第70話:天まで届け、我が想い
「何が! 何が起こっているというのだ!!」
半ば発狂したかの如く繰り返すバルカスを見て、ゲンジは胸中でつぶやく。
(奴にとってもこれはイレギュラー。状況は好転しつつあると見るべきか)
少ない情報で、ゲンジはあの青い輝きが何かを推察する。
この王都で自由に動ける人間は少ない。特に、大量に動き回るスケルトンと肉食虫を潜り抜けるとなると、相応の技量か素早さが必要になるだろう。
技量はともかく、他を圧倒するような素早さを持つとなると、可能性があるのはトビィだろうか。彼の尋常ならざる脚力が、ラウムとの戦いで何らかの力として結実しているのであれば、肉食虫程度は問題になるまい。
そして彼の傍には神官見習いであるフランチェスカを残してきた。神官の操る儀式魔法の一種に、霊脈の乱れを正すものがあると聞く。フランチェスカがそれを知っているのであれば、それを行使することを試みるかもしれない。
(フランチェスカを背負ったトビィが霊脈へ赴き、あの子たちが霊脈を正そうとしている。……多分に希望的観測が混じってはいるが、これが今起きていることと考えるべきだろう)
すでにバルカスの手下は全員死亡している。そしてバルカス自身があの霊脈の輝きに驚いている。
ならば、少しくらい楽観的に物事を考えても構うまい。いずれであれ、この動揺を衝かぬ理由はないのだから。
「シィッ!!」
ゲンジは素早く拳で空を叩き、飛翔する。
高速で飛ぶゲンジは、さらに数回空を叩くことで自身の体をさらに加速させてゆく。
「オオオォォォォ!!」
「む!?」
高速で接近するゲンジに気付いたバルカスであるが、その時には彼は射程にバルカスを捉えていた。
「落ちろぉ!」
「ぬかせぇ!」
振り下ろされるゲンジの拳を、転移によって回避するバルカス。
ゲンジはそのままバルカスのいた場所を突き抜けてゆくが、空を叩いて姿勢を制御する。
転移を終えたバルカスは、辺りを睥睨しながら大上段で叫んだ。
「小賢しい……! その程度で私の隙をついたつもりか!?」
「ゼァァァァァ!!」
「っ!?」
叫ぶバルカスの背中に向かって、魔光刃を解き放つアルス王。
慌てて振り返ったバルカスは、握った拳で魔光刃を砕きながら今度はアルス王に向かって叫ぶ。
「貴様ぁ!! 仮にも勇者の王だろうが!! 不意打ちなど恥ずかしくないのか!?」
「あいにく、一度敗北したものにそれ以上の恥をさらすことはできんよ! 生き恥を晒す以上の恥はな!」
アルス王ははっきりとそう宣言し、剣に魔力を蓄える。
「騎士道も正々堂々も、無敗の余裕があってこそだ! 今の貴様には到底あてがえんなぁ!」
「吠えるな、くそ爺が!! この手のうちには、貴様の娘もいることを忘れているわけではあるまいな!?」
バルカスは見せつけるようにニーナの体を揺らす。
首をもって捧げるように揺らされたニーナは、軽いうめき声とともに覚醒を果たした。
「あぐ……が、は……! ……………ぁ?」
ゆっくりと瞳を開け、己の体がどこにあるのか。自分が、なぜこんな場所にいるのか。
それを理解できずに、ニーナはあられもない悲鳴を上げる。
「っき、きゃぁぁぁぁぁぁぁぁ!? お父様、お父様、どこですかぁ!?」
「はっ! 父親に比べれば、まだかわいげのある態度だな」
耳元でやかましく叫ぶニーナの姿を見て、バルカスは皮肉気に笑う。
ニーナは己の首をつかんでいるのがバルカスであると、聞こえてきた声から判断し、死角にいるバルカスに向かって叫んだ。
「あ、貴方は!? こ、このようなことをしたとして、何の意味もありませんよ!? 私の命とフォルティス・グランダム、比べられるようなものではないのです!」
「強がるな小娘! 無様に命乞いをしてみろ! そうすれば、多少は寿命も延びるというものだぞ!?」
バルカスはそう言いながら、ニーナの視界にアルス王が映るように体を動かしてやる。
バルカスの誘導によってアルス王を視界に収めたニーナは、一瞬だけその瞳を潤ませて父の姿を見下ろす。
「お父様……!」
「ニーナ」
アルス王もまた、一瞬だけ悲しそうな色を瞳に浮かべてニーナを見つめ返した。
親子の視線が交錯したのは、ごくわずかな時間。
だが、それだけで十分だとでもいうように、アルス王は悲しげな様子で首を横に振った。
「……ニーナ。覚悟はよいな」
「―――はい、お父様」
父の酷薄なつぶやきを聞いたニーナは一瞬息を詰まらせるが、すぐにそれにこたえるように静かにつぶやいた。
それはさながら氷の決意。自己を凍らせたニーナは、瞑目して父に答えた。
「我が身はいつだって、フォルティス・グランダムの礎です。どうか、悪逆の徒に報いを。世界を照らす輝きをもって、私の弔いとしてください……!」
「……ああ、無論だ。愛しき我が子よ」
王族としての矜持。まだ年若くとも、それを十全に意識し、覚悟を決めるニーナ。
そんな彼女を見上げ、アルス王は微かな笑みを浮かべ、そんなアルス王を見ろしてバルカスは唾棄した。
「……狂っている! やはり貴様らは狂っている!! 何のためにこの娘は生まれてきたのだ! こんなところで無為に殺されるためか!!」
「殺そうとしている貴様のセリフか、バルカス! 貴様がその手を離せば、全てにケリが着くだろう!」
一先ず屋根の上に着地したゲンジはバルカスを見上げて叫ぶが、バルカスはそんなゲンジに対して嘲るように叫び返した。
「ハッ! 幸せな脳みそをしているな、勇者様ぁ!? そんな生温く世界はできているのか!? 果たしてこの場で私が手を放したところで、いずれこの娘が“王族の責務”に殺されるには違いがないぞ!? 遅かれ早かれだ!! 人々の善意が、この小娘を殺すのだ!!」
「何をもってそんなことが言えるのだ!」
「わからんか!? この国でおびえる衆愚ども、その自覚無き悪意がこいつらを殺すのさ!!」
空いた手で大仰にフォルティス・グランダムを示すバルカス。
その叫びにはあらん限りの憎悪が込められており、並々ならぬ執念が見え隠れする。
「なんの責務も追わぬ者どもが、ただ自分は助かるべきだと妄信し、貴様ら勇者に助けを乞う! 貴様らは善意でそれを為し、凡愚どもは重ねてそれを乞う! いつしかそれがなされて当たり前だと凡愚どもは叫ぶのさ! ありもしない義務を貴様らに押し付けて!」
「力無き民衆にはそれが最大の権利だろう。それの何が悪いというのだ」
アルス王が静かに返す。その瞳に映る強い決意を見て、バルカスは汚物を見るような眼差しで顔をしかめた。
「もはや曲がらぬか、その意思は。哀れを通り越して、いっそ禍々しさすら感じるな。民衆に力がない? それを本気で信じているのか?」
「そうであろう。事実、貴様の侵略に対して何もできないでいる」
「何もできないじゃない何もしないのだ! 凡愚どもは自らの手を汚すことを恐れる! ああ、誰だってそうだろう、自分の手が血まみれになるのはごめんだからなぁ!!」
バルカスの感情に呼応するように、周囲の空間が歪み始める。
さながら陽炎のようなそれを纏い、バルカスは世の全てを嘲る笑みを浮かべ、なお叫ぶ。
「それを知らしめるための魔王閣下だった! だが、それはさえぎられた!! 衆愚どもの隷奴によって!!」
「隷奴だと……!?」
「自らが正しいなどと思い込み、一心愚者に仕える貴様らを隷奴と呼ばずに何と呼ぶ!? その愚かしさには哀れみを覚えるが、それを自覚させるのは来世としよう!」
笑い声を上げながら、バルカスは青い輝きのほうを睨みつける。
「……今は、この国を冥界に貶すことだけを考えよう。なに、一瞬で全ては終わるさ。始まりも、終わりもなぁ!」
「させるか!!」
「ハァァァァァ!!」
再びゲンジは飛び上がり、アルス王は魔光刃を放つ。
だが、バルカスはそれらを片手であっさりといなし、天に向かって掌を掲げ上げた。
「ぐ!?」
「チィ!」
「死にたくなければ気張るといいぞ、勇者ども! 冥界の空気は人には重すぎる! 少しでも気を抜けば、死ぬしかないのだからなぁ!! ハハハハハハハハハハハハハ!!!!」
バルカスの哄笑が辺りに響き渡る。彼の姿がさらに歪み、その体が転移を行おうとした。
「――幻想顕現・異界結界」
「な……!?」
だが、それが遮られた。ダトルの治療を終え、舞い戻ってきたノクターンが唱えた結界魔法によって。
自らが生み出そうとした空間の揺らぎを打ち消され、動揺するバルカスに向かい、ノクターンはぽつりと呟いた。
「……空間そのものに作用するイデアであれば、世界を隔絶する類の結界で阻害できると考えたのだが……こうもうまくはまると、反応に困るな」
「――きぃさぁまぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
赫怒の咆哮を上げるバルカスは、掲げた腕を振り下ろし、無数の炎の塊をノクターンに向かって放射する。
ノクターンはそれを片手で防ごうとし、ゲンジがそのカバーのために飛び出した。
「――主よ。我が祈り、我が願いを聞き届けたまえ」
無数の虫の死骸、骨のかけら。
夥しい量のそれに囲まれながら、ようやく呪文の詠唱を終えたフランは、大量の脂汗を体中から流しながら、答えを求めるように両手を空に掲げる。
「我が身、我が魂を委ねます――どうか、この国に安らぎを。世界に安息を――我が祈り、我が願い……どうか、どうか聞き届けたまえ――!」
彼女の顔面に向かって、ムカデのような肉食虫が飛び掛かる。
鋭い牙、頑丈なあご。フランの頭程度であれば、一飲みでかみ砕くであろう巨大な甲殻肉食虫。
眼前に迫るそれを前に……フランは心を乱すことなく泰然と呼びかけを続ける。
何故なら次の瞬間には――ムカデの体はトビィの蹴りで粉砕されてしまうからだ。
「ダァァァァァ!!」
群がる虫たちとの戦いで、全身にできた傷。
あふれ出る血も、それが発する痛みも意に介さず、トビィは咆哮を上げながらフランを守る。
もはや疑うことなどありえない。トビィは、フランを守り切ってみせたのだ。
ムカデを蹴り砕いた勢いのまま、次の肉食虫を粉砕氏に向かうトビィの勇ましい姿を見て、微かな笑みを浮かべながら、フランは最後の呪文を唱える。
「純なる者に鎮魂を――限界転生ッ!!」
既存の神聖魔法ではなかった。即席でフランが組み立てた即興魔法……正しい論理に基づいたものではない、縋るような思いで放たれた純粋な願いそのものであった。
だが、その呪文……否、祈りの言葉は天に届いたようだ。
はじめは小さな灯のような輝きがフランを中心に表れ、それは霊脈の光を受けて徐々に大きくなっていった。
そして、あっという間に成長した彼女の祈りの光は、フォルティス・グランダムの全域を覆い、浄化の力を隅々に渡るまで届けたのだ――。




