第73話:無理難題の回答
ゲンジの治療を続けながら、ノクターンはアルス王とバルカスの戦いを見つめていた。
「……やはり、ニーナ王女の存在が足かせになっているか」
遠目に見ていてもわかる。バルカスが彼女を盾にし始めた途端、アルス王を始めとする戦士たちの動きが鈍っているのが。
「フハハハハ! 脆い脆い脆い! 人はこれほどまでにも脆いものだったかぁ!?」
「くっ……!」
バルカスの哄笑に反論することもできず、アルス王はひたすらにその猛撃を受け流す。
その最中にも、周りの兵たちはニーナの奪還に動こうとしているのが見えるが、ニーナの体は触手によってコントロールされており、兵が近づくのを感知すると、それから遠ざけるようにゆらりくらりと動き続ける。
何人かの兵は機転を利かし、触手に近づかないまま、矢や斬撃魔法の類で触手の切断を狙うが、それに覆われた甲殻はあっさりと兵たちの攻撃を弾き返した。どうやら見た目の柔らかさ以上に、恐ろしいほどの硬度を誇っているようだ。
アルス王を攻め立てるためにバルカスが常に動き続けているというのもあるだろうが、しっかりと力を込めた一撃でなければ通用しそうにない。……いや、力を込めたとして、その辺りの兵で断ち切れるだろうか。それこそ、アルス王の持つ魔法剣、その中でも威力が最も高いとされる鮮血一痛でもなければ断ち切れないのではないか?
そんな不安が、ノクターンの胸中を過る。仮にその通りだとしたら、何とかバルカスとアルス王を引き離さなければなるまい。
「さて、どうしたものか……」
「――ぐっ、ごぶっ!」
ノクターンが一人で思案していると、肺の穴をふさがれたゲンジが息を吹き返した。
大量の血泡を吐き出しながら荒く呼吸を繰り返し、ゲンジは自身の体を支えてくれているノクターンのほうへと顔を向けた。
「ごほ、ごほっ! ……ノクターンか……世話を掛ける……!」
「気にするな。私では、バルカスに一手も二手も及ばんだろう」
ノクターンはゲンジの言葉に軽く返しながら、簡潔に状況を説明する。
「ゲンジ。バルカスがニーナ王女を盾にし始めた。周りの兵やアルス王は、御身に手を出せず、攻めあぐねいている」
「そうか……まあ、そうだろうな」
傷と体の具合を確認しながら、ゲンジは沈痛な面持ちで頷く。
「今代のアルス王、唯一の後継者だ。死なせるわけにはいくまいよ」
「……まあ、そうだな」
ゲンジの言葉に、ノクターンも苦々しげな表情で頷く。
――フォルティス・グランダムの国是。国の根幹を為すそれの一つに、こんなものがある。
“初代アルス王の血筋を絶やすべからず”。つまり、魔王を打倒した血統を消して失わせるな、というものだ。
これは、魔王に唯一対抗できたイデアの持ち主が、初代アルス王であったことに起因しており、魔王の復活を懸念してのものであるが、魔王討伐から百年以上経過した今では、アルス王という称号の神格化に一役買ってしまっている。
この国、フォルティス・グランダムは“勇者”を名産物とする、極めて珍しい国だ。勇者を生み出すに至った経緯は数多あれど、勇者を願った理由は一つ。
すなわち、“初代アルス王の再臨”。世界を救った英雄を、もう一度世界に復活させようという、人々の願いからだった。
魔王という、世の末とも呼ぶべき脅威。その暗黒を、仲間たちとともに打ち払った初代アルス王……アルス・フォルティス。彼という存在、その輝き、その威光。魔王の時代を過ぎ去った今となっては……否、今だからこそ、ひどく大仰に膨れ上がり、さながら神のような扱いを受けてしまっている。
故にこそ、唱えられるのだ。血を絶やすな、と。
そのことを懸念し、今戦っている兵たちも、迂闊に手を出せないでいる。今、ニーナを失えばアルス王の血筋が絶えてしまう可能性が、高くなってしまうのだから。
「……こんなことであれば、媚薬でも何でも使って、適当な既成事実を打ち上げるべきだったな」
「滅多なことを言うな、バカモン」
ぼそりと恐ろしいことを呟くノクターンの頭をはたきながら、ゲンジは一つため息をつく。
「……まあ、これに関してはアルス王もよくない。その血統を残すために、複数の王妃を娶ることを認められているにもかかわらず、生涯において一人しか愛さず、一人しか子を為さなんだからな」
「没すのもいささか早かったな、王妃様は。……呪い、などとも噂されたが、今はどうでもいい」
ノクターンは頭を振って、自身の中にある不穏な噂を消しながら、ゲンジの隣に立つ。
「いずれであれ、ニーナ王女が癌であるなら、どう取り除く?」
「殺すには、まだ向こうもこちらも切羽詰まっていない。アルス王たちは追い詰められておらず、バルカスにも余裕がありそうだ。つくのであれば、今このタイミングをおいてほかはないが……」
どちらにとっても余裕があるのは、好材料だ。アルス王側はニーナを殺すべく行動するほど切羽詰まっていないし、バルカスはまだまだアルス王が嬲り足りずに力を持て余している状態だ。
シーソーのような危ういバランスであるが、まだ平行線を保てている。どちらかに傾き切る前に、ニーナ王女を奪還しなければならないが……。
「そのまま猪突猛進しては難しい。奴の体、言うだけあってこの場の誰よりも能力が上だぞ」
「自身の思い描く理想に近づくイデアだったか? 面倒極まりないな……」
バルカスのイデア、我が愛しの魔王閣下。彼の理想を、本物に近い能力で発揮する力。
彼の今の姿が、理想の魔王のものだとしたら、この場にいる誰よりも強いだろう。真なる魔王の顕現こそが、彼の理想。その力は、こちらの想像をはるかに凌駕するはずだ。
実際、複数人を相手取っても、余裕で攻撃を回避し、たとえ受けたとしても皮膚だか甲殻の表層で弾き返している。まだ本気になっていない状態でこれだと、本気になられると誰の手にも負えないだろう。
「単純な地力でこちらを上回られているのがつらい。押し合いへし合いでは絶対に敵わない」
「お前のイデア、拳骨隆々ならどうだ? ニーナ王女だけ弾けないか?」
「だめだ。たとえニーナ王女の体に触れられても、バルカスの体を振り切る方法がない。そのまま一緒に吹き飛ぶだけで、何も解決しない」
あらゆるものを弾く拳を持つ男、ゲンジは口惜しそうにそう呟いた。
あらゆるものがはじけても、ただ弾くだけではダメ。触手の拘束を解かぬ限り、ニーナ王女を救うことは敵わないのだ。
考えている以上の難問を前に、ノクターンは唸り声を上げる。
「だめか。……私のアポート系の魔法も、ああも激しく動かれると狙いが付かん。変なものを飛ばしてしまっては、後の収拾がつかなくなってしまう」
「やはりだめか……。せめて、バルカスが止まっていてくれればな。他の兵が触手を断ち切れるかもしれんのだが」
ゲンジはあきらめたようにため息をつくと、一歩前に出る。
「考えても埒はあかんか。ノクターン、私も前で戦う。時間を稼ぐので、ニーナ王女を助け出す算段をつけてくれ」
「勇者様は無理を言う」
ノクターンは顔を引きつらせながら、お手上げのポーズをとった。
「並みの攻撃は軽く弾き返し、我々よりも素早く動き回る対象からニーナ王女を殺さずに取り戻せというのだろう? 私にやらせるのなら、どれか一つに絞ってくれ」
「むぅ……。無理は承知だが……」
改めて並べられると、相当な無茶だ。少なくとも即興で準備の整う作業ではないだろう。
だが、やるしかない。ノクターンの悪態に、重い溜息で返しながら、ゲンジは一歩前に踏み出した。
――その時だ。
「ノクターン先生、フランさんを……!」
少年の声が聞こえたかと思ったら、ノクターンの足元に気絶したフランチェスカの姿が現れた。
「え、へ?」
「ゲンジ先生、ニーナ王女は僕が……!」
「なに!? おい、待て!」
聞こえてきた声の主に、ゲンジは慌てて手を伸ばすが、彼はそれを聞かずにバルカスへと立ち向かう。
赤くはためく、長い襟巻を翻しながら。




