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第7話:蛇蝎の教育者

「――あまり感心しないな」

「む?」


 トビィが全速力で立ち去ったあと、入れ替わるようにノクターンが執務室へと入ってきた。

 黒いとんがり帽子の奥の眼差しは静かな怒りに満ち、敵意の感情をゲンジに向けているのがよく分かった。

 黒魔女の静かな敵意を前にしても、ゲンジは姿勢を崩すことなく残った答案の採点に取り掛かる。

 そんな彼の態度も気に入らないのか、ノクターンはいつものように自分の席に戻り、荒々しく腰掛けながらゲンジを睨み付ける。


「感心しない、と言ったぞ?」

「トビィのことか? 具体的に、どう感心しないんだ?」


 答案から顔を上げないゲンジ。

 ノクターンは痺れを切らしたようにゲンジの目の前の答案を取り上げ、自分の方を振り向かせる。


「その全般だ。特に候補生たちの悪乗りに同調しているところが気に入らん」

「同調?」


 ノクターンの言葉に眉を潜めるゲンジ。何のことだか一瞬わからなかったが、すぐに何のことか思い至り、一つ頷いた。


「ああ、集中的に罰を与えている件か?」

「ああ、そうだ。確かに、あの子は他の候補生と比べて資質が低いかもしれないが、だからと言ってあまりにも集中的な体罰を加えるのは感心せんな」

「ふむ。ノクターン、お前は案外人を見る目がないな」

「なに?」


 ゲンジの返答に柳眉を逆立てるノクターン。

 彼女は一瞬激昂しかけるが、その機先を制するようにゲンジはノクターンの手の中から答案を取り返す。


「おい! 話は終わって――!」

「俺が担当する候補生の中で、資質が最も高いのがトビィ・ラビットテールだ。少なくとも俺はそう踏んでいる」

「……なんだと?」


 ゲンジは机の上に答案を置くと、改めてノクターンのほうへと向き直る。


「少なくともダトル・フラグマンやフランチェスカ・クロスにはないものが……磨く前の原石に近い存在なのがトビィだと考えている」

「……ならば、何故罰を科す? 他の者と比べて、倍か三倍近い量の罰を与えていないか?」


 怪訝そうな表情のノクターン。彼女の言うとおり、トビィは大抵午前中の訓練の際に何らかの罰を与えられている。そして、午後の座学の際にも、たまに罰が与えられたりもしている。他にも罰を与えられている者の中で、最も多くて大体二日に一回程度のペースのはずだった。

 その問いに対して、ゲンジはもったいないと言わんばかりに首を横に振って見せた。


「出来うるなら、もっと科したいくらいだ。いや、むしろ付きっ切りで奴の鍛錬を行いたいほどだよ」

「付きっ切りで?」

「ああ、そうだ。一回生の訓練を行う場合、なるべく偏りが出ないようにするべしという、フォルティスカレッジの戒律がこれほど憎いと思ったときはないな。四回生たちを相手にしていた時は感じなかったが……」

「……まあ、一回生が教官一人に対して三十人以上いるのに対して、四回生は二、三人程度だからな……」

「戒律が正しいのは知っている。教導に偏りが出ては、他の生徒に対して示しもつかん。だが、真に伸びしろが大きな者に対しての注力も制限されては、元も子もないと思うのだがな」


 珍しく、不平不満を口にするゲンジ。実直な彼にしては珍しい態度だ。それほどに、トビィに入れ込んでいると言うことか。

 つまり、普段トビィに対して科している罰は、彼の訓練に集中する代わりということだろうか?


「ゲンジ。トビィの罰はつまり……原石たる彼を磨くための行為だと言いたいのか?」

「ああ。そもそも、俺は候補生たちを苦しめるためだけに罰を科したつもりは一度もない。何かしらの形で、彼らが伸びてくれることを願って、罰を科す」

「……その割には、ずいぶんと厳しい罰を科しているようだが?」


 ここ数日、トビィが科せられた罰を思い出し、ノクターンは渋い顔をする。

 どれもこれも、制限時間ギリギリまで全力を出さねば間に合わないようなものばかりだったはずだ。


「毎日、彼はヒィヒィ言いながらこなしているじゃないか。手心を加えよう、と言うつもりはないのか?」

「良く見ているのだな、君は」


 やや呆れながらも、ゲンジはトビィに科した罰の真意を語る。


「厳しいのは当然だろう。トビィの奴が、ギリギリこなせないラインの罰を与えている。少しでも、トビィがサボれば罰を終えることは出来んが、奴は生真面目な性格だ。与えられたものがなんであれ、必ずこなすだろう」

「ぎりぎり……? あれでか?」


 百分掛るランニングを六十分で終えさせたり、最初と最後に三倍近い差のある反復横跳びをさせるのが、果たしてギリギリと言えるのだろうか。

 そんなノクターンの疑問に、ゲンジは答えた。


「トビィは生まれの関係か、身体能力が首都で生まれた者たちと比較するとかなり高い。特に反射神経と、足腰が強く育っている。反射神経はさすがに実戦や模擬戦を重ねねばならんが、体力や足腰の強化であれば、走らせれば鍛えるまでいかずとも、現在の資質を維持することは可能だ」

「生まれ……確か、国境線上に存在する山村の一つの出身だったか」

「良く知っているな、君は」


 ゲンジの呆れ混じりの感心したような表情に、ノクターンは肩をすくめて答えた。


「いや、何……。一回生の面倒を見るのも長いからな。癖のようなものだよ」

「君のような教官でありたいものだな」


 ノクターンの返答に一つ頷いて、ゲンジは話を続けた。


「……君の言うところの、生徒の悪乗りに関しても一応把握はしているさ。トビィに罰を重ねるのが、彼の心象によくないことも分かっている。だが、今この時が重要なのだ……。恐らく、彼が勇者になるかならぬかの、最も大事なタイミングなのだ」

「……ゲンジ。君は、彼が勇者になれると考えているのか?」

「ああ。このまま、鍛錬を休まず、強い心を手に入れられればな」


 ゲンジの即答。その中には、何の疑いも持たない、純粋な想いが篭っていた。


「周りの軋轢に屈しても、その心の真芯が折れねば……あるいは折れたとしても、再び繋ぐきっかけさえあれば、彼は勇者として輝けるだけの資質があると、私は睨んでいる。そのためならば、彼に蛇蝎のごとく忌み嫌われようとも構わん。それだけで、いつか百万に等しい命を救えるだけの存在を育てられるというのであれば、俺は喜んで蛇蝎となろう」

「……そうか。君は強いな」


 昨日告げた言葉を繰り返しながら、ノクターンは肩をすくめた。


「蛇蝎になるのは構わんが、その前に逃げられないようにせねばな? あれだけ足が速いのであれば、国境線まで瞬く間なんじゃないか?」

「今はまだ逃げないだろう。フォルティスカレッジに入って一ヶ月だ。まだ、故郷の者たちの期待に応えねば、という想いが残っているはずだ。それがあるうちは、逃げると言う選択肢は頭の中には浮かばんよ。後悔なんかは浮かんでもな」

「……蛇蝎、いや、鬼だな君は。彼の郷愁の想いさえ利用するか」


 あまりと言えばあまりなゲンジの言葉に、ノクターンは呆れ果てる。

 ゲンジは対して応えていないような表情で、答案の採点に取り掛かり始めた。


「使えるものは何でも使うさ。そうでなければ、勇者になるなぞおおよそ不可能だ」

「頭の下がる教育者ぶりだよ……。そういえば、今回のトビィ君は、どんな罰を科されたんだ?」


 答案に丸とぺけ印を加えながら、ゲンジは答える。


「明日の午前中までに、アイマとフォルティスカレッジを往復するように命じた」

「は? 大人の早歩きでも、一日での往復など難しいだろう。ましてや山だぞ?」


 ノクターンは窓から外を見る。

 すでに日は落ちかけ、フォルティス・グランダムの首都を守る防壁、その唯一の出入り口となる大門と大橋は程なく上がる時間だろう。

 多くの魔物は、特に夜に活発な活動を行うようになる。人の勢力圏に積極的に押し入るような真似をする魔物は稀だが、それ以外であれば魔物の脅威は平然と横行している。

 夜の山などは、大量の魔物が闊歩する。アイマへの往復に一昼夜掛る最大の理由がこれなのだ。

 いかに熟練の戦士であろうと、夜中の山の中を強行に突き進むのは無謀である。

 今からアイマに向かうのであれば、その無謀を押し通さねばならないと言うことなのだ。

 そこまで考えたノクターンの表情に再び険が宿る。ゲンジは、トビィを容易く死地に飛び込ませたということなのだ。


「ゲンジ、どうするつもりだ? このままでは、トビィが死ぬぞ?」

「その心配はない、ノクターン」


 ゲンジははっきりと告げる。


「これが初めてではないんだ。トビィが、夜の山へと踏み入るのは」

「は?」

「彼は自身の故郷で、良く夜の山中を歩いたんだそうだ。夜にだけ咲く花が取れるらしくてな」


 夜にだけ咲く花。有名なところでは月見草がそれに当たるが、当然夜の山の中を歩くリスクは、魔物との遭遇などで多大なものになるはずだ。

 そうした薬草を取るために、トビィはフォルティスカレッジに入る前に山の中を歩いていたと言うのか?


「……彼の故郷が、魔物の勢力圏から外れていたのだろう?」

「山には熊や狼と言った凶暴な獣も多くいたそうだ。……というより、それらを飛び越えでもしないと、花は取れんのだと」


 ゲンジは一つ、呆れたようなため息を吐いた。


「さっきの強い心の話だが……彼は、自分が出来ることがどれだけすごいのか自覚できていないのだ。夜の山を、まるで自分の庭であるかのように歩けるのがどれほどの偉業なのかをな」

「……それが事実なら。普段の罰も単なる鍛錬だな、確かに……」


 言うまでもないが、熊も狼も徒人をはるかに上回る強力な力を有した獣だ。

 それらから隠れたり逃げたりしながら山を駆け回るのは、熟練のスカウトやシーフでも難しかろう。

 ノクターンは両手を挙げ、ため息を吐いた。


「訂正しよう。君は立派な教官だよ。……早く、彼に自身の価値を理解させてやってくれ」

「出来ればそうしてやりたいよ、まったく……」


 ゲンジは同意するように、深い深いため息をまた吐いた。




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