第84話:不肖の弟子
バルカスたちの襲撃から一週間。フォルティス・グランダムの王都の復興は遅々として進まず、破損した外壁部などがそのまま野ざらしの状態が続いていた。
家屋などの残骸や、戦いの最中で散っていった者たちの遺体などの掃除はあらかた終わったが、資材不足などが原因で修繕の間に合っていない箇所が多すぎるのだ。
アルス王の指示により、住民たちの家屋の修繕が優先されているというのも、実は王都復興の遅れを感じさせる原因かもしれない。
なぜならば、最も資材が必要な外壁部の修繕が完全に後回しになっているからだ。ワームが三匹同時に襲撃した個所など、ワームの死骸も含めてほぼ襲撃当時のままである。
一週間であの巨体を全て処分しろというのも難しい話であるし、外壁すら破壊せしめた連中の甲殻には利用価値があるとされているのも、なかなか頭が痛い話だ。魔法を使って塵に還すことができず、さりとて人手が足りないため解体もできないのだから。
腐敗するとにおいがひどいので、内臓類は火炎魔法で灰に還っているが、それでも燃えなかった巨大ワームの甲殻は、今は子供たちの格好の遊び場となってしまっていた。
ワームどもの甲殻にはところどころ亀裂が入っており、そこが丁度良い具合のとっかかりとなり、小柄な子供たちであれば、比較的難なく上へと昇っていけてしまうのだ。
楽しそうに笑いながらワームの甲殻を登っていく子供たちに、付近のパトロールを担当していた衛兵が声をかけた。
「気をつけろよー! まったく、大人の気も知らないでのんきなもんだ」
衛兵の存在に気付いた何人かの子供が、甲殻の途中でぶら下がったまま、衛兵たちに手を振っている。
満面の笑みであるのを見るに、実に楽しそうである。あの事件の中で犠牲になった者の中には子供がいる者もいた。あの子たちの中にも、被害者の遺族がいるかもしれない。
それを考えると、まだ笑っていてくれるのはよいことだろうか。衛兵は自分をそう納得させ、子供たちに向かって手を振り返した。
そんな衛兵の傍に、大荷物を抱えたゲンジが歩いて近づいてきた。
「ふむ。子供たちは元気そうだな」
「ゲンジ様!? お疲れ様です!」
ゲンジの存在に気付き、慌てて敬礼を取る衛兵。
ゲンジは軽く手を上げそれを制すると、荷物の中から携帯食料を取り出して衛兵に差し出した。
「そうかしこまらないでくれ。ほら、差し入れを持ってきた」
「自分にですか!? いえ、自分は――」
「衛兵隊はこのたびの襲撃でかなりの人数が死亡したと聞いている。中には、寝ずの番で町の警護に当たっている者もいるそうじゃないか」
ゲンジは悔しそうに顔をゆがめながら、軽く頭を振った。
「悔やむべきではないが、それでもやり切れん。少しは、その労を労わせて欲しい」
「……そういうことであれば。すみません」
実のところ、ここ数日は二時間程度しか眠れていなかった衛兵は、ゲンジの差し入れに感謝し、携帯食料を頬張った。
衛兵が食料を受け取ってくれたことに安堵しながらゲンジは荷物を背負い直し、彼に一つ訪ねた。
「それで、変わったことはないか?」
「はい。この一週間、瓦礫の除去や虫どもの死骸の駆除などに追われておりますが、現状何の問題も発生しておりません」
「そうか……。一時的とはいえ、町の霊脈が汚染され、冥界に繋がりかかっていた。場合によっては、亡者が取り残されているということもあるかと思っていたが……」
ゲンジは一つ呟きながら、軽く腕組をする。
あの晩、残された霊脈を利用し、王都全域を一斉浄化することにより難を逃れた冥界返しであるが、その後遺症が残されていないとは限らない。
ゲンジも一応この一週間合間を見て霊脈を診て回ったりしているのだが、今のところは目立った異変や、危険の兆候などは見られなかった。
背負った荷物を抱えなおしながら、ゲンジは小さく苦笑する。
「一先ずは、私の取り越し苦労で終わりそうだな」
「はい、そのようで……。ところで、その背中のお荷物は?」
「これか? 見回りついでに、各所に配達や差し入れをと思ってな」
ゲンジはこたえながら、背中の大荷物を示して見せる。
見方によっては、タンスか何かを背負っているようにも見える。
大きさもさることながら、ゲンジが体を揺らすたびに水物の音も聞こえる。その重さたるや、おそらく衛兵一人分か二人分くらいはあるのではないかと想像させる。
それを何でもないような様子でさせながら、ゲンジは軽く笑ってみせた。
「人一人で運べる程度ではたかが知れているものだが、ないよりはましかと思ってな」
「いえ。先の戦いで多くのものが疲弊しております。拳骨隆々様のお手を煩わせてしまい、申し訳ありません」
衛兵はゲンジの気づかいに、深々と頭を下げる。
本来であれば、ゲンジはフォルティスカレッジで教鞭をとっているはずだというのに、それがこうして町の見回りと復興支援を兼ねて歩き回っている。その事実が、衛兵にはどうしても悔しかった。
だが、ゲンジはそんな衛兵に何でもないというように手を振って見せ、顔を上げさせる。
「ああ、気を使わせてしまったのはこちらだな……。あまり気負わないでくれ。私としても、何もできなかった我が身が歯がゆかったが故の行動でもある。それに、愛弟子の慣らしも兼ねているのだ。あまり、気にしないでくれ」
「は、はぁ……? 慣らし、ですか」
ゲンジの言葉に、聞き慣れぬ単語を感じ、衛兵は顔を上げる。
愛弟子の慣らし。それは一体どういうことなのか?
だが、それを問おうとしたとき、ワームの甲殻のほうから悲鳴が上がった。
「「っ!」」
衛兵とゲンジが弾かれたように視線をそちらに向けると、一人の少年が甲殻から落下しかけていた。
登っている途中でバランスを崩したのだろうか? 辛うじて腕一本でワームの甲殻にぶら下がっているような状態だ。
少年がぶら下がっている位置も、かなり高い位置だ。ほぼワームの上辺に差し掛かっている。
下手にあの位置から落下してしまうと、よくて半身不随、最悪即死しかねない。
「いかん!?」
「くっ!」
ゲンジと衛兵が急ぎワームの元まで駆け寄ろうとする。
だが、少年のいる場所まではあまりにも遠い。
彼を見ている周りの者たちもなんとか少年を助けようとするのだが、そもそも亀裂の入ったワームの甲殻はどこもかしこも不安定。下手に動けば、自分が少年の二の舞になりかねず、誰も迂闊に動くことができないでいた。
少年も必死に助かろうともがいているが、何とかもう一方の腕をワームにひっかけようとするも、腕をひっかけている亀裂部分が、いやな音を立てて壊れ始めている。
「あまり動くな! そのまま、じっと――!!」
衛兵は少年に向かって懸命に叫ぶが、彼の声は届けども少年の体は止まらない。
壊れ続けるワームの甲殻に焦りを募らせた少年は、イチかバチかとでもいうように大きく体を揺すろうとした。
おそらく反動を利用して上に登るつもりだったのだろう。
だが、それがとどめとなった。少年が体を揺らそうとした次の瞬間、べきり、と乾いた音を立ててワームの甲殻が剥がれ落ちる。
「―――!?」
周囲から悲鳴が上がる。特に大きな悲鳴は、少年の喉から放たれた。
壊れたワームの甲殻を握り締めた少年は、そのまま重力に従い落下し始めた。
「ああ―――!?」
衛兵は足を止めぬまま、しかし絶望に濡れた顔で少年の姿を見つめる。
少年の体はかなりの勢いで落下している。たとえ急ぎその足元に急行したとして、受け止める余裕があるかどうか――。
止めるわけにはいかない。しかし間に合うとも思えない。
己の身体能力と少年の位置とを照らし合わせ、不可能、の文字を脳裏に浮かべてしまった衛兵。
それはどうやらゲンジも同じようだった。悔しそうに歯ぎしりをしながらもゲンジは背中の荷物を放り出して一気に駆け出そうとして――。
「――先生、荷物をすいません!!」
「むっ!?」
――一陣の風がそう告げるのと同時に、ゲンジの傍に彼と同じくらいの大荷物がどんと置かれた。
ゲンジがその正体に思い当たるより先に、瞬きの間で少年の姿が掻き消える。
「――え!?」
いや、消えたというのも正確ではない。そう、一陣の紅い風がさらっていったというべきか。
一瞬で少年の元まで駆け上がった、赤い襟巻をしたこれまた少年は、天高く跳び上がりながらも大きく体を振り回し、そのまま近くの外壁を蹴り、ワームの甲殻を蹴り、民家の壁を蹴り、あっという間に王都の地面へと舞い戻っていた。
「あ、ああ……!?」
何が起こったのか理解できず、行動の追いつかない衛兵は、少年の落ち始めた場所と、地面に戻ってきた少年とをひたすら見比べる。
一方ゲンジは落ち着き払った様子で少年の元へと駆け寄り、その傍に跪く。
赤い襟巻を撒いた少年――トビィは、少年の体を地面に下し、ゲンジのほうへと振り返った。
「トビィ! 少年にけがは!?」
「ありません! どこも無事です!」
「そうか……よかった」
ゲンジは安堵のため息をつくと、やや険しい表情で少年を見下ろした。
「……君。あまり危険な登り方をするものじゃない。このトビィがいなければ、今頃君は死んでいたぞ?」
「は……はい」
少年はぼんやりとした様子でトビィとゲンジの顔を見比べ、それからはじけたような笑顔でトビィを見て歓声を上げた。
「す……すごいよお兄ちゃん! 今のどうやったの!? あっという間にお空を飛んで、気づいたら降りてきてて……! もう一回! もう一回やって!」
「え……いや、もう一回は……」
少年の喜びようを見て、トビィは困惑しながらゲンジのほうを見る。
ゲンジも処置なしといった様子で首を振り、そのまま立ち上がった。
「……反省の色が見えないな。まあいい。あとは衛兵のお兄さんに叱ってもらいなさい」
「えー!」
「こらぁ!! 勇者様を困らせるんじゃない!!」
ゲンジの言葉に少年は文句を垂れるが、彼がもっと口を開くより先に、我に返った衛兵が素早く少年の頭を抑え込んだ。
「まったくお前は……! 親御さんに迎えに来てもらうから、詰所まで来い!」
「それが良いでしょうな。それじゃあ、我々はこれで」
ゲンジは一つ鷹揚に頷くと、いつの間にかトビィが回収してきていた大荷物を背負い、その場を後にする。
衛兵は少年を小脇に抱えながら、ゲンジへと一つ問いかけた。
「拳骨隆々様! もしやそちらが……?」
「ああ」
ゲンジは軽く振り返りながら、トビィの頭にポンと手を置きはっきり答えた。
「こちらが不肖の愛弟子、という奴だよ」




