甘い薔薇(3)
アルザイの室にて。
二人で食べるには明らかに多い量の料理を低い卓に並べられて食事をしつつ、セリスは水を向けられるままに今現在取り組んでいる課題について話し続けていた。
「僕はずっと生と死において『人間は同じだ』ということを考えていました。ですが、エスファンド先生と話していて、改めて『人間とは違うものだ』と感じました。これは僕の今後の課題になりそうです」
「課題? どのような?」
「『人間』という共通項を持つ以上、身体の構造などは大まかに共通するのだと思います。ですが、そのひとが生きている場所で育まれるもの、食生活や文化。そういったものには各地で違いがありますよね。なぜ違いが出るのでしょうか。エスファンド先生は、それを『水』によって説明します。『水と土と食べる物』それが『性質、気質、趣味嗜好』やもっと大きく『民族』を傾向づける何らかの要因になると。ごめんなさい、僕はまだうまく言えないんですけど」
仄暗い灯りの中で、静かに杯を傾けるアルザイは、重ねたクッションに身体を預けて視線を流してくる。空気が微かに揺れて、アルザイのまとう香が香った。
「だから人は『交易』をするのだ。東の人間と西の人間はそれぞれに異なる発想によって、まったく違うものを作り上げる。それが此方へと運ばれたとき、その異なる発想の産物を目にしても『うつくしい』と愛で欲する心が人にはある。それを作ろうと思い至らなかった者の心に、感動を与えることがある。それは人が違うものであり、同じものでもあるからだろう」
沁みるような穏やかな声音だった。
酒を断って薔薇水で喉を潤していたセリスは、小さく吐息した。
「よくわかります。材料も発想も違うから、違うものを作り上げる。それでいて人間として共通する何かが、相手の作ったものをうつくしいと認める。民族の違いと、人間としての共通点……僕のまとまりのない話を、アルザイ様は隊商都市の長としての視点ですぐに答えてくださいます。そう、なんですよね」
呟きながら俯いたセリスに対し「納得したのか?」とアルザイが笑いを含んだ声で問う。
「はい。納得しましたし、あらためてアルザイ様の偉大さに触れられたことを幸運に思います。拠って立つものがある強さ。アルザイ様の言葉は、おそらくその『砂漠の盟主』という揺るぎないお立場から発せられている。僕は……月の姫ではありますが、だからといって、特別なものは何もありません。月にいた頃も決して役に立つ存在ではなかったし、ここにいたって、『マリク』というのは架空の存在なので……」
身分を伏せているがゆえに、学者仲間内で厳しく叱責されることが何度もあった。意見が合わずに、あわや取っ組み合いのけんかになりかけたこともある。
そういった出来事の一つ一つは、間違いなく「月の姫」には起こり得ないことだったはず。
自分であって自分では無いマリクという人間になりすまして生活するうちに、自分が誰かということを、ここしばらく綺麗に忘れていた。
しかし、どうあってもセリスはセリスでしかない。
この先の人生において、学者見習いのマリクとして生きる道など、あるはずもないのだ。