第4話:模擬戦闘
空は晴天。フォルティス・グランダムの朝七時は、絶好の訓練日和となった。
だが、ゲンジの心はいまひとつ晴れやかではない。
(……あの後、七星について聞いてもはぐらかされた。あの様子なら、何か知っていそうなものだが)
雑談がてら、ノクターンに自身の疑問をぶつけてみたのだが、軽く流されてしまったのだ。
ゲンジとしては、七星と呼ばれる噂話、その出処くらいは知りたかったのだが。
(救世、破界。いずれの時においても、強い輝きをもつ七星が現れる……単なる噂のはずなのだがな)
その事に付いて問いかけた時、ノクターンはこちらの質問をはぐらかした。
知らぬ存ぜぬではなく、答えを曖昧にしたのだ。
何も知らぬならそういえば言いし、興味もないならそもそも返答もしないだろう。
彼女自身、何か思惑あっての行動なのだろうが、それが余計に気になる。
疑念を晴らすはずが、余計な疑問が沸いてしまう結果となったわけだ。
(まったく。ままならんな)
「やぁぁぁ!!」
ゲンジがこっそりため息をつくと、一人の少年が勇ましい掛け声と共に、木剣を振るってくる。
ゲンジは手にした棒でそれを軽くいなすと、浮き足立った少年の足を引っ掛けて転んでしまう。
「うわぁ!?」
「攻撃に意識を向けすぎだな。勇ましいのは結構だが、浮き足立ってはジャイアントリザードの鱗も切り裂けんぞ」
「ううぅ……」
転んだ少年はしばらくうめき声を上げていたが、すぐに立ち上がると一礼をして足早に立ち去る。
転んだのがよほど恥ずかしいのか、顔は耳まで真っ赤だ。
その若さを羨ましく思いながら、ゲンジは次の生徒を呼んだ。
「次! 前へ!」
「はいっ!」
ゲンジの呼びかけに応じ、新しい勇者候補の少年が前へ出る。
現在の場所は、フォルティス・カレッジの第一グラウンド。
そこで行われている午前の訓練は、簡単に言えば昨日の座学テストの続きであった。
「たぁぁぁ!」
「ふむ……」
その場に候補生を集めたゲンジは、グラウンドに種々様々な武器を用意した上で、好きな武器を使っての模擬戦闘を指示した。
ただし相手は教官であるゲンジ。条件は一対一。候補生側の勝利条件は、ゲンジに片膝を突かせる事だ。
この訓練の目的は、この一ヶ月の戦闘訓練がどの程度身に付いているかを確認するとゲンジは候補生たちに伝えたが、もう一つ候補生たちの弱点を確認するためでもある。
「うわぁぁ!?」
また一人、候補生がゲンジの一撃に引っ掛けられて盛大にグラウンドの上に転がる。
別にゲンジが激しく殴打したといった事実はない。単にバランスを崩しただけだ。
「上半身のバランスを疎かにしすぎだ。奇を衒う発想は悪くないが、ただそれだけでは単なる芸に過ぎん」
「はい……」
「次っ!」
この一ヶ月、候補生同士の組み手を中心に、対人戦闘術を教えてきた。
だが、フォルティス・カレッジに入ってくる子どものほとんどが、実戦経験を持たぬ素人ばかり。
一ヶ月程度の時間で、いきなり強者になれるなど、ゲンジは甘く考えていない。
どれだけ険しい鍛錬を積もうとも、一ヶ月という時間はそれが実を結ぶには短すぎる。だが、硬い鉄が熱せられ、程よく熱くなるには十分な時間だ。
歪んだ部分を矯正するために、今この時期になるべく多くの候補生たちの癖を見抜いておかねばならないのだ。
「そもそも、剣が向いていない。次の訓練から、打撃系の武器……メイスを使うようにしろ」
「は、はいぃ~……」
「次!」
ゲンジに挑む全ての候補生は、彼に片膝を付かせるどころか、武器を触れさせることすら出来ない。呼ばれてゲンジの前に立つ候補生は皆、悲壮な覚悟を漂わせた表情で武器を握りしめる。
一ヶ月前には剣を握ったことすらない者が大半だ。ゲンジの強さも、この一ヶ月で身に染みてわかっている。訓練とはいえ、片膝を付かせるなど夢のまた夢だと考えているのだろう。
だが、中には自信に満ち溢れた表情でゲンジの前に立つ者もいる。
「次っ! ダトル・フラグマン!!」
「へへ……。待ちくたびれたぜっ!」
名を呼ばれたダトルは、いつも使っている木剣を手に、意気揚々とゲンジの前に出る。
肩に担ぐように木剣を持ちながら、不遜な態度でゲンジへと尋ねた。
「なー、先生。片膝突かせるだけで、俺の勝ちでいいんだよな?」
「もちろん。俺に勝てば、いかようにでも吹聴するがいいだろう」
「へへ……男に二言はなしだぜ?」
ダトルは自信満々に言い切って、木剣を両手で握り、まっすぐ青眼に構える。
すっと背筋の伸びた綺麗なその構えを見て、ゲンジは彼の自信の源を悟る。
「ふむ。フォルティス式剣術か」
「ああ。しかも俺は有段者だぜっ!」
フォルティス式剣術。国の名を冠するとおり、この国に存在する騎士団が採用している、剣術流派の一つである。
初代アルス・フォルティスが使用していた我流剣術を体系化し、騎士団の制式な剣術として採用したのが流派の起こりであり、ダトルが使用しているようにこの国の首都周辺であれば、子どもでも学ぶ機会の多い戦い方だ。
剣を前に構える青眼の構えを基本とし、まっすぐ敵へと切り込むことを主眼に置いた戦闘スタイルをとる剣術で、特に敵陣へとの突撃、あるいは中央突破など、突進力を必要とする場面で最も力を発揮する剣であると言われている。
有段者を名乗るとなれば、どこかで昇段試験を受けているということ。ならば、ダトルの自信も納得がいく。少なくとも、並みの子どもよりは数段上の腕を持つだろう。
ダトルはにやりと笑ったまま、間合いを計るように少し先の足を擦り。
「――先手もらったぁぁぁぁぁぁぁ!!」
不意を突くように大声を上げながら、ゲンジに向かって突進してきた。
突進の速度も、声を上げるタイミングもばっちりだ。その証拠に、周りで見ていた候補生たちはダトルの突進に驚きの声を上げている。
だが、ゲンジはその突進をあっさりいなす。
「ふむ……」
「うぉ!?」
ダトルの突進の進路を変えるように、切っ先を長い棒で弾くゲンジ。
ダトルは一瞬転びかけるが、むしろ突進の勢いを増し、無理やり状態を起こし上げた。
「チッ! だけど、こいつをかわしたのは先生が初めてじゃねぇんだ!!」
居丈高に咆え、ダトルは振り返りゲンジに向かって再び突進を繰り返す。
「うぉぉぉぉぉぉ!!」
先の不意打ち時よりも、速度と勢いが増しているように見える。恐らくこれが彼の本気の突進なのだろう。
ダトルは木剣を振り上げ、上段からゲンジに向かって斬りかかる。
だが、ゲンジはそれを横に避けて回避。
「くっ!? けど、この突進なら、先生だって攻撃できねぇんだろ!?」
自身の渾身の一撃を再び回避されたダトルは焦りを見せるが、怯むことなく突進を繰り返した。
「“押して押して押し切ること”!! それがフォルティス式剣術の基本だぜぇぇぇぇぇ!!」
「………」
まっすぐに斬りかかってくるダトルを、ゲンジは黙したまま横にかわす。
回避されたダトルは再び繰り返し突進。
「うぉぉぉ! おりゃぁぁぁ!!」
何度となく突っ込むダトルであったが、それすらあっさりゲンジはかわしてしまう。
それをさらに数回繰り返したのち、突進の勢いが落ちてきたダトルを見て、ゲンジは棒を構え直す。
「ふむ」
「おおおぉぉぉぉ…!」
心なし、叫び声からも力が抜け始めたダトルの足を、ゲンジは足であっさり掬い上げた。
「ふん」
「うわぁ!?」
そのまま盛大に、横回転をするダトル。
受身も取れずに地面に叩きつけられた彼を見下ろし、ゲンジは口を開いた。
「……突進の勢いは合格だ。そのまま精進を続ければ必殺にも昇華しえるが……そればかりに捕われ過ぎているな」
「と、とらわれすぎって……!」
息を荒げながら体を起こすダトル。
そんな彼に見えるように、ゲンジは棒で地面を叩いた。
「敵がまったく見えていないというのだ。俺の足元を見ろ」
「足元……?」
ダトルは眉を潜めながらゲンジの足元を見る。
そこにはグラウンドに刻まれた彼の足跡があり、それは小さな三角形だけを刻んでいた。
「突進というのは、このように最小の動きだけで回避できる技だ。不用意に繰り出すものではない」
「な、な……!?」
それでゲンジを倒せると思っていたダトルは、ショックを受けたような表情でゲンジの足元を見つめていた。
それを見てため息を突いたゲンジは、ダトルに罰を与える。
「……まずは頭を冷やすことだな。クールダウンに、グラウンドを十週して来い」
「な!? なんで、俺が!!」
「フォルティス式剣術の戒律にあったはずだな? 負けたものはグラウンド十週しながら、反省するというのが」
「うっ……!?」
ゲンジの指摘に一瞬言葉をつまらせ、次の瞬間ダトルは悔しそうな方向を上げながら駆け出していった。
「くっそぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」
「……あれではクールダウンにはならんな」
全身を無茶苦茶に振り回しながら駆け出したダトルを見て、もう一度ため息を突いたゲンジは次の候補生を呼んだ。
「次っ! フランチェスカ・クロス!」
「はいっ!」
名を呼ばれたフランは、勢い良く立ち上がり素早くゲンジの前に出た。
その手に握られたのは、木製の棍棒と小さなターゲットシールド。
ゲンジに向かって盾を構え、棍棒を頭上に掲げるようにするフラン。
剣ばかりを武器に選んできた候補生の中では、異色と言えるかもしれない。
ゲンジは彼女の履歴を思い出しながら、確認するように呟いた。
「確か君の御父上は、神官戦士だったか」
「はい。私の父は、デオス教のパラディンの一人です」
フランは油断なく構えながら、ゲンジの言葉に頷いた。
デオス教。かの勇者、初代アルス・フォルティスも信仰していたとされる宗教で、デオス神を主神とする信仰宗教だ。
この世界で半分の人間が信仰しているとされる一大宗教であり、このフォルティス・グランダムの主教でもある。“異教を廃さず、融和せよ”を主な戒律とする、比較的穏健派な宗教であるが、そのためならば女子どもの武装も辞さぬという強硬さも併せ持つ宗教でもある。
それを考えると、恐らく現段階の候補生の中では頭一つ抜けるくらいに厄介な子だろう。
ゲンジは一つ頷くと、棒を構える。
「きなさい」
「はいっ!」
ゲンジの言葉に一つ頷き、勢い良く駆け出す。
そしてゲンジの体に叩きつけるように棍棒を大きく振るった。
「たぁっ!」
ゲンジは慌てず騒がずその一撃を棒で受け止める。
さすがに突進の乗ったダトルの一撃ほどではないが、正確さを考慮するとその破壊力は侮れないものがある、腰の入った良い一撃だ。
腕ではなく体で棍棒を振るいながら、フランはさらにゲンジに向かって詰め寄る。
「や、たぁっ!」
「ふむ……」
振るわれる棍棒の一撃。その軌跡の美しさ。攻撃を繰り返す一方で、盾を構えることを忘れていない姿勢。
やはり、幼い頃からパラディンである父から戦い方を教授されているようだ。将来的な跡目としても期待されているのかもしれない。
彼女の瞳の中に宿る鋭い輝きも、確かな自信に裏打ちされたものだろう。
それを確認すべく、ゲンジは棒を振るう。
フランの一撃を凌ぎ、次の一撃が来る前の微かな間隙。それを突いた、鋭い一撃はフランの盾を強かに打ち据えた。
「づっ!?」
突然の一撃にフランは驚いたように顔をしかめるが、構えた盾を取り落とすようなことはない。
不意の一撃にも対処できる冷静さは、評価できるだろう。
ゲンジが冷静に観察していると、フランは盾の陰でにやりと笑った。
まるで、獲物が罠にかかったかのような……そんな、獰猛な笑みだ。
「いまだ……! バニッシュッ!!」
フランは素早く呪文を唱え、ゲンジに向かって棍棒を振るう。
すると、その軌跡から無形の衝撃波が生まれ、ゲンジへと襲い掛かった。
「バニッシュ!?」
「そんな、フランちゃん使えるの!?」
フランが放った魔法を見て、何人かの候補生が驚きをあらわにした。
バニッシュ。この世にあらざるもの……俗に言う、アンデットを一撃で屠る神官魔法の一つである。
その衝撃波は無形無色にして、器物に破損を与えることは決してない。その強い衝撃波は、対象の精神や魂、あるいは恨み辛みの篭った魔力などに強い影響力を持つ。
アンデットをこの世に縛り付けている鎖は、その身に纏う魔力であるため、それを保てなくなるとアンデットは瞬く間に消滅する。バニッシュの衝撃波は、アンデットの魔力を吹き散らすための者なのだ。
精神に作用する衝撃波であるため、当然人間にもこの魔法は通用する。これを喰らった人間は、まるで強風に煽られたように吹き飛ばされてしまうのだ。本来であれば。
「……ふむ。神官魔法も教授されているか」
「っ!?」
だが、ゲンジはバニッシュを喰らっても平然とそこに立っていた。
自身の勝利を確信していたフランは一瞬茫然自失となってしまい、その隙にゲンジは彼女の肩に棒を軽く置いた。
「だが、バニッシュは精神に作用する魔法。不用意に受ければ体も吹き飛ぶが、耐える心を持っていれば子どもでも耐えることが出来る。戦場においてこの魔法が使用されないのは、戦士の覚悟の前ではそよ風程度の威力しかないからだ」
「あ、う」
恐らく、父親にバニッシュは人に向かって使うな、などと教わっていたのだろう。フランの顔が目に見えて朱に染まる。
ゲンジは一つ頷くと、棒をフランの体から離した。
「それぞれの魔法には、開発された経緯と意味がある。その効果ばかりではなく、しっかりと欠点を把握し、正しい場面で使えるようになれ」
「はい……」
フランはがっくりと肩を落とし、すごすごと皆の元へと帰る。
その背中を見送ったゲンジは、次の者の名を呼んだ。
「――次! トビィ・ラビットテール!」