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第67話:止められぬ執心

 手にした特殊銀製の剣は、スケルトンたちを一撃のもとに屠ることができた。

 当然だ。特殊銀に込められた力は、まさにそのための物。数で圧倒的に勝るスケルトンを始めとしたアンデットたちに対抗するために作られた武器であれば、文字通り朝飯前と言えた。

 だが、特殊銀の鋭い刃はスケルトンたちには通用しても、厚い甲殻に身を包んだ肉食虫たちには通用しなかった。

 多くの肉食虫は、自らよりも大きな獣を相手にするためか、全身を分厚い甲殻に包まれているものが多かった。

 肉食虫たちを包む甲殻は、その辺りに転がっているような金属鎧(プレートメイル)よりもなお厚かった。ただ闇雲に振るうだけの刃では、あっさり弾き返されて終いであった。


「く、くそ!? このぉ!!」


 すでに多数の肉食虫たちに全身の端々を噛みつかれてしまったダトルは、体中を血で汚しながらも剣を握り、懸命に走っていた。

 彼を追うのは、血の匂いに誘われて寄ってきた肉食虫たち。その数の夥しさたるや、まさに雲霞のごとしである。

 すでにダトルの肉を食み、彼に狙いを定めている肉食虫もいる。目の前を懸命に走り、逃げ惑うダトルは、肉食虫たちにはちょうど良いおやつでしかなかった。

 さらに言えば、いつでもダトルを殺すことができると、肉食虫たちは確信していた。ダトルの首を一気に噛み千切らず、彼に逃走を許しているのがその証左だ。

 肉食虫たちは待っているのだ。ダトルが疲れ果て、そのまま倒れるのを。

 彼の抵抗は痛くもかゆくもないが、それでも煩わしく感じる程度の感性は肉食虫たちにもあった。故に、ダトルが抵抗する気力もなくした頃合いを見計らって、その全身をゆっくりと味わう算段なのだ。

 ……そんな虫たちの考えも露知らず、ダトルは懸命に走った。


「はっ……はっ……! どうだくそ虫ども……! 全力で走れば、俺には追い付けねぇだろ………!!」


 虫たちに走らされていることに気付けないダトルは、己の逃走が成功しているのは日々の鍛錬のたまものだと妄信していた。

 日々の険しい鍛錬があったからこそ、今この瞬間を生き残れている。そう信じて疑わないダトルは、走りながらゲンジに悪態をついた。


「はっ……はっ……! 先生め、見たかよ……! トビィごときができることが、俺にできねぇはずねぇんだ……!」


 肉食虫の甲殻を乱暴に叩いたせいで、地金が歪み、刃がへこんだ特殊銀の剣を握り締め、ダトルは勝ち誇ったように呟く。


「あとは、武器があれば……! こんな、なまくらじゃなくて……あの虫どもにも通用する武器さえあれば……!」


 肉食虫たちに立ち向かえないのを武器のせいにして、ダトルはとにかく逃げ回る。町中に、強力な武器を求めるように。

 当然の話であるが、フォルティス・グランダムの王都にそのようなものは落ちていない。そんなものがそこらに放置されているようであれば、この国はバルカスたちに占拠されなかっただろう。

 しかしそんなことには思い至らないのか、ダトルはとにかく武器を求めて王都の中を彷徨い、駆ける。


「どこかに……どこかに武器は……!?」


 滑稽なほどに懸命に。

 哀れなほどに愚直に。

 ありもしない希望を探して、ダトル・フラグマンは王都を駆ける。

 ――ここで彼がとるべき行動は、今すぐに回れ右して王城に逃げ込むか、あるいは王都の奪還に動いている上級生や騎士たちに助けを乞うことであった。

 言うまでもない話であるが、ダトルはまだ二十にも満たぬ年齢の子供。そもそもの地力が足りなさすぎる。

 積んできた険しい鍛錬とて、子供の訓練に回数を上乗せした程度。

 絶望的なほどに実力が足りない。イデアの一つでもなければ、この窮地を乗り切ることなど不可能であった。

 しかし、ダトルはそれ(助け)を良しとしない。己一人でこの窮地を乗り越えねばと考えている。

 その脳裏にちらつくのは、弱弱しい態度を変えない一人の少年。


「武器さえあれば……! 俺が、あいつより、上だって……!」


 トビィ・ラビットテール。ダトルが唾棄する、忌まわしき招かれ組の一人。

 ダトルが望んで止まない、勇者としての地位が半ば約束されている、認めたくない人間の一人。


「勇者になるのは俺だ……! 招かれ組なんかじゃ……! ましてや、トビィなんかじゃねぇんだ……!」


 ダトルにとって、勇者とは絶対の存在であった。

 王都に生まれ、王都で育った彼にとって、子守歌は勇者たちの積み上げてきた英雄譚だった。

 初代アルス王から連綿と連なる勇者たちの活躍は、ダトルの魂にまで染み渡り、人の真なる姿はこうあるべきと、彼の心の奥底に信念、思想として深く形作られていった。

 故に己を鍛えた。自分の思う限界まで。

 だからこそつかみ取った。王都の民でも一握りしかつかめない、フォルティスカレッジの入門権利を。

 当然、誇らしかった。自身の信念が、正しいのだと。勇者かくあるべしという思想は、正しかったのだと。

 声高に宣言したかった。だが、その一声はついに発せられることはなかった。

 招かれ組の存在を知り……その中に、ただの田舎者で、力も弱く、知識も疎い。そんな、トビィ・ラビットテールが混じっているのを見つけてしまったから。

 自分の信念と思想に、どこまでも沿わない男が……自分と同じ場所に立てると知ってしまったから。

 

「俺、が……! 俺こそ、が……!!」


 幼かった少年の心に歪みが出るには、十分すぎる出来事だった。

 その短い人生で積み重ねてきた己の核が、すべて否定された気分になった。ただそれだけで、まっすぐに育つはずだった少年の心は、歪に歪んでしまった。

 自らの傍に立つ、誤った存在……トビィのすべてを否定し、自らの夢の舞台から排除する。それこそが、今のダトルの望みのすべて。

 自己の肯定により、トビィの否定をつなぎ、彼の存在をフォルティスカレッジから完全に消し去ることだけを考え、ダトルはひたすらに無謀を重ねる。

 足がまるで棒のようになり、がくがくと震え始める。

 体中の傷からこぼれる血がわずかに減り始め、全身の血色が落ち始める。

 さっきまでは狂おしいほどに酸素を求めた口からは、もはや霞のような息しか吐けず、声を上げることすら叶わなくなってくる。


「お……れ、が……! おれ………が……!」


 意識も遠のきかけ、足ももつれてしまっている。

 もはや、肉食虫たちに追いつかれるのも時間の問題――否。

 先走るように前に出た一匹の肉食虫が、ダトルの背中をえぐるように噛みついた。


「……っぁ……!?」


 もはや悲鳴すらろくに上げられず、ダトルは肉食虫の一撃を背中に受け、そのまま大きく吹き飛ばされた。

 受け身を取ることさえできず、特殊銀の剣は遠くに弾かれてしまい、ダトルの体は容赦なく地面に転がっていく。


「……っ! ぁ……!」


 ダトルは何とか肉食虫から逃げようと、もがく。

 このまま倒れていてはだめだ。追いつかれ、肉を啄まれ、そのまま死んでしまう。

 自らの理想を遂げることも、憎いトビィを否定することもできず、無残にこの大地に伏してしまうことになる。

 それだけは絶対に嫌だ。その一心で、何とか立ち上がろうと四肢に力を入れる。

 だが、すでに限界など超えてしまっていたダトルの体は、彼の意志には従わずにべしゃりと大地に手足を投げ出すばかり。

 わずかに地面をひっかくことしかできず、ダトルは荒い呼吸を繰り返した。


「っはぁ……! が、ぐぇ……! く、そ………!!」


 悔しさに涙を流しながらも、必死に抵抗するようにもがくダトル。

 ……そんな彼が、違和感に気付いたのはそのまま五分ほど地面に倒れたままだった時だ。


「………?」


 立つことは叶わずとも、上体を起こせる程度には回復したダトルは、なぜ肉食虫たちが襲ってこないのか不審を覚えた。

 先の一撃が、攻撃の開始だと思っていたのに、いつまでたっても肉食虫たちがやってこない。

 何とか上体を上げ、己を追ってきていた肉食虫たちを見上げると、連中はなぜかダトルを追わず、迷っているかのようにぐるぐると同じ場所を周回しているばかりであった。

 まるで、ダトルに近づこうとしてもできないと、嘆いているかのような行動。

 さしものダトルも、これが自分の実力だとは思わない。何故だ? 疑問を胸に抱きながらも立ち上がろうとするダトル。

 その時、彼はようやく気付いた。自らの体にさす紅色が、己の傷からあふれる血の色ではないことに。

 それは、光だ。自分の体を包む赤い光は、何かの輝きだった。


「な、なんだ……?」


 ダトルは光の差してくるほうへと振り返った。

 そして、見た。

 地面に突き立てられ、赤い魔力の輝きを天に向かって迸らせている、魔剣の姿を。




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