第76話:避難誘導
ゲンジから一方的に念話を途絶されたノクターンは、困惑しながらバルカスのほうを見やる。
「外壁との最短距離の避難など……。弾いて外に追い出すつもりか?」
ノクターンが最初に考えた可能性はそれであった。
ゲンジのイデアであれば、バルカスの巨体をフォルティス・グランダムの外へとはじき出すことは可能だろう。以前、遠くの国に存在していた古城を弾いて、湖の底に沈めたのを見たことがある。あの規模を考えれば、バルカスを弾く程度訳はなかろう。
だが、それによってもたらされる被害は甚大だ。弾かれた射線上にある家屋は軒並み倒壊するし、外壁の破損具合も深刻だ。恐らく、ワームが破壊した部分の修復だけでも一年以上かかるはずで、その上もう一か所増えるとなると、王都中の大工たちが卒倒しかねない。
視線の先のバルカスは、中空を睨みつけたまま、縦横無尽に剛腕を振るっている。
その場から動く様子もなく、ひたすら腕を振るっているのを見るに、移動するつもりはないようなのだが、それが逆に不気味だった。何を考えているのか、全くわからない。
化け物と化し、正常な思考を失っていると考えるべきだろうか。だとするならば、ゲンジの判断も止む無しか。
「ノクターン先生! 神官の女の子は、フォルティスカレッジの寮に転送しておきました」
「うむ、ご苦労」
フランを預けた愛弟子の言葉に一つ頷くと、ノクターンは手早く次の指示を出す。
「では次だ。そこらにいる騎士や兵たちに念話で通達。あの化け物と外壁を結んだ直線状、最短距離部分から住民を避難させる。あの化け物の動向が不明故、十分以内で退去を完了させるぞ」
「十分ですか!? りょ、了解です!」
ノクターンの無茶ぶりに驚きながらも、ノクターンの指示通りに動き始める愛弟子。
ノクターン自身も、愛弟子を横目にそこら中に対して無差別に念話を飛ばす。
「これを聞いている者、全てに伝える! これより――!」
「――十分で避難を!? それで、どうするんですか!?」
ノクターンの飛ばした念話は、空中で回避を続けるトビィの頭の中にも響く。
その指示の内容が、一軒家の屋根に立つゲンジが告げたものだと知ったトビィは、ゲンジへと問いかける。
唸る剛腕の攻撃から逃げ回るトビィに、ゲンジは大声で指示を出す。
「十分経ったら、その時改めて指示を出す! 今、お前はとにかくその場で攻撃を回避し続けることに専念しろ!」
「は、はい!! で、でも先生……!」
トビィはバルカスの剛腕を跳び越えながら、さっそく泣き言を漏らす。
「……このまま空中に静止しながらはきついです! 一度降りても構いませんか!?」
「ダメだッ! お前がフォルティス・グランダム王都の家の屋根に降りれば、バルカス……子の化け物は、屋根ごとお前をつぶそうとする!」
ゲンジはそう叫びながら、落下しかけるトビィの体を、己の拳で上へと飛ばす。
「わぁ!?」
「お前の足腰の強度は大したものだ! その力があれば、バルカスの腕を足掛かりに、その場に静止し続ける程度、訳はないはずだ!」
「そうは言いましてもぉ!?」
ゲンジの無茶ぶりに悲鳴を上げるトビィに、バルカスの剛腕が迫る。
「ヒィ!?」
空を刳り貫く轟音とともに振るわれる剛腕を前に、トビィは慌てて蹴り足を繰り出す。
だが、バルカスの腕に叩きつけるためではない。そっと、バルカスの腕の上部分に添えるように足を繰り出し、接触した瞬間に思いっきり振り下ろす。
「―――ッ!」
動作はかかと落とし。だが、トビィの体は真上へと跳ね飛ばされる。
バルカスの攻撃によるものではない。かかとを支点に、トビィは真上に跳ねたのだ。
真横に足を繰り出したうえで、かかとのみを支点に跳ねたトビィを見上げ、ゲンジはこっそり感嘆の息を吐く。
「……イデア持ちというのも、納得しそうな力だな。強靭なばねだ」
今、トビィは足の力だけで真上に跳ねた。いくらまだ体重の軽い子供であるとはいえ、足の筋肉で全身の体重を跳ね上げるなど、相当な筋力だ。
やはり、トビィはゲンジの見込んだ通りの能力を持ち、それを発揮するだけの技量があったようだ。
そのことに感嘆と安堵を覚えながら、ゲンジはそれを険しい表情で隠し、トビィに叱咤激励を飛ばす。
「その調子だ、トビィ! ほぉら、次の攻撃が来るぞぉ!」
「イイィィィ!?」
悲鳴を上げながら、トビィは再び振るわれた剛腕を蹴り、上へと跳ぶ。
まだまだ避難の完了する気配はない。トビィは、迫るバルカスの腕を見て、ぼろぼろと涙を流し始めていた。
「ここは危険です! さあ、急ぎ避難を!」
「我々が誘導します! 外に出てください!」
「すでにスケルトンを始めとする魔物たちは、浄化されました! さあ、お早く!」
ノクターンが飛ばした念話を受けた、フォルティス・グランダムの騎士と学徒たちは、一斉に彼女が指示した地域へと急ぎ、その場に取り残されていた住民の避難を開始し始めた。
王都全域を覆う浄化魔法に、スケルトンおよび肉食虫の消滅。そして謎の巨大生物の出現。
王都に散り散りとなっていた騎士たちの困惑は、言葉では語りつくせぬほどに大きかった。
だが、ノクターンの指示を聞き、彼らは急ぎ現場へと駆けつけ、素早く残されていた住民たちの避難を開始した。
――フォルティス・グランダムの騎士、そしてフォルティスカレッジの学徒たちは、元よりこの手の技能に長けていた。
彼らにとっての勝利とは、人が死なぬこと。人を助けること。
勇者としての思想教育が徹底されており、そうあるべしとして訓練を重ねるフォルティス・グランダムの者たちにとって、避難誘導は必携のスキルだった。
まず何よりも、被害にあうのは力無き無辜の民たちだ。ならばまずは、彼らの安全を確保することこそが最優先であるべきなのだ。
「民たちよ! 急ぎ、この場を離れるのだ!」
「お急ぎを! このままでは危険です!」
そしてそれは、何も兵士たちに限った話ではない。フォルティス・グランダムの市政を担う、王族とてそうした訓練を受けている。
「王!? このような場で、一体……!」
「話はあとだ! 今は手が必要だろう!?」
「お急ぎください! さあ、立って!」
住宅街の一角にて熱弁を振るうアルス王とニーナ王女の姿に騎士たちは泡を食うが、アルス王は彼らの動揺を一喝し、ニーナ王女とともに民たちの避難誘導を行う。
「今も戦う勇者たちに一計ありであるならば、まずは私がその手助けをせねばならぬのだ!」
「たとえ一助にならずとも、人命こそ最優先です! あなたたちも、さあ!」
「――っ! はい!」
王が民の命を慮る。ごく当たり前の光景であったが、この火急の場において、怪我の具合をおしてでも民のために動く王たちの姿を前に、騎士たちが発奮する。
王の手を煩わせていることの羞恥もあったが、何よりも、勇者王国の者として、率先して動き続ける王たちへの尊敬の念が勝った。
――そうした積み重ねにより、瞬く間に外壁とバルカスの間を結ぶ住宅街から人気が失せていった。
はじめは困惑していた民たちも、スケルトンを始めとした脅威がいなくなったことと、バルカスという新たな脅威の出現を前に、素早い避難誘導に従って行動し始めていた。
ノクターンを始めとする魔導士たちは、始めは避難誘導の手伝いを行い、それが十分に行われたことを確認したあたりで、人が残っていないか探査魔法で該当区域の確認作業へと入った。
小さな結界を駆使した、有人無人を確認する探査魔法。カバーできる範囲こそ広くはなかったが、それを人数で補い――。
「……ノクターン先生! 該当区域、全域の探査終了しました! 現在、外壁までの道のりに、人は人っ子一人いません!」
「……よし、確かにいないな」
ゲンジの念話を受けて、十分。
ぎりぎりではあったが、人がいないことまで確認し終えたノクターンの元に、ゲンジからの念話が届いた。
《ノクターン!》
「こちらは避難完了したぞ!」
ノクターンは自身も避難しながら、ゲンジに素早く返した。
「何をする気か知らんが、始めてくれ!!」




