第68話:愚かな生き物
天を衝く紅い輝き。それには夥しい数の蝶が引き寄せられており、一種の幻想のような光景を演出していた。
だが、魔法に疎いダトルにも一目で理解できる、恐ろしい量の魔力。それこそが、あの幻想的な輝きの正体だ。
軽く振り返るダトル。相変わらず、肉食虫たちはこちらによってこない。
まるで、魔剣から放たれる魔力を嫌うように。
「………あ、あの剣」
傷だらけの体を引きずり、何とか立ち上がったダトルはふらふらと、さながら火に誘われる蛾のように、紅い輝きを放つ魔剣へと歩み寄る。
「あの、剣……あれ、さえあれば……!」
尋常ならざる業物。特殊銀の剣など、比較にもならないような強靭な武器。
ダトルが求めてやまなかった存在が、なぜか道端に落ちていた。これに飛びつかない理由は、ダトルにはなかった。
だらだらと流れ続ける血を無視して、何とか魔剣のもとにたどり着いたダトルは、その傍に跪く。
そしてゆっくりと、魔剣の柄に手をかけた。
「………っ」
ごくり、と自分がつばを飲み込む音がいやに大きく聞こえる。
無事、こうしれ触れることはできた。魔剣の類には時として意思があり、触れるものを選別し、拒絶することもあるとダトルは聞いたこともある。
この魔剣は、そんな様子はないようだ。しかし、触れているだけでガタガタと全身の震えが止まらない。
恐れているのか? あるいは興奮しているのか。ダトルにはそれがわからない。
背後の肉食虫に、目の前の魔剣。今、自分がおかれている状況がどこまでも日常とかけ離れているせいで、思考回路がマヒしてきているのかもしれない。
だが、ダトルにそれを自覚するような余裕はない。彼は混乱した頭で何も考えずに、魔剣を引き抜こうと両手に力を込めた。
「―――せぇ、の!!」
ぐっ、と全身に力を籠め、思いっきり魔剣を上に引く。
抵抗はわずか。ただ地面に突き立てられただけの魔剣は、ダトルの力に従うように、まっすぐに引き抜かれ――。
「……何をしている」
「っぎゃぁ!?」
――ることはなかった。突如現れた男が、魔剣の柄ごと、ダトルの手を踏みつけたのだ。
悲鳴を上げたダトルは、男の足から逃げられず、そいつを見上げることしかできない。
「て、てめぇ……!!」
「もう一度聞こう。ここで、何をしている?」
フォルティス・グランダムを襲った仇敵、バルカス。
憎き敵の姿を眼前にしたダトルは、自身を見下すそいつに向かって居丈高に叫んだ。
「決まってるじゃねぇか! こいつで、お前をぶっ殺してやるんだよ!!」
「ほう? この剣で? この私をか?」
「そうだ! この、こいつの、この魔剣があれば……!!」
バルカスに踏みつけられ、痛みの悲鳴を上げる両腕であったが、ダトルはそれを無視して必死に魔剣を引き抜こうとする。
だが、そんなことが叶うはずもない。成人男性であるバルカスはもとより、彼は今小脇にニーナ王女を抱えている。二人分の体重を払いのけるような膂力はダトルには存在しなかった。
愚かしすぎる向こう見ずさだ。バルカスは、呆れを通り越して感心すら覚えた。
「ふむ……」
この少年の何がそこまで救国に駆り立てているのか、若干興味がわいたバルカスであったが、それよりも先にこなさねばならない仕事がある。
片足で魔剣を踏みつけながら、バルカスはダトルの顔面を容赦なく蹴り上げた。
「っぎゃぁ!!??」
無様な悲鳴を上げ、吹き飛ぶダトル。顔のど真ん中を蹴り抜かれた彼は、鼻血を吹きながら真後ろへと吹き飛び、そのままゴロゴロと転がっていった。
振り上げた足を下ろし、ついでにそのまま地面に降り立ったバルカスは、痛みに転がるダトルを見て、小さくつぶやいた。
「何を思い、国など救おうと考えているのかは知らないが……その胸のうちに抱いている感情はたいへん好ましい。時と場所が違えば、同胞として迎えられたであろうな」
「同胞!? この俺が!? フォルティス・グランダムの勇者になる、このダトル・フラグマンが!?」
バルカスの言葉に、ダトルはぎりっとはを食いしばり、顔を抑えながら立ち上がる。
慌てて握りしめた特殊銀の剣をバルカスに突き付け、彼は怒りのままに叫んだ。
「ふざけるんじゃねぇ!! 誰がてめぇごときと徒党なんざ組むかよ!! 俺は勇者だ! 勇者になる男なんだぞ!!??」
「そうかそれはすまなかった。だが、その夢はとっととあきらめたほうが身のためだぞ」
ダトルの怒りを軽く受け流し、バルカスは彼に向かってこう告げる。
「勇者なんぞろくなものじゃない。せいぜいが見世物か、使い捨ての道具扱いだ。死地に投げ打たれ、化け物と殺し合いをさせられ、世界を救う偉業を為したとて、そんなの当たり前としてしか扱われない」
「何を言ってやがる!? それが当然! それが勇者の責務だろうが!?」
「わかっていないな。当たり前ということの残酷さを」
バルカスは一つため息をつきながら、魔剣の柄に手を添える。
「出来て当然。そうなるのが普通。そうでなければいけない。―――誰がそう決めた? なぜそうあらねばならない?」
「………?」
「あまりにも愚劣。肥え太った豚のような浅ましさ。……ああ、世界よ。何故受け入れるのだ……こんな生き物を……」
ぶつぶつとつぶやくバルカスの声はだんだんと小さくなり、ダトルの耳にも届かなくなっていった。
ダトルは不審げにバルカスの背中を見つめていたが、どこまでも無防備な彼の背中を見て、今こそ一矢報いるときと考えた。
ゆっくりと、忍び足。隙だらけの今であるならば、背中からバッサリと斬り捨てられる。
しっかりと両手で特殊銀の剣を握り締める。虫の甲殻を斬れないなまくらも、人の柔肌ならバッサリいける。
一歩、二歩、三歩。少しずつ、バルカスとの距離を詰めてゆく。
「―――」
それなりに近づいても、バルカスはこちらの挙動に気付いた様子はない。
いける。ダトルはそう確信し、一歩で斬り捨てられる距離まで詰めたら、思いっきり踏み込もうと考える。
「――ダトル・フラグマン! 離れよ!!」
「っ!?」
だが、怒号とともに己の名を呼ばれ、思わず前のめりにつんのめる。
慌ててダトルが振り返ると、そこにはゲンジ、アルス王、ノクターンに近衛騎士と、この国の精鋭たちが揃っていた。
こちらに向かって駆け寄りながら、ゲンジは切羽詰まった表情でもう一度叫ぶ。
「邪魔だダトル! 今すぐこの場から離れよ!!」
「じゃ、邪魔って……! 俺は、もう少しで……!」
「――いささか、遅かったな勇者ども」
ダトルは苛立ちをあらわにしながらゲンジに向かって言い返そうとするが、それにかぶせるようにバルカスが声を上げる。
「もう、この霊脈も終わってしまったぞ?」
「チッ!?」
ゲンジは慌ててダトルをひっ捕まえようとする。
だが、そうするより早く、霊脈が裏返ってしまった。
――地の奥底から響くような、重たい魔力の波動。冥界の権限の証。
先ほどまでとは異なり、強い衝撃波すら伴う漆黒の波動をまともに喰らい、ダトルは再び転がされてしまった。
「ぎゃぁぁぁぁぁ!?」
「ダトル!」
吹き飛ばされたダトルの体を、ゲンジが危なげなく受け止める。
全身に漆黒の波動を喰らったダトルは、白目をむいて気絶してしまった。
見れば、全身の傷口があっという間に倦み始め、ダトルの全身から血の気が引いているのがわかる。
生者が、死者に。今の波動を喰らって、ダトルの性質が裏返り始めてしまったのだ。
「これは……! いかん! ノクターン!」
「預かろう。後を頼むぞ」
ゲンジの呼ばわる声に、素早く応じたノクターンは、ダトルの体を抱えてその場から素早く離脱する。
英傑の魔法使いである彼女は、神聖魔法にも通じる。ダトルの反転も、彼女なら止められるだろう。
一安心しながら、ゲンジはバルカスのほうへと振り返った。
そちらのほうでは、冥界の起点となりつつあるフォルティス・グランダムの中で、バルカスとアルス王が相対し睨みあっているところであった。
「バルカス……! 貴様、貴様の思い通りになぞ……!」
「はは、ははははは!! 勇ましさだけは十分だなぁ、アルス王!? その勇猛さがあれば、この程度の窮地は乗り越えられようが、実際はどうか!?」
バルカスは声高に叫びながら、ふわりと浮かび上がる。
すでに侵された霊脈は四つ目。フォルティス・グランダムの半分以上が冥界に近づいてしまっている。
あと一つ。それを侵せば、この国は確実に死の国へと変じるだろう。
「わかるかね、アルス王!? 勇者に世界が救えても、この国一つ救えない! その現実が!?」
「貴様を倒せばそれで終わる……! それさえなせばよい! 実に、簡単な問答だ!!」
「そうだな! しかし、その問答すら終えられぬ! 貴様はこの身に傷一つつけられない!!」
バルカスは、ニーナの首をつかみ、見せつけるように持ち上げながら勝ち誇る。
「この通り、貴様の子女すら我が手の内だ!! いかほど貴様に勝ち目があるか!? あとたった一つ! 守り抜ければそれで済むというのに!!」
「………!」
アルス王は音が外に聞こえるほどに歯ぎしりをする。
実際のところ……勝ち目はほとんどないかもしれない。
バルカスを倒せば終わる。アルス王の言葉は真実であった。
だが、同時に不可能に限りなく近い答えでもあった。動作も音もなく突如遠くへと消えてしまうバルカスを、確実に捕らえる方法がないのだ。
この場の誰よりも、バルカスは早く動ける。ほんのわずかでも自身が不利になれば、なりふり構わず魔剣を侵しに行けばよい。
先回りをして妨害しようにも、バルカスの移動に障害物の有無は関係ない。妨害など、あっさりすり抜ければよいのだ。
「ははははははははははは!!」
「…………っ!!」
甲高い笑い声を上げるバルカス。それを悔しげに睨みつけるアルス王。
勝利を確信し、勝ち誇るバルカスをまるで称えるように、突如清浄な青い光が辺りを照らすのであった。




