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自殺美への憧れ

主人公「僕の願いは、夭折です。夭折ならいくらか希望が有ると思うのです。」


メフィスト「それで良いのだな。分かった。」


メフィストは怪しげな呪文を唱えると、「よし、」と言い残して煙の中に消え失せた。


そして彼は、高校を中退した。

『勉学を断念するのは、別に失敗ではないさ。

あのときぼくが断念したのは、野心なんだよ。

ぼくは突然、野心のない人間になってしまった。そして野心を失って、一挙に世の中から離れてしまったんだ。

(中略)もしきみが野心をもたず、成功し、ひとに認められたいという貪欲さをなくしたら、転落の淵に嵌まりこむことになるよ。』

(乞食は野心を無くした人間だ。私と上記の主人公の同類だ。

乞食は野心を持たない為、どんな仕事をもしないだろう。そして私達同族も、乞食同様、転落の淵に嵌まりこむことになるだろう。)

-クンデラ


彼は旅に出る事にした。


元々彼は会話が苦手な方だ。自閉症気味と言っても良いかもしれない。

だからこそますます妄想にのめり込む。

彼は、『幸せに生きる奴らと俺との間にある壁』について考えていた。

ここに、彼の書いた日記の一部を紹介しよう。


『「意識とは病気である」

というドストエフスキーの格言通り、実存主義もSADもヴィトゲンシュタインが指摘した言葉の意味の誤用も意識による病気である。

意識をしない事こそが治療法だが、サルトルの言葉を借りれば「意識しないでおこうとする事を意識してしまう」のであって、特に、SADから意識が始まった自分にとっては、意識というものに良い思い出など一つもない。

人並みな意識しか持たない平凡な人達でさえ、動物を見て「何も考えずに済むという事は幸せだなあ」と言っているのを見ると、我々は寿命と引き換えに苦しみを与えられたのかと思ってしまう。

しかし、考え方次第で、この意識も幸福への足がかりとなる事が出来る筈だ。

意識無しには幸福論もペシミズムも始まらない。』


元いた高校生に転生させられて、彼はどんどん自意識過剰になってくる。

彼にとって死に限りがある事によって救われる部分がある。しかし、

「周りの目が俺を見ている」

「ちきしょう、どいつもこいつも皆殺しにしてやりたい」

「俺はお前らとは違うんだ!どいつもこいつも同じような顔をしやがって!」

こう言った自閉症気味の被害妄想が、高校を中退した彼にとって重くのしかってくる。


自閉症気味の彼は、ラノベ、なろう小説になりたかった自分の小説を書き始めた。

これは、自慰行為となんら変わらない。


彼はオナニーについて考えていた。

自分が嫌いな人にとっては自慰は現実からの逃避だ

自分に自信の無い人にとって、どうしてセックスなど出来るだろう?

SMにおいてのMは、自己の確認、自己肯定だ。

おそらくSよりもMの方が、自分が嫌いな人が多いのではないか?

何故ならMとは自分が一個のものにされる事であり、自分を剥ぎ取られ、客体化される事であるからだ。

Sにも数種類有ると思うが、M側が可愛くない、醜い、例えばおじさん達を調教するタイプのSは、人を虐げる事によって、どう性的興奮を行ってるのかも、自己確認を行ってるのかも謎だが、少なくとも、人を虐げる自分に酔っているのは間違いない。


そして彼は、自殺美についても考える。

他人の為に死ぬ人間は、その他人が自分の代わりに生きる事によって、むしろ生の領域に属している。

自分の為に死ぬ人間は、この自殺美を思い描く感覚は、エゴイスティックこの上ない。 感傷的で、弱い。

ところで自殺美こそ、まさにこの感傷的という事と弱いという事とが原因なのだ。

彼は、他の青年と同じく、自殺美への憧れを持っていた。

青年特有の、一種の破滅願望!自分が死ぬ快感!

苦しい 苦しい 助けてくれ 助けてくれ

密封された空間で 誰も気づかない、かくれんぼの最中 もしくは鏡の中にて


ところで筆者の意見を述べれば、勝手に自殺の解釈をあの親や精神科医共にされるのも癪なので、自分で自殺の理由をつけておくと、

<筋トレや器械体操、乾布摩擦を行わなかった>というのが、直接的な自殺の要因である。

実際、「生きる意味」などを考え(時に自殺す)るのは、痩せ型で運動不足で本の読みすぎの為に猫背と、相場が決まっている。


彼は考える。

僕の生に唯一意味が有ったとすれば、それは「人々の間に有る」状態の時だけだった。

現に、ハンナ・アレントによれば、ギリシャ語では「人々の間にある」ということと「生きている」という事が同じ意味を持つ言葉なのだそうだ。

つまり、「人々の間に無い」という事が、「死んでいる」ということを現している。


話が脱線してしまった。

ここからは魂を担保として夭折を頂いた主人公について考えよう。

彼はこのような意見を持っていた。

学校は教員のために有るのであり、生徒の為にあるのでは無いと

というのも、高校や大学は生徒からの金で動けているのであり、簡単に言えば企業である。

つまり営利団体と化しているので、金を賄う為に生徒を食いものにしているだけだと。


これがおそらく高校中退とメフィストから夭折を貰った理由である。


そうだ、メフィストからも言われていたではないか。


「お主は尾崎豊やジミ・ヘンドリックスに憧れていたのであろう。

若者が夭折に憧れる気持ちは分からんでもない。現に藤村操なんぞは高校生で死んだ。

しかし自殺美に憧れるそれは、『抒情の時代』というのだよ...マア、お主に言っても分からんと思うが....

お主は今20歳だったな。なれば、22歳の4月1日に死ぬように取り計らってやろう。


あと2年、いや、一年と半年か。お主がどんな行動を見せてくれるか楽しみにしておる。」

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