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第50話:勝利の始まり

 ――撃砕音が木霊したのは、本当に唐突な瞬間であった。

 誰もが、突如響き渡った撃砕音に振り返り、驚きに口をあける。

 まるで、ガラスかなにかが砕けるように地下牢の中心あたり……ちょうど、ラウムが姿を消したあたりが大きく歪んで見える。

 だが、一瞬後にはその歪みは元通りとなり、そこにはラウムの姿が現れる。右半身を大きく打ち砕かれ、辛うじて繋がった右腕が痛々しく体にぶら下がっているという惨状で。

 夥しい量の血液が、空間のゆがみの影から現れ、地下牢の中を飛散し汚してゆく。酷く広範囲にラウムの血は飛び散った。中心から遠く離れた魔導師の少女の顔に、ラウムの肉体のかけらがベチャリと付着する。

 だが、彼女に悲鳴を上げる暇はなかった。ラウムの姿が現れた次の瞬間、その背後で再び大きな音が響き渡ったからだ。

 今度の音は、ずいぶんと軽い。例えるなら、乾いた布を空手で大きく引っ叩いたかのような、不思議な音だ。

 その音源は、魔法の鎖の拘束から開放され、地下牢からようやく脱出したゲンジであった。

 遅まきながら解呪に乗り出してくれたノクターンに礼を言いながら牢を出た彼は、撃砕音と同時に自らのほうへと飛んできた何かに気づいた。

 それは自らの力の制御を失って、手足もバラバラの挙動で吹き飛んだ少年の体だ、と認識したゲンジは素早く拳を握り、それで少年の体を受け止めたのだ。

 彼のイデアは、拳で触れたあらゆるものを弾き飛ばす力。触れたものが鋼の刃だろうが、少年の体を吹き飛ばした衝撃だろうが、あらゆるものを一切合財弾き飛ばしてしまうことが出来る。

 その力の応用で、少年の体から衝撃だけを弾き飛ばし、体を柔らかく受け止めてやるゲンジ。

 紅いマフラーを巻いた少年は、自らの体を弾き飛ばした衝撃により気を失ってしまったのか、ぐったりしてしまっている。

 そうしてぐったりした少年の体をゲンジは抱えなおし床に下ろしてやろうとした時、彼がトビィである事に気が突いた。


「!? トビィ!? お前……!」


 何故、とゲンジが声に出そうとした時、地下牢の中心で半死半生となっていたラウムが、息を吹き返した。


「……が、はぁ……!」

「っ!」

「……ぐ、くく……! 罅が入っていたとはいえ、剛鉄の斧ごと我が肉体を打ち砕くか……!」


 一拍遅れ、ラウムが携えていた剛斧が彼の真横に落着する。

 その刃はもはや三分の一ほどしか残っておらず、どのような衝撃が加わったのかわからぬほどにがたがたに破壊されてしまっていた。

 ラウムはちらりとその剛斧の方を見やりながら、小さく苦笑する。


「いや……そもそも最初の一合目で、この剛斧も破壊されていた……。全力など受け止めればこうなるのは自明の理であったな……」

「全力……」


 トビィの体を抱きかかえながら、ゲンジはラウムの呟きを繰り返す。

 ちらりと見下ろしたトビィの体に目立った傷のようなものは見られず、その表情もまるで目を回しているかのように落ち着いた……というとおかしな話であるが、苦悶にゆがんでいるということはなかった。

 トビィの体を抱えなおすゲンジの方へと、ラウムがゆっくり振り返った。

 彼が体を動かすたびに、辛うじてその体に繋がっている右腕がいやな音を立てて千切れそうになっている。

 ラウムの足元には致死量をはるかに上回る血液がこぼれていたが、彼は一切構わずトビィを睨み付ける。


「だが、肝心の勇者様は自分の力に耐え切れず気絶とは……しまらん結果だなぁ……クク……」

「……お前を倒したのは、この子か」


 ゲンジはその腕に抱いたトビィをラウムに示してみせる。

 ラウムは口の中から血を零しながら、笑って頷いた。


「ああ、そうだ……クク……信じ難いか……?」

「俄かには」


 ラウムの言葉にそう返すゲンジであるが、状況だけ見れば彼の言葉を信じざるを得まい。

 突如現れたラウムと、激烈な勢いで飛んできたトビィ。二人の位置関係を単純に考えれば、突進したトビィがラウムに攻撃を仕掛けたというのが一番理に叶っているだろう。

 トビィにこれだけの力を発揮できるかという問題はあるが、この地下牢にいなかったはずのトビィが突如現れたこともあわせ、ありえないことを受け入れる必要はあるかもしれない。


「だが、信じよう。この子もまた……勇者になるべく学んでいたのだから」

「クク……幸せな奴だ……」


 息も絶え絶えといった様子で呟くラウム。彼の言葉が一体誰を指すのかわからなかったが、もうそんなことを気にするだけの時間もないようだ。

 ラウムはゴボリと血の塊を吐き出すと、ついに血濡れの床に膝を突いた。


「ぐ……く…! 長く…戦いに身を、置いてきて……その結末が、これか……。だが…まあ……悪くはない…な……」


 朦朧とした意識の中で、何かを求めるように右腕を動かそうとし……そんなことが出来るはずもなく。

 突き出そうとした肩の先に辛うじてつながっていた右腕は、ベチャリと床の上に落ちた。


「……なあ、誰か…そこにいるの…か? いるなら……俺の、願いを…聞いて……くれ。俺の……願い………は、唯一つ………。俺…を倒した……勇者の、伝記……その一…ページ目に……俺の名……が載ることだ………」


 途切れ途切れに、何とかそれだけ言い終えると、ラウムは笑う。満面の笑みで。


「頼むぜ……どうか、俺の…名前を……勇者の…伝記に載せ……てくれ………この俺…ラウム……ディ…アボ……ロスの……名前、を…………」


 まるで、願いの叶った少年のような笑みで。欲しいものを手に入れた、子どものような笑みで。

 実に、満足そうな表情を浮かべたまま、ラウム・ディアボロスは前のめりに倒れこんだ。

 ぐしゃり、と鈍い音を立てながら倒れたラウムは、そのまま動かなくなる。

 そして、同時に地下牢の出入り口を塞いでいた暗黒空間が消え失せた。

 誰もが動けず、静まり返った地下牢の中で、ゲンジがポツリと呟いた。


「……心配するな、ラウム・ディアボロス。お前の名前は、確かに刻まれるだろう。この少年……トビィ・ラビットテールが真の勇者となったその暁には、な」


 ゲンジはしばし、死者に黙祷を捧げる。そして、顔を上げノクターンのほうへと振り返った。


「……ノクターン。地下牢の者たちを率いて、外へ出よう。ラウムの仲間たちが、この国を滅ぼすまでそう時間はないはずだ」

「ああ、わかった。その子はどうする?」

「さすがに連れて行くわけにもいくまい」


 ゲンジは素早く地下牢の中を見渡す。

 すると、ちょうどこちらに向かってフランが駆け寄ってくるところであった。


「トビィ君!」

「ちょうど良いか。フランチェスカ。しばし、トビィの様子を見ているのだ。回復魔法の心得はあるのだろう?」

「は、はい!」


 ゲンジが地下牢の適当な場所にトビィの体を下ろしてやると、フランは心配そうに彼の傍へ屈みこんだ。

 気絶したままのトビィの顔を覗きこみながら、フランはゲンジにたずねた。


「あの、トビィ君はどこかに怪我を?」

「いや。特別外傷はないようだ。だが、目覚めた時に不調を訴えるかもしれん。そうなった時、適宜回復魔法をかけてやれ」

「はい、わかりました」


 ゲンジの指示に、フランは大人しく頷く。

 それを見て、己も頷き返したゲンジは、地下牢の中全てに響くような大声で叫んだ。


「――フォルティス・グランダムに所属する全ての者たちに告ぐ! 我らの自由を救ったのは、フォルティスカレッジの一回生! トビィ・ラビットテールという少年だ!!」


 フォルティスカレッジの一回生。この言葉に、地下牢の中が騒然となる。己を助けたのが、まだまだ未熟な少年だといわれれば、こうもなるだろう。

 だがゲンジは構わず、言葉を続ける。


「彼、トビィ・ラビットテールは勇気を振り絞り、全霊をかけ強大な敵に立ち向かい、そして勝利した!! そうして自由となった我らは、その後に続かねばなるまい! まだ世の理も知らぬ一回生の少年、その勇気に答えるために!!」


 叫びながらゲンジは地下牢の出口へと向かう。

 真っ直ぐに地下牢の外を……この国の敵が待ち構えている外を睨みながら、宣言する。


「少年が我らを救ったのなら、我らは国を、世界を救う! 答えて見せろ、フォルティス・グランダムよ!!」

「「「「「――オオオォォォォォォ!!!」」」」」


 ゲンジの宣言。それに答えるように、地下牢の者たち……勇者と呼ばれることを夢見る者たちは大きな声で叫びが返した。




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