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第78話:勇者の心得

 王都の外へと叩きだされたバルカスは、ゆっくりと体を起こし上げる。

 今、自分がどこにいるのか。今、自分が何をされたのか。

 それを理解したかどうかすら怪しい様子のバルカスは、天にかかる月を見上げ、また咆哮を上げる。

 理性など、もう残っていないのだろう。あれほどの変容を成し遂げるバルカスのイデアには感服するが、その代償はあまりにも大きかったようだ。

 ――そう、イデアにも代償は存在する。万能無限に等しいとも言われる力であるが、望みというものは大きければ大きいほど、天秤の皿を大きく傾けるように求める代償も自然と大きくなる。丁度、バルカスの今の姿が良い例だろう。

 人としての理性を代償に、より強大な姿と力を手に入れた。彼のイデアの性質が“己の望みに可能な限り近づく”であるならば、あれこそが魔王の姿か、あるいは己の怒りを発奮するのにちょうどよいのがあれだったのか。

 バルカスのイデアが元に戻ることができるのかは不明であるが、ああなっては自分から元に戻るということはないだろう。すでにそんな思考があるかどうかすら怪しい。

 王都の外に叩きだした以上、遠慮もいらない。ここで、確実に始末せねば。

 王都外壁に開いた穴の上に立ちながら、ゲンジは腕を組み、バルカスの姿を睥睨する。


「さて……どう攻めるか」


 ゆっくりと思案するゲンジの隣に、トビィが上から飛び降りる。

 危なげなく着地した彼のほうには目もくれず、ゲンジは静かに呟いた。


「遅いぞ、トビィ」

「す、すいません!」


 ゲンジの叱責に、トビィは慌てて頭を下げ、それから恐る恐るといった様子でバルカスのほうに目をやった。


「それで、その……先生。あの、化け物は……?」

「いまだ健在だ。あの通り、元気に吠えているよ」


 ゲンジの指さす先には、咆哮を上げ続けるバルカスの姿があった。

 びりびりと、体を突き刺すような怒気をその咆哮から感じながらトビィはごくりとつばを飲み込んだ。


「あ、あんな……あんな大きな、化け物……倒せるんですか……っ?」

「倒す」


 思わずといった様子でこぼれたトビィのつぶやきに、ゲンジは断言する。

 倒せる。ではなく倒す、と。

 まっすぐバルカスを睨みつけたまま、ゲンジはトビィに語り掛ける。


「いいかトビィ。勇者というものは、常に不可能に挑む。それは何故だ?」

「……?」


 禅問答のようなゲンジの問いに、トビィは一瞬混乱するが、何とか答えをひねり出す。


「……その、不可能というのは、普通の人には解決できないこと……だからですか?」

「そうだ。普通の人々にとって、困難な問題を解決するのが勇者の仕事だ。これは、不可能といわれていた魔王討伐を成し遂げた初代アルス王の時代から、変わっていない。勇者の使命……いや、宿命というべきか」


 ゲンジは己の掌を……イデアの宿る拳を見つめる。

 かつて己の祖国を失った経験を持つゲンジ。国が滅んだ当時にイデアを持っていなかったが、果たしてその時にイデアがあれば国を救えたのか。

 トビィはゲンジの過去を知らないが、その瞳に深い懊悩が浮かんでいることにだけは気づいた。

 黙って師の次の言葉を待つトビィに、ゲンジはゆっくりと語った。


「……故に、我々は為さねばならぬ。できるできないではない、為すのだ。徒人には為せぬ故、我々勇者がいるのだから……」

「………けど、先生」


 トビィはバルカスを見つめながら、恐る恐る師に問う。


「もし……もし、僕たちにもできなかったら……その……」

「……そうだな」


 トビィの言葉の中に、失敗に対する恐怖を感じたゲンジは、そのことを叱るのではなく、笑って答えた。


「その時は、いっそ逃げるか。国の外まで」

「え。……そ、それはいいんですか」

「よくはなかろう。まあ、逃げたら逃げたで、ほかの勇者に助力を求めるまで。この国には、ほかにも十二人の勇者がいるのだ。我々で手に負えずとも、誰かが倒せるさ」

「…………………本当にそれでいいんですか………?」


 思わずジト目でゲンジを見つめるトビィ。

 ゲンジはそんなトビィの視線に、肩をすくめながらその視線に応える。


「我々勇者は為さねばならぬが、個人としての技量や能力には限界があるさ。そういう時は、素直に他の者に頼るべきだ。今は、勇者が複数いるのだからな」

「……そうですか」


 なんとなく、勇者というものに抱いていたイメージを砕かれた気分で、トビィは軽く肩を落とした。

 勇者というものは、ゲンジの言う通りできないなどとは言えない存在だと思っていた。

 あらゆるすべてをこなせる、完璧な存在こそが勇者と呼ばれるにふさわしいのだと思っていた。

 だが、ゲンジはそうではないという。できないことがああって、誰かの助けを乞う手も良いという。

 トビィの気難しげな表情から何を考えているのか察し、ゲンジは軽く笑って答える。


「……象徴としての勇者と、役割を果たす個人としての勇者は違うものだ。重要なのは、フォルティス・グランダムの“勇者”が負けぬことであり、我々個人の戦績など重要ではないのだ」

「……フォルティス・グランダムの“勇者”が……」

「そうだ。……難しく考えることはない。お前がしくじったとしても、後を引き継いでくれる人間がいることだけ覚えていればよい」


 ゲンジは笑いながら目を伏せ、そして顔を上げながら見開いた時には真剣な表情でバルカスを睨みつける。


「さて……向こうの準備も終わったようだぞ!」

「え!?」


 ゲンジの言葉に、トビィが慌ててバルカスのほうを見ると、すでに咆哮をやめたバルカスがじっとこちらを睨みつけているのが見えた。

 多少距離はあったが、それでも今にもこちらに飛び掛かってきそうだ。

 ゲンジは深く腰を落とし跳躍に備えながら、トビィに指示を出した。


「トビィ! 先の因縁からか、貴様に執着している! 可能な限り距離を詰めろ! 無理な攻撃をするより、奴の消耗を誘うよう回避に徹しろ! 逃げるのが得意なんだ、できるな!?」

「は、はい!? わかりました!」

「よし!」


 反射的にそう答えるトビィに対して頷きながら、ゲンジは一足先に外壁の穴から飛び出してゆく。

 背筋を伸ばしながら答えたトビィは、ゲンジの背中を見送った後、ハッと何かに気付いたように慌てて外壁から飛び降りる。


「ぼ、僕も行かなくちゃ……!」


 逃げるという選択肢は、すでにトビィの頭の中にはない。今は、どうやってあの巨大な化け物を倒すかだけを考えている。

 王都の外に広がる草原の上に着地し、バルカスに向かって駆けながら、トビィはその巨躯を見上げて思案する。


「……けど、実際どうやって……?」


 その体は、あまりにも大きすぎた。近づけば近づくほどに、その巨体の威容が伝わってくる。

 その姿は、さながら山のようだった。見上げるだけで首を痛めるし、近づくだけで頭の上に影が差す。

 先ほど慌てて蹴りに行ったときとて、王都の外周に沿って全力疾走していなければ、押し返すことも叶わなかっただろう。

 ちょっとやそっとの加速では、びくともしないはずだ。

 ………ラウムの言う通り、自分のイデアが“走れば走るほどに威力が増す”特性を持つのだとすれば、どれほど駆け抜ければ、あの巨体にダメージを与えられるのか?

 そして、それだけの力を蓄えるのに、どの程度の力が必要なのか?

 そうやって思案するトビィの頭上に、ひと際濃ゆい影が差す。


「っ!」

「トビィ!」


 ゲンジの叫びと同時にトビィの姿は霞み、次の瞬間にバルカスの掌がトビィのいた場所へと叩きこまれる。

 一拍置き、バルカスの顔辺りに姿を現したトビィは、とりあえず目の前にある頬骨に全力で蹴りを入れてみた。


「いいぃぃ……えぇぇぇいぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!!」


 空中で体をひねり、大きく横回転をしながらの回し蹴り。まるで破城槌を叩きこんだかのような轟音が響き渡るが、バルカスの体は小動もしない。

 せいぜい、軽く小首をかしげた程度か。大したダメージを受けた様子もなく、顔に蹴りを入れてきたトビィの体に向かって、再び掌を叩きこもうとする。


「っ!」


 背後に迫る掌の気配に、慌ててトビィはその場を移動する。

 トビィが消えるのと同時に、バチィンと大きな音を立てるバルカスの顔面。

 まるで羽虫か何かを叩こうとしたときの気安さだが、その威力は想像を絶するものだろう。

 バルカスの足元辺りに着地しながら、トビィは険しい表情でその巨体を見上げた。


「どうする……! どうすれば……!?」


 巨大すぎる故、どれほどの威力が必要なのか見当もつかない。

 思案しながらも足を止めず、トビィはとにかく力をためることに腐心する。




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