もしもしカメさん。
もっしもっしカーメよー、
カーメさーんよー、
世界の内で、あなたほどぉ、
歩みののろい者はない。
どうしてそんなにのろいのかぁ。
なーにをおっしゃるウサギさんー………………………………
「それなら僕と、かけっこをしよう……だって。カメさんったら可笑しいでしょ。ねぇ、お母さん。」
今日、野原であった事を楽しそうに話すウサギさんは、お母さんの返事を待たずに続けました。
「だから私、言ってやったの。あなたとかけっこなんかしたら日が暮れちゃうわ!ってね。」
「そう、そんな事があったの、それで、カメさんはなんて?」
お母さんは優しく尋ねました。でも、お母さんは少しも楽しそうではありません。
ウサギさんは不思議に思いながらこたえます。
「じゃあ、明日にしよう。…って。」
「明日?」
「そう、それがね、…朝から走れば、日暮れには間に合うからって言うのよ。可笑しいでしょ?」
と、ウサギさんは笑いました。
でもお母さんは笑いません。
「あなたはカメさんと、かけっこするの?」
首をかしげるウサギさんに、お母さんはまた優しく尋ねました。
「うん。カメさんがあんまりしつこいから。明日、丘の上の一本松に先に着いた方が勝ちなの。」
それを聞いて、今度はお母さんが首をかしげました。
「スタートはどうするの?」
「それは、いつでもいいの。とにかく明日、一本松に先に着いた方が勝ちなの。カメさんたら早起きしよう、なんていうのよ。でもあたしは嫌。必要ないもの。だから、言ったの、どうぞ好きなだけ先にスタートして下さい。って。のろまなカメさんなんかすぐに追い抜いてやるんだから。」
ウサギさんは得意げに言いました。
「……そう。そういうことね。」
と、お母さんは少しだけ笑いました。
お母さんがやっと笑ったのでウサギさんは嬉しくなりました。
でも、お母さんはすぐに真剣な顔をして、それでも優しく尋ねました。
「ねぇ、ウサちゃん、いつかあなたが泣きながら帰って来た日があったわね。覚えてる?」
「………え?」
たちまちウサギさんの顔が暗くなりました。
「覚えてる。カラスさんがいじわるしたの。……あたしの事、飛べないってからかったのよ!」
あの時の事が思い出されます。
………………………………………………どうしたの?ウサギさん。ここまでおいでよ!?
飛べるんだろ?
月まで飛べるんだろ?
あはははは。
やっぱり飛べないじゃないか!
あはははは…………………………………………………
思い出したらくやしくて、悲しくて、また泣き出してしまいそうです。
お母さんはどうして急にそんな事をきくのかな?
……せっかく楽しくお話してたのに……、ウサギさんはうつむいて考えました。………今日は楽しかったのに………でも、カメさんは怒ってたなぁ……。あの真っ赤な顔……、可笑しくてたまらなかったのに、今は全然笑えません。
……あたしもあんな顔してたのかなぁ……。
その時、ウサギさんはハッとして顔を上げました。
「ああ、どうしよう!お母さん、あたしカメさんにひどいこと言っちゃった!」
ウサギさんはやっと、気が付きました。
「そうね。あなたにはカメさんの気持ちがわかるわね?」
「あたし、カラスさんみたいにいじわるしてたんだ!カメさんはお友達なのに!ねぇ、お母さん、どうしよう!?」
ぽろぽろと涙をこぼして泣き付くウサギさんを、お母さんは優しく抱き締めました。
「どうしたらいいか、わかるでしょう?」
ウサギさんは、お母さんに抱きついたまま、何度もしゃくりあげながら頷きました。
「明日、カメさんに謝りましょうね。」
「うん。」
ウサギさんはまた頷きました。
「でも、許してくれるかな。」
「あなたがちゃんと謝れば、きっと許してくれるわ。大丈夫よ。」
赤い目を擦りながら見上げてくるウサギさんの肩を優しく叩いて、お母さんは言いました。
「うん。明日は早起きしてカメさんの家に行く。ちゃんと謝らなくちゃ!」
と、少しだけ元気が戻ったウサギさん。
お母さんもにっこり笑います。
「それがいいわ。かけっこの前に、ちゃんと仲直りしてね。」
ところが、ウサギさんはかけっこと聞いて、また考え込みました。
「かけっこ……、どうしよう、負けた方がいいのかな?」
「それはダメ、絶対にダメ。そんな事をしたらカメさんに失礼よ。カメさんはきっと一生懸命走るのだから。あなたも力いっぱい走らなきゃ。」
「うん。……わかった。」
でも、本当はまだ悩んでいました。
「さぁ、今日はもう寝なさい。明日は早起きしなくっちゃね。」
「うん。おやすみなさい。」
「おやすみなさい。」
お母さんはまた優しく抱き締めてくれました。 …………………………………………………………………次の日、ウサギさんはいつもより早く起きて、急いで朝ごはんを食べるとすぐに家を飛び出しました。
「いってきまーっす!」
「いってらっしゃい。」
大急ぎでカメさんの家に向かう背中に、お母さんの声が届きました。
「急がなきゃ!」
ウサギさんは全速力です。
まだ誰もいない野原を風のようにかけ抜けて行きます。
まだ朝日は顔を出したばかり、これなら間に合うだろう……と、ウサギさんは思いました。
それでも、息を切らせてカメさんの家に着くと、すぐに戸を叩きました。
ぜーぜー、トン!トン!ぜーはー、トン!トン!
「はい、はい。どなた?」
戸を開けたのは、カメさんのお母さん。
「おはようございます!!」
息が上がっているせいで、思ったより大きな声が出てしまいました。
カメさんのお母さんはびっくりして目を丸くします。
「あら、ウサギさん。おはよう。元気がいいわね。」
ハッとして、申し訳なさそうにもじもじするウサギさんに、カメさんのお母さんは優しくにっこりと笑いました。
「あ、あの……、カメさんは……?」
すると、カメさんのお母さんは、……ああ、やっぱり……と、ため息をつきます。
それを見て、ウサギさんは不安になりました。
……カメさんも、昨日の事をお母さんに話したのかな、やっぱり怒ってたかな、もしかして泣いてたんじゃ…………。
ところが、
「ごめんなさいね、ウサギさん。迎えに来る約束をしてたのね?坊やったら昨夜は大はしゃぎだったのよ、よっぽど楽しみなのね、あなたとかけっこするのが。そしたら今朝…ウサギさんを待たせるといけないから…って、日が昇る前に飛び出して行っちゃったのよ。」
「えっ?」
ウサギさんは驚きました。
カメさんは、あんなに怒ってたのにお母さんに言わなかったんだ。
それに、楽しみにしてたなんて……。
「まったく、あの子は、あわてん坊なんだから。」
と、カメさんのお母さんは、あきれ顔。
……あわてん坊!?あのカメさんが?……ウサギさんは、また驚きました。
……でも、もうとっくに出発してただなんて……。
「確かに、あわてん坊さんかも。」
二人は顔を見合わせてクスクスと笑い合いました。
「本当にごめんなさいね。」
カメさんのお母さんはもう一度あやまりました。
「いえ、違うんです!おばさん!あたしが……、そのぉ、……あたし、寝坊しちゃったの。」
「あら、そうだったの?」
「はい、だから、あたしが悪いんです。ごめんなさい、おばさん。」
ウサギさんはペコリと頭を下げました。
「いいのよ。あなたならすぐに追い付くでしょ。坊やをよろしくね。」
「はい!いってきます!」
「いってらっしゃい。」
カメさんのお母さんに見送られて、ウサギさんは、丘に向かって走りだしました。
……カメさんはもう、どこまで行ってしまったんだろう?まさかそんなに早起きするなんて思わなかった。でも、きっと追い付ける。そしたら謝って許してもらおう……ウサギさんはまた、全速力で走ります。
振り返ると、おばさんも、カメさんの家も、もう見えません。
あっという間に野原の真ん中までたどり着きましたが、カメさんの姿はまだ見当たりません。ウサギさんは休まずに走り続けます。
ところが、いくらウサギさんでも、だんだん脚が重くなってきて、さっきまでの勢いは、もうありませんでした。
ぜーはー、ぜーはー、……ああ、まだ追い付けないなんて……ぜーはー……もう息が苦しいよう……ぜーはー、ぜーはー、
それでも、カメさんだって頑張ってるんだから……とウサギさんは自分に言い聞かせて走りました。
ウサギさんは汗びっしょりで、泥だらけ、顔は真っ赤で、その上苦しくて涙が出て来ます。
……あたし、格好わるいなぁ……走るのがこんなに辛いなんて知らなかった……それなのにあたし、
友達のことをのろまだなんて……きっと、もう許してもらえないわ……。
目の前の景色が涙でにじみます。
「ああっ!」
ウサギさんはつまづいて転んでしまいました。
「うう、痛いよぅ。」
ウサギさんは泣きながら立ち上がりましたが、もうふらふら。 家を出てからほとんどずっと全力で走って来たのだから当然です。
……もう諦めようかな………
ウサギさんがそう思った時、
「ウサギさん頑張って!!」
という声が聞こえました。
顔を上げて涙を拭うと、そこには、タヌキさんとキツネさん、それにリスさん、ネズミさんが来ていました。みんなウサギさんとカメさんのお友達です。
「み、みんな!?」
「頑張ってウサギさん!カメさんはさっきここを通ったばかりだよ。」
「大丈夫!まだ追い付けるから頑張って!」
みんなウサギさんを応援してくれました。もちろんカメさんの事も応援したはず、みんな友達。こんなに格好わるい自分でも。ウサギさんはそれが嬉しくてたまりませんでした。
嬉しくて、また泣き出したウサギさんの背中をネズミさんが力一杯叩きました。
「何泣いてんだよ!早く行かないと日が暮れるぞ!」
ニヤリと笑うネズミさんにウサギさんも笑顔をかえしました。
「ありがとう!」
ウサギさんはもう一度涙を拭うと、また走りだしました。
丘まであと少し、息も整ったし元気も出た。きっと追い付ける。そう信じてウサギさんは走りました。
手を振る皆の姿はもう見えません。寂しいけど、これ以上格好わるい所を見られたくなかったから、少しだけホッとした。
そしてやっと、丘のふもとまでたどり着きました。
丘に背の高い草木は無く、あまり高くないその頂上に大きな松の木が一本だけ生えています。
あの木まで先に着いた方が勝ち。ここからでもよく見える、もう目と鼻の先にあります。そして、カメさんの姿も、そのすぐにそばまで来ていました。
もう、どんなに急いでも間に合いっこありません。 ウサギさんの脚が止まりました。
「ああ、負けちゃった。」
すると、そんなつぶやきが聞こえるハズもないのに、カメさんは振り返り、ウサギさんを見つけると、大きく手を振り、大きな声で言いました。
「早くおいでよー!!」
確かにそう言っているのが、ウサギさんの耳に聞こえました。
ウサギさんはハッとします。……そうだ!負けたっていい。あそこに行かなくちゃ!……
ウサギさんは力一杯丘を駆け上がりました。
カメさんはまだ同じ場所で手を振っています。
ウサギさんは、転びそうになりながら必死でそれを目指して走りました。
「ウサギさん頑張って!」
カメさんが叫びます。ゴールはすぐそこだというのに、その場所から一歩も進む様子はありません。
……今なら勝てるのに……、どうして………
もう少しで追い付いてしまう。
今すぐ走りださないと間に合わないハズなのに、やはりそこから動かないカメさん。
「どうして待ってるのよ!?」
ついには追い付いてしまったウサギさんは言いました。……やはり大きな声になってしまったけれど、これでいい。大きな声で言ったのだから。
息を荒げるウサギさんに対し、カメさんは、もう息を整えてすまし顔です。
「やぁ!おはようウサギさん!」
挨拶をしながら後ろ向きに歩き始めるカメさんと逆に立ち止まるウサギさん。
「なぁにが!おはようよ!?
……もうお昼よ!!」
ウサギさんは戸惑い、返す言葉が出てきません。仕方なく真上にあるお日さまを指差して言いました。
「ああ、そうだね!こんにちは、ウサギさん。」
とぼけたようにまた挨拶をするカメさん。ウサギさんがいくら睨み付けたってそんなのどこ吹く風。
その涼しい顔に呆れて、ため息をはくと、ウサギさんもカメさんの後に続きました。
「もうっ!……こんにちは、カメさん!!……それで、どうして待ってたのよ?せっかくあなたの勝ちだったのに。」
すぐき追い付いたウサギさんがたずねると、カメさんは前を指差して言いました。
「ウサギさんこそ、ぼくを追い越して行かないの?一本松はすぐそこなのに。」
「そんなの勝った事にならないわよ。」
ウサギさんは肩を竦めました。
「それは、ぼくだって同じだよ。だってさ、ぼくはただ早起きしただけなんだから。」
ウサギさんを真似て肩を竦めると、二人は顔を見合わせてクスリと笑いました。
「だから、待ってたの?」
「あ…うん、それもあるけど……。」
「けど…なぁに?」
口籠もるカメさんにまた尋ねます。でも、ウサギさんはもう睨んだりしません。
二人は並んで歩きました。ゆっくりと、カメさんの歩幅で……。
ウサギさんが来てくれたのが……、あんなに頑張って走って来てくれたのが、すごく嬉しかった……と、だからつい応援したくなって、おいて行けなかったんだ……と、カメさんは話しました。
そして、先に謝ったのはカメさんでした。
「ごめんね、ウサギさん、ぼくは、ズルをして勝とうとしたんだよ。」
ウサギさんは慌てて首を振ります。
「カメさんは何も悪くないわ、謝るのはあたしの方。からかったりしてごめんなさい。」
そんなのもう気にしてないよ… と、笑うカメさん。
ありがとう…と、ウサギさんも笑顔。
そして二人は立ち止まり、大きな松の木を見上げました。
「やっぱりカメさんの勝ちだよ」
お先にどうぞ、とウサギさん。
なにをおっしゃるウサギさん…とカメさん。
二人は笑って頷きました。
「じゃあ一緒に。」
「せーの!」
「これで、二人とも一番だね。」
「やったね!」
二人は笑顔で握手を交わし、ちゃんと仲直りできました。
その時、
「二人とも遅かったわね。待ちくたびれちゃったわ。…ふふふ、一番は私ね。」
「「えっ!?」」
突然声をかけられて二人はびっくり。
「私の時は待ってくれなかったのに、ズルいわ。カメさん。」
「やぁ、ウサギさん。久しぶりだね。」
「お、お母さん!?」
そう。松の木の陰から現れたのは、ウサギさんのお母さんでした。
「あの時はごめんね、ぼくのせいでみんなにからかわれて……」
「あら、やだ!?冗談よ。謝らないで!私を見てよ?ずっと昔の事じゃない。それに、居眠りした私が悪いのよ。」
「そうかな?ぼくにはついこの間の事みたいだけど。……ウサギさんはもうお母さんになったんだね。羨ましいな。」
「カメさんは変わらないわね。……羨ましいわ。」
二人は少し寂しそうに笑いました。
一人だけポカーンとおいてけぼりにされたウサギさんは、そこでようやく、開いていた口から言葉を出します。
「お母さん、どういう事?」
「うふふ、実はね私も昔、子供の頃にカメさんとかけっこをしたのよ。」
でも負けちゃったの。と、お母さんは苦笑い。
それでもまだ首を傾げるウサギさんに、お母さんは優しく続けました。
「あのね、ウサちゃん、カメさんは、私たちよりもずっとずーっと長生きなの。
だから、私が子供の頃から…、ううん、多分もっと、ずっと前から、カメさんは子供のままなのよ。」
「そう。だから、ウサギさんとの勝負はこれで六回目。二勝三敗、一引き分けさ。」
カメさんは笑って言いました。
「「えぇ!?」」
これには二人ともびっくりして目を丸くしました。
「「「ぷっ、あはははは……」」」
三人は、顔を見合わせて、大笑いしました。
そして、お母さんはパンパンと手を叩いていいます。
「さぁ、少し遅くなったけど、お昼にしましょう。二人とも、こっちにいらっしゃい。お弁当、持ってきたわよ。」
「本当!?やったー!あたしお腹ペコペコ。」
「ぼくも!」
「私もよ。……それじゃあ、せーのっ!」
「「「いただきます!!!」」」