第52話:秘伝の血刃
「ふむ」
迷いなく攻撃を仕掛けてくる甲冑虫を前に、アルス王は怯まず長剣を構える。
四本……いや、斬りおとされて三本に減った甲殻に覆われた腕が鋭く繰り出され、アルス王へと襲い掛かる。
アルス王は無理にその攻撃を受けようとせず、大きく飛び退いて甲冑虫の攻撃を回避。勢い余って付近の石壁に突っ込んだ甲冑虫であるが、その甲殻には傷一つつかない。むしろ、繰り出された腕の一本一本が石壁を微塵に打ち砕いてしまった。
恐るべき膂力は、その体躯の細さからは考えられないほどだ。アルス王は目を丸くして、甲冑虫への認識を改めた。
「これは驚いた。鋼のような甲殻こそが武器だと思っていたが、なかなかどうして、その膂力も恐ろしいな」
「はっ! 虫たちには、人間のような骨はない! その甲殻の下には、良質な筋肉がみっちりと詰まっているのさ!」
得意満面で叫ぶバグズは、甲冑虫に更なる指示を下す。
「先ほどは油断したが、今となっては貴様の技でその虫の腕を斬りおとすことは不可能だ! 鋼の甲殻、そして筋肉の前に恐れ慄けぇ!」
「ふむ?」
バグズの叫びに、アルス王は一つ頷くと甲冑虫と正対する。
再び全身を躍動させアルス王へと飛び掛る甲冑虫。アルス王はその一撃を回避することなく、むしろ自分から甲冑虫へと踏み込んでいった。
「なっ!?」
アルス王の行動に思わず目をむくバグズ。さながらろうそくの火に飛び込む一匹の蛾のごとき、自殺行為。
自ら不利な相手に突っ込んで勝てるはずがない。そう思い込んだバグズには、アルス王の行動がまったく理解できなかった。
だが、彼の思い込みに反し、アルス王はまったく恐れず甲冑虫に立ち向かう。
甲冑虫への前進は、たった一歩。ただそれだけで、両者は互いの相手を間合いに収める。
目標距離を縮められ、一瞬間合いを狂わされた甲冑虫であるが、バグズによって強化された反射神経により強引に己の攻撃の軌道を捻じ曲げ、自らの懐に踏み込んだアルス王へと拳を見舞う。
抉りこむように自らを迎え撃つ攻撃に対し、アルス王はさらにもう一歩踏み込みその一撃を回避する。
ほとんど密着するような距離に踏み込んできたアルス王への攻撃は全て空振りに終わり、甲冑虫は慌ててアルス王から間合いを離そうとする。
そうして一歩下がる甲冑虫に、アルス王は鋭い刃の一撃を見舞った。
「フッ!」
呼気を吐きながら放たれた斬撃は、狙い違わず、仰け反った甲冑虫の首元に放たれる。
甲殻もなく、その内側に収められた筋肉が露出しているだけの無防備な箇所。ただの鋼といえど、先ほどとさして変わらぬ労力で断ち切れる……と思われた。
だが、刃は甲冑虫の筋肉の表面をすべり、火花を散らす。
刃が過ぎ去り、甲冑虫が飛び退いた時には、その首に傷一つすら見受けられなかった。
「……ふむ? まさに鋼のような筋肉だ。何か仕掛けがありそうだな」
「――は。ははは! そんなものあるわけない! 僕の生み出した中では、最上位の戦闘力を持つのが、こいつだ!」
一瞬で終わった攻防の前で呆けていたバグズは、アルス王の言葉で我に返り、甲冑虫が無傷なのを見て得意げに叫んだ。
「単純な破壊力や攻撃力は大型のワームなんかには敵わないが、鋼を通さない甲殻と筋肉! これは魔術に対する防御にもなりうる! こいつを人の身で、しかも単独で倒せるなんて、ゆめゆめ思わないことだな!」
「ほう。大層な自信である」
アルス王は、居丈高に叫ぶバグズを見て、何故か笑顔になるアルス王。
幼い彼の容姿のせいで、子供が精一杯背伸びしているようにしか見えないのは内緒の話だ。
「だが、防御ばかりではいかんぞ。守りは重要だが、時には攻める大胆さも必要である」
……実際、彼にとってはその程度の事柄でしかない。
今目の前にいる少年、そして彼が仕える傀儡虫。そのどちらも、アルス王にとっては脅威ではなかった。彼は、危機感すら感じていなかった。
この程度の障害であれば、三十年前にすでに一度乗り越えている。その当時乗り越えた危難が今更目の前に再び立ち塞がった程度で挫けるほど、今のアルス王は弱ってはいない。
アルス王は、指先を軽く噛み千切る。
そうして毀れた血を一滴、手にした長剣へと落とした。
「………?」
アルス王の行為を不思議そうに見つめるバグズ。
だが、アルス王の血を受けた長剣が怪しい輝きを放ち始めたのを見て、己の失策を悟る。
「っ!?」
「さて。我が魔法剣の真骨頂……ここでお見せしようか」
ニヤリと笑い、紅く輝く魔法剣を掲げるアルス王。
バグズはアルス王にそれ以上何かをさせる前に、甲冑虫に檄を飛ばす。
「殺せ!!」
声帯を持たぬ甲冑虫は、行動で持ってバグズの指示に答える。
無言のまま飛び上がり、三度アルス王へと飛び掛る。
愚直なまでに真っ直ぐな突進。それしか思考を持たぬゆえか、あるいはそれ以外が不要なほどの強さゆえか。いずれにせよ、甲冑虫は真っ直ぐにアルス王へと立ち向かった。
勇猛果敢な騎士のような甲冑虫の様子を好ましく思いながらも、アルス王は手にした魔法剣を両手で握りしめる。
「さて、鮮血一痛。我が敵に血を流すがいい!!」
一声叫ぶと同時に、アルス王もまた真っ向から甲冑虫に立ち向かう。
己に向かって突進してくるアルス王を見て、甲冑虫は反射的に拳を振り上げる。
アルス王はそれに合わせるように刃を逆袈裟に振り上げた。
「おおおぉぉぉぉ!!」
鋼の刃と鋼の拳。互いにぶつかり火花を散らす、各々の武器。
拮抗は一瞬。次の瞬間には――鋼の拳が斬り裂かれてしまう。
「なん……!?」
拳を半分に裂き、手首から先を吹き飛ばすアルス王の一刃。さながらバターかなにかのように拳を裂かれた甲冑虫は、己の武器を再び裂かれた痛みに声なき叫び声を上げる。
アルス王は刃を翻し、返す刀で甲冑虫の残っていた腕をさらに斬り裂く。
一回、二回、三回。刃が振るわれるたび、体液を撒き散らしながら甲冑虫の腕が斬り飛ばされてゆく。
もはや叫ぶ余裕すらなく、体を襲う激痛から逃げるように暴れる甲冑虫。
辺りに切り口からあふれ出る体液が撒き散らされ、フォルティス城の中を汚してゆく。
アルス王は一歩飛び退いてその体液を回避すると、ゆっくりと紅い長剣を上段に構えた。
「フォルティス式剣術・初段――」
深く腰を落とし、力を溜めるアルス王。
バグズはそれを見て、慌てた様子で甲冑虫に指示を出す。
「何をしている!? 構えろ! あいつが、またあいつがぁ!!」
だが、その指示は中身のない、ただの悲鳴に過ぎず、甲冑虫も痛みに身を捩るばかりでそれに応えない。
到底結束し得ない主従を前に、アルス王は無慈悲にその刃を振り下ろす。
「――ボーア・ラッシュ!!」
爆ぜるような踏み込み。アルス王の姿が一瞬掻き消え――。
「エアァァァァァァァ!!!」
次の瞬間、甲冑虫の体が縦に両断されてしまった。夥しい量の体液をそこら中に撒き散らしながら。
真っ二つに割れた甲冑虫は、そのままアルス王の突進の勢いに押される様に、真横に倒れる。
二つに分かれた甲冑虫の体液に前進を汚されたアルス王は、酷いにおいに顔をしかめながらも手にした刃を血振りする。
紅く輝く魔法剣は不思議と汚れた様子なく、透明な雫を剣先から甲冑虫の体液を振り払っていた。
「―――」
唖然。まさにそう表現するしかないバグズの様子。
彼を見つめながら、アルス王はニヤリと笑って見せた。
「――そらな? 攻撃をおろそかにしてはいかんだろう?」
「……なんなのだ、それは……」
震える指で、紅く輝くアルス王の魔法剣を指差すバグズ。
己の傑作がやられてしまったことが信じられず、彼はただただ呟くしかなかった。
「なんなんだ、それは……? いったい、なんで……!?」
「フフ。これこそ我が魔法剣、最大の秘技鮮血一痛。我が血を触媒に、この手にした刃にイデアの力を宿す最秘奥の魔法剣よ」
「イデア、の……!?」
「うむ。といっても、その性質が近しいというだけで、本当の意味でのイデアではない」
アルス王がゆっくりと刀身を撫でると、まるで解けるようにその紅い輝きが消え失せてゆく。
「錬金術的には、血は鉄に近しく、そして人の魂を宿す触媒であるという。そこに魔法剣の秘儀を加えることで、剣という存在が持ちうる性質を極限までに強化したのが鮮血一痛だ」
「剣……の……」
「うむ。すなわち“斬り裂く”事に特化した魔法剣。それこそが、鮮血一痛の正体といえるだろう」
剣という武器は、殺す事に特化した道具と言える。
斧やナイフは、元々は道具から敵を殺す道具に転じたものであるが、剣は始めから人や魔物を殺すために開発された道具……武器である。その性質はひたすらに何かを殺すべく、斬り裂く方向に特化し続けたといえる。
だが、人の技で鍛え上げられたとしてもその刃が鎧を斬り裂くことは敵わない。守るために特化し続けた鋼の鎧、その守りを突破するにはただの剣では敵わない。
故にアルス王は求めたのだ。ただただ、敵を斬り裂く刃を持つ剣を。
ただの武器ではそれを為せずとも、アルス王には王家伝来の魔法剣というものがあった。
故に、生み出したのだ。何者にも負けぬ最強の刃を。全てを斬り裂く、紅い血刃を。
「効果時間こそ僅かであるが、一刀で鋼の鎧を断ち斬ることの出来るこの魔法剣こそ、我が武勇を支え続けた秘伝の技。これを見て、生きている者は誰もいない……いや」
そこまで言って、アルス王はニヤリと笑う。
「まだいるな。君という存在が」
「………」
「逃げると言うなら、あえて追うまい。この秘伝、だれぞに伝えるために逃げるかね? 虫の王よ」
挑発するようなアルス王のその言葉。
それを聞いたバグズは、微かに拳を振るわせた。




