第81話:最後の一撃
幾度か周囲に目線を飛ばしたバルカスは、王都の外周を走り始めたトビィの姿を一瞬だけ認識したのか、その背中を追いかけて走り出した。
伝説に残る巨人もかくやという速度で走り出すバルカスの足に向かって、ゲンジは拳を叩きつけた。
「ゼアァァァァァ!!」
踏み込まれた足の裏に叩きこまれたゲンジの拳が、容赦なくバルカスの体を跳ね上げる。
たまらず転げたバルカスは、再び咆哮を上げる。
「■■■■■■■■―――!!」
「先にはいかせん! ノクターン!!」
「う、あ、ああ!? わ、わかった!!」
トビィの一撃を前に呆けていたノクターンは、ゲンジの声に我を取り戻し慌てて魔法を唱える。
「光呪拘束!!」
ノクターンが魔法を唱えると、バルカスの巨体を封じるように、幾筋もの光が現れその体を縛り上げてゆく。
瞬く間に、光の帯によって簀巻きにされてしまったバルカス。ただの人間であれば、このままノクターンが魔法を解除するまで動くことすらできないはずだ。
「■■■■■■■■―――!!」
だが、バルカスはノクターンの拘束を破壊し、あっさり立ち上がる。
先ほどまで拘束されていたなどとは思えないほど軽快な動作で立ち上がったバルカスは、再び王都外周へと向かう。
「そんなっ!?」
「……これはもう、バルカスには人間が放つ魔法は通じないと考えるべきだな」
戦略魔法も拘束魔法も通じないのを確認して、ゲンジはそう結論付ける。
双方の魔法は全く効果が異なるが、バルカスがもたらした結果は全く一緒だ。
すなわち、魔法の効果が毛ほども通じなかったということ。
魔法の効果そのものが通じないのか、あるいは人間の魔力で編み上げたものが通じないのかは不明であるが、どちらであってももう魔法が効果を発揮するとは思わないほうがよかろう。
ゲンジは急ぎバルカスを追いながら、ノクターンに叫んだ。
「ノクターン! 外壁上に残っている兵たちに通達! 砲撃を継続し、少しでもバルカスの足を止めさせるんだ!」
「うう……わ、わかった……!」
自身の力がもはや役に立たぬことを知ったノクターンはがっくり肩を落としながらも、外壁上に残っている兵たちに向かって念話を飛ばす。
「――聞こえるか!? まだ動ける者、戦える者は砲を動かせ! 目の前の化け物の足を止めるのだ!」
《は!? し、しかし……》
「新たな勇者が起死回生の一撃を放つのだ! そのための時間稼ぎをせよというのだ!」
《なんと!? かしこまりました!!》
砲撃をものともしない相手に対する再攻撃に、一瞬兵が戸惑ったものの勇者の存在を明かした途端、勢いよく返事を返してきた。
念話が終了してしばらくすると、外壁上からの砲撃が再開され、バルカスの体に何発かの砲弾が叩きつけられ始めた。
「始まったか!」
「だが、勢いが止まらんぞ……」
ノクターンの言う通り、体に砲撃を受けてもバルカスの走る勢いが止まることはない。
砲撃はバルカスの体を多少傷つけてはいるようであるが、それすら気にも留めずにバルカスは突き進む。
よほどトビィの存在が腹に据えかねているのだろうか?
ゲンジは一瞬疑問を抱いたが、トビィがこの一日に為し得た所業を思い返し、首を振った。
「……まあ、己の野望をことごとく挫かれては、怒り心頭も止む無しか」
ゲンジの命によって国の外に出ていたため、バルカスたちの侵攻を受けず、捕らえられることもなかった。
その後、王国に戻ってきて一番最初に行ったのはアルス王の救出。
アルス王とともに行動し、アルス王の陽動を利用して地下牢の開放を行った。
そしてバルカスの最後の苦肉の策である冥界返しの魔法陣を、フランと共同で破壊し、捕らえられたままであったニーナ王女の解放を行ってみせた。
……彼一人で、ほぼフォルティス・グランダムの解放を行っているといっても過言ではない。
要所要点を的確に突き、己の為すべきことを為し、最善最優ではなくとも最良の結果を残している。
味方としてはこの上なく頼もしい存在だが、敵からしてみればこれ以上なくうっとうしい存在だろう。
トビィさえいなければ、バルカスの目論見は達成し得ていたはずなのだか。それだけに、彼の怒りは一入と見るべきだろう。
トビィを追って外周を走るバルカスを追い、ゲンジはひとりごちる。
「……同情したくなるな。まあ、奴には不要だろうが――」
そう、呟いたゲンジの背中を抜き、さらに前方を走るバルカスさえ追い抜く影が一つあった。
「っ!? んん!?」
思わずゲンジはその影を二度見する。
瞬きの間ほどの余裕もなかったが、その背中はトビィだったように思える。
バルカスも自身を抜き去った影の存在に気が付いたのか、それに縋ることすらできなかったことを悔しがるように咆哮を上げた。
「■■■■■■■■―――!!」
「……前言撤回。奴には同情しか浮かばんな」
トビィの足腰の強さ、そしてそのイデアの性質を完全に侮っていた。
走れば走るほどに強くなるイデア。それはつまり、周回を重ねるだけでこちらは一切追いつけなくなるイデアということだ。
これなら、あとは適当にバルカスの気を引いていれば外壁周辺五周程度は、あっさりこなして見せるだろう。
ゲンジはバルカスへの同情の念を強めながら、地団太を踏むその足元へと滑り込む。
「ダァァァァァ!!」
地団太を踏むバルカスの小指にヒットするゲンジの拳。
イデアの力によって弾かれた小指はあらぬ方向へと曲がり――ペキリ、と小気味よい音を立てた。
「■■■■■■■■―――!?」
これほどまでにピンポイントに攻撃されるとさすがにバルカスも苦しいのか、悲鳴じみた咆哮を上げ、そのまま仰向けに倒れこんだ。
地味な嫌がらせをしてしまった、と顔をしかめるゲンジのそばをすり抜け、もはや一陣の風と化したトビィはバルカスの体を乗り越えながらあっさりと周回を重ねてゆく。
「速いな!? もう一周終えたのか!?」
明らかに規格外の速度に到達している。イデアというものはことごとく常識外れだが、地味にトビィのイデアが一番常識を置いて行っているようだ。
その背中を見送ったゲンジは、咆哮を上げながら起き上がったバルカスへと向き合う。
「■■■■■■■■―――!!」
「おっと……。もうすでに残った周回も少なかろうが、それでももう少し付き合ってもらうぞ!」
ゲンジは一声吠え、拳を固める。
だが、バルカスはゲンジのほうは見なかった。
伸びた鉤爪を振り上げ、奴はゲンジでもなく、外壁からひたすら砲撃を重ねる兵たちでもなく、外壁に沿うように、その一撃を振り下ろした。
「―――っ!」
ゲンジは瞬時にその目的を察する。
あれほど早く周回を重ねるトビィだ。こうなると、もはや追いかけるのは無駄以外の何物でもない。
であれば、待ち構えるより他あるまい。幸い、トビィのルートは割れている。
「っ!!??」
外壁に沿ったルート上だ。
バルカスの放った一撃に飛び込むような形で走ってきたトビィは、すんでのところでその一撃を回避する。
一瞬足を止め、大きく横に弾けるように跳んだトビィ。その姿を目で追い、バルカスはがむしゃらに鉤爪を振るった。
「■■■■■■■■―――!!」
トビィの進路上に向かって放たれた無数の斬撃は、大地を抉り、トビィの体を粉砕せんと猛威を振るう。
トビィはその俊足でもって回避を続けているが、攻撃をされているせいか、その場から退こうとしない。
彼の足であれば、この程度の攻撃を振り切ることは造作もないはずだが……どうにも、襲われて足が竦んでいるようだ。
「まったく……!」
妙なところで素人丸出しなトビィの姿に舌打ちしながら、ゲンジは飛び上がって振るわれている鉤爪の腕を一本弾き上げる。
「トビィ!! さっさと行かんかぁ!」
「せ、先生!」
ゲンジの怒号にトビィが驚きの声を上げる。
その瞬間足の止まった彼に向かってバルカスが鉤爪を振るうが、それはノクターンが呼び出したゴーレムの体によって食い止められる。
「魔法そのものが通じないなら、魔法生物でどうだ!?」
「ノクターン先生も!」
「足を止めるな、トビィ! いけぇ!」
「―――っ!」
ゲンジたちの援護を前に、トビィは止めていた足を動かし、再び王都外壁を回り始める。
すでにその足の速さは、ラウムと戦っていた時と同じだけのものを得ていた。
それに重ねるように。さらにさらにさらに、重ねるように。
幾層にも重なった地層のごとき重さで大地を踏みしめ、幾重にも重なった塔を跳び越えるような強さで駆け抜ける。
もはや風という表現すら生温い。あたりの時間さえおいてゆくその瞬間のトビィの姿は――一筋の光に等しかった。
バルカスの腕をゲンジとノクターンが弾き、三者が態勢を整えた次の瞬間、トビィはバルカスの体に向かって蹴りを放っていた。
「「「――――!!??」」」
もはや驚きの声を上げる余裕もない。
天高く、全てを貫くような鋭さで打ち出された飛び蹴りは、狙う必要もなくバルカスの上半身に突き刺さった。
「―――っ!!!」
トビィは咆哮を上げた。
だが、それが誰かの耳に届くことはなかった。
彼の声が周りに聞こえる、それよりも早く彼の体は天高く舞い上がっていったからだ。
……周りで見ていた者たちには、まるでバルカスの体がクッキーか何かのように砕け散る光景が映った。
「なんと……!」
外壁上で兵たちの士気にあたっていたアルス王も、その光景を目の当たりにし驚きの声を上げる。
上半身がほとんど砕け散ったバルカス。その体は徐々に崩れてゆき――そして、元の彼の体が地面に落着した。
「ごびぇっ」
カエルが引きつぶしたような声を上げて地面に叩きつけられた彼は、まだ生きているようで微かに痙攣を繰り返した。トビィの蹴りに巻き込まれ、核となっていた本体も余波でボロボロにされてしまったようだ。
……今度こそ、万策尽きたようだ。
「―――ああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!??」
天頂にかかる月まで届かんばかりに飛んでいったトビィは、悲鳴を上げながら地面へと落下していった。




