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第53話:虫の王の逃走

「く……そ……!? こんな、こんな男に……!!」


 悔しそうにつぶやくバグズ。

 震える拳をゆっくりと振り上げるものの、その振り下ろす先を見定めることができず、彼は無様な様子で声高に叫ぶ。


「―――かくなるうえはぁ!!」


 バグズがそう叫んだ瞬間、フォルティス上の上空から大量の虫が現れ、アルス王へと殺到し始めた。


「むっ!?」


 大きさも種類もさまざまで、なおかつ夥しい量の虫が殺到するさまは、まさに雲霞のごとく。アルス王はたまらずといった様子で一歩飛び退りながら、炎の魔法剣を発動する。

 そのまま横薙ぎに剣を振るうと、その軌跡の先に向かって炎が飛散する。

 大火というにはいささか小さいが、それでも十全な大きさでもって炎は、アルス王に向かってたかる虫たちに引火する。

 隙間なくみっちり詰まっていたためか、虫たちの体に着いた炎は瞬く間に大きく燃え広がる。

 アルス王の目の前で小さな炎が大火へと進化し、そして灰へと還るまでそう時間はかからなかった。


「……む」


 そして、炎が晴れた後にバグズの姿は見えなかった。

 アルス王は長剣を手のひらで弄びながら、思案する。


「逃げた……のであろうが、諦めたわけでもあるまい。あやつの目は、まだ負けを認めぬものの眼差しであった」


 人というものは、なかなか自らの敗北を認めたがらないものだ。

 簡単に己の負けを認められる者というのは、始めからその結末を知っているか、あるいはそもそも目の前の勝負にそれだけの価値を見出していないかのいずれかだろう。そうでない者は、その意思や心が折れるまで、己の敗北を認めることはしないだろう。

 アルス王とてそうであるし、そうであった者と幾度となく逢い見えたことも何度もある。

 バグズもいまだ、己の負けを認めることができない目をしていた。なまじイデアという強大な力を保有しているが故、そう簡単に負けを認めるわけにはいかないというのもあるのかもしれない。

 彼がどのような経緯でバルカスに仕えることとなったのかはわからないが……ひょっとしたら、彼のイデアはバルカスによって覚醒を促されたのかもしれない。

 小さな少女のイデアを覚醒させたかのようなことを、バルカスも言っていた。源流を知るなどと大言を吐く以上、それが一人だけというのも考えにくい話だ。

 授かったイデアと、それを授けてもらった恩義。それが、バグズを支えるものだとするならば、彼の心をくじくのはなかなか骨が折れそうだ。

 彼にとっての拠り所は、己の力そのものではない可能性があるからだ。その場合、彼のイデアをすべて防ぎ、しのいだ程度ではその心は折れない。

 その拠り所たる、バルカスを叩かない限り、バグズの闘志もまた折れまい。


「だが、それは愚策。今優先すべき事項でもない」


 バグズの身柄をゆらりと探しながら、アルス王は一人呟く。

 バルカスを叩けばバグズが折れるとしても、それは本末転倒というもの。バルカスのたくらみをくじく一環としてバグズを叩いているのだ。始めからそれができるのならば、バグズにかまう必要などこれっぽっちも存在しない。

 もっと言うと、バルカスを叩く場合、今度はあの武器を奪っていった少女――ポルタの相手もしなければならない。アルス王としては、彼女の相手は御免であった。


「何しろ、こちらの武器をもぎ取ってしまう。敵う敵わぬ以前に、戦うことすらできなくなってしまう」


 いかに魔法剣が強力であろうとも、その手に剣がなければ発動すらできない。こちらの武器を奪うことができるポルタは、アルス王にとって最悪の相性を持つ敵であった。

 というよりは、おおよその人間に対して優位に立てる能力だろう、ポルタという少女のイデアは。問答無用にこちらの持っている武器を奪い取れるうえ、その力の干渉は魔法にすら及ぶ。武器は使えず、魔法も通じず。これでは、どうやって立ち向かえばよいか分かったものではない。

 故に、彼女の相手は武器を持たずに戦えるもの……すなわち、イデアの使える勇者以外には存在しない。

 幸い、この国にはまだゲンジが残っている。彼の力であれば、ポルタと対等以上に戦うことができるだろう。

 アルス王は瞑目し、手にした剣を握りなおす。


「だが、それも一対一であればの話。可能であれば、ここであの子は仕留めておきたいものだが……」


 アルス王は、フォルティス城の中を歩きながらバグズの姿を探す。

 先ほどの虫の雲霞は逃走のための目くらましのはずだ。

 そして、バグズはまだ敗北を認めてはにない。この逃走は時間稼ぎの可能性が高い。

 何をするつもりなのかは知らないが、なるべく早くにその目論見を打ち砕きたいものだが……。


「アルス王!」

「む?」


 自らを呼ばわる声にアルス王が振り返ると、こちらに向かって駆け寄る二人の少年岸の姿が見えた。

 まだ年も若く見える。おそらく、フォルティスカレッジの二回生か、三回生あたりだろうか。

 子供たちの元気な様子に、アルス王の顔も思わずほころぶ。


「おお、無事に脱出できたのか!」

「はい、おかげさまで!」

「俺たちはこの通りです! アルス王のほうは、お加減いかがでしょう!?」

「なに。この老骨も、まだまだ捨てたものではないよ」


 嬉しそうに駆け寄ってくる二人の少年にそう笑いかけながら、アルス王はバグズの行方に関して聞いてみることにした。


「ところで、君たち。城の中で、小さな少年に出会わなかったかね?」

「少年? ですか?」

「うむ。ああ、まあ、君たちもまだ若いが、君たちよりももっと幼い少年だ。おおよそ、この場にいるのに似つかわしくないと表現してもよい」


 アルス王の質問を聞き、少年たちは首を傾げた。


「さあ……? そんな奴、見ていませんが」

「その少年とやらが、どうしたんですか?」

「ふむ、そうか……。いや、なに。その少年、今回の一件の黒幕の一味の一人でな。とり逃すと、ちと面倒なことになるやもしれんのだ」

「そうなんですか」


 アルス王の言葉に驚いたように目を見開いた少年たちは、真剣な表情で頷いた。


「じゃあ、俺たちもそいつを探してみます!」

「見つけましたら、アルス王にご報告を!」

「うむ。そうしてくれると助かる。では、二手に分かれるとしよう」

「「はい!」」


 アルス王の言葉に元気に頷いて見せる少年たち。

 彼らの様子に満足そうにうなずいたアルス王は、そのまま二人の隣を歩いて通り過ぎ、その場を立ち去ろうとした。


「では、君たちは向こう側を。私は――」


 そう指示を出しながら、歩くアルス王。

 彼は不意に感じた殺気に対し、反射的に長剣を叩きつけた。


「――ッ!」

「アルス王?」


 叩きつけた刃の先にいたのは、先ほどの少年たち。

 彼らはいつの間にか腰に帯びていた長剣を抜き、アルス王に向かって斬りかかってきたのだ。

 一撃を防がれた少年たちは、アルス王の剣に弾かれるままに後方に飛ぶ。


「どうされたんですか? アルス王?」

「一体、何が?」

「お前たち……」


 剣を手に、殺気を放ちながらアルス王と正対する少年たちであるが、その表情は驚くほどに気が抜けている。

 いや、今自分が何をしようとしているのか全く理解していないといったほうが良いか。アルス王が油断なく剣を構えていることすら気づかぬ様子で、彼らは長剣を振りかぶってアルス王へと襲い掛かった。


「アルス王、僕たちもその少年というのをお探ししますよ!」

「見つけたら、すぐにお知らせしますね!」


 満面の笑みで、先ほどのアルス王の指示を繰り返しつぶやきながら、彼らは必殺の斬撃を放つ。

 それを受け流しながら、アルス王は少年たちの変容の原因を探る。


(……気配は先ほどと変わらない。おそらく、私と出会う前には変わってしまっていたのだろう。魔法の気配ではない。これはむしろイデアの領分か?)


 思考と行動が真っ二つに切り離されているかのようだ。アルス王に向ける笑みは無垢な少年のものでありながらも、叩きつける刃はおぞましい殺気を放つ殺人者のそれ。

 意思と体の乖離の仕方が尋常ではない。そしてイデアが原因であるならば――。


(即座に解き放つのは難しいか。まずは原因……何者がこのイデアを仕掛けたのかを知らねば)


 まずは術者の存在を知らねばならない。イデアが洗脳の原因であるならば、最悪術者を殺したとしてもイデアが解けない可能性が高い。

 人の言葉を借りるなら、イデアというのは理不尽を煮詰めて形にしたもの。イデアにとって、人とは自らを発生させる場でしかなく、生まれ落ちた瞬間から持ち主と切り離されているのであれば、そもそも持ち主の生死すら問題ではないのだ。


「シッ!」

「ぐ!?」

「げっ!」


 アルス王は素早く長剣を翻し、少年たちの腹に柄を強かに叩き込んだ。

 短く息を詰まらせながら、床の上に倒れる少年たち。幸い、それっきり立ち上がるというようなことはなく、またその体にはまだ血がしっかりと流れているのが脈からも窺えた。

 ひとまず死なねばならぬようなタイプのイデアに操られていないことに安堵したアルス王は、倒れた少年たちの首筋に何かが張り付いているのに気が付いた。


「これは……?」


 軽く撫でるとこぶのようだが、それだけ少年たちの体とは独立して動いているようにも見える。

 アルス王が素早く長剣でその部分だけ軽く斬ってみると、中から見たこともない羽虫であったものが現れた。


「……なるほど」


 手早くそれをつまみ上げ、そのまま地面に叩きつけて念入りに踏みつぶしながら、アルス王は少年たちの変容の原因を知る。

 間違いなく、バグズだ。人を操る虫を少年たちに寄生させ、こちらを襲わせたのだろう。


「……早く、あれを退治せねば」


 もう一人の少年も羽虫の支配から解放してやりながら、アルス王は足早に城の中を駆ける。

 彼の中で、一段階。バグズを始末する理由が跳ね上がっていた。




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