」
「その神官は後でシめとくわ」
頭が追いつかずに聞くと、小さな溜息とともに物騒な言葉を返された。
その流れのまま後頭部を手で支えられて、もう片方の手を両目の上にそっとのせられた。
「……嫌やと思ったら言うんやで」
「なんで私はいま目隠しをされているのかしら」
つい、疑問を口にしてしまうと、耳元で低い声で囁かれた。
「こういう時はな。あんまり見られてると、オレが恥ずかしいんや――なんて、言うと思っとる?」
ライアは咄嗟に、アーネストの手に手をかけ外させる。目が合ったアーネストはにこりと笑って言った。説教やな、と。