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第47話:疾風走駆

 転んだまま硬直しているトビィを見て、ラウムは興味深そうに呟く。

 彼の視点で語ることがあるとすれば、それは稲妻のような光景だったといえる。

 掻き消えるトビィの姿。同時に聞こえる、落雷にも似た凶悪な打撃音。一拍遅れ、姿を現し転がるトビィ。瞬きの一つの間にこれだけのことが一瞬で起きた。これはもう、常識の範囲で語れる力ではない。

 こんなことが出来る力は、この世界において唯一つ。イデアをおいて他はない。


「常時発動型……。気づけぬはずよ。恐らく、目覚めたのも最近の話ではないだろう? 生まれたときからそうであったとしてもおかしくはない」

「……イデア? 僕に?」


 遠くから聞こえてきたラウムの言葉に反応し、トビィがポツリと呟く。

 それを聞き、ラウムは大きく頷いて見せた。


「ああ、そうだ。もはや疑う余地もありはしない。お前のイデアはすでに目覚めている……。きわめて、稀なケースであるがな」

「………」


 信じられない。呆然としたトビィの表情は、まさにそう告げているかのようだ。

 だが、ラウムは逆に確信している。間違いなく、トビィのイデアは覚醒していると。


「呆けている場合か? 貴様の力の根源は知れたんだ。後はそれを自覚し、どう扱うかだ。然らば、貴様でもこの俺に勝てる可能性が出てくるというものだ……。もっと気合を入れろ!」

「そ、そんなこといわれても……!」


 ラウムは叫びながら、地面を剛斧で叩く。

 その衝撃でひっくり返るように跳び上がったトビィは、慌てて体勢を立て直しながらラウムと向き直る。

 ラウムは凶悪な笑みを浮かべながらトビィと相対し、剛斧を力強く握りしめる。


「急にそんな……! 僕にイデアなんて、使えるわけが……!」

「そんなに難しい話じゃない! さっき、貴様は何を考え行動した! それをそのまま繰り返せばいい!」

「逃げることしか考えてませんよ! 逃げるために、必死に足を動かして、それで遠くにって……!」


 喜色満面といった様子のラウムに対し、怯えたように叫び返しながらトビィは何歩か後ずさる。

 イデアとは、トビィにとっては勇者の証の一つ。長く険しい修練の果て、それでもほんの一握りの人間にしかえることの出来ない、選ばれた存在の証明。

 多くの優れた勇者候補たちが、イデアを得られなかった、というだけで勇者を名乗ることが出来ずに涙を流すという話を、トビィはこの王都で何回も繰り返し聞いてきた。

 この国の勇者排出率……すなわちイデア覚醒者の人数は数年に一人。一世代に一人とされている他国に比べれば破格の排出率であるが、それでも数万からなるフォルティス・グランダム国民の中からそのたった一人に這い上がれるものは、ほとんどいない。

 トビィは、そんな一人に選ばれる最も重要な資格をすでに手にしていた事になってしまう。それは、他の勇者候補生たちからしてみればただの反則にしかならない。彼らがこれから六年かけて積み上げるはずの過程を、トビィは全て無視できるのだ。フォルティスカレッジは、勇者としての覚醒を……イデアを目覚めさせるための場所であるが故に。

 それほどに重要なものが、自分の中ですでに目覚めていたなんて、トビィのとっては信じ難い……いや、信じてはいけない事実であった。

 トビィがすでにイデアに目覚めているならば。この一ヶ月以上の生活は一体なんだったのか。ゲンジに叱られ、ダトルに絡まれ、フランに睨まれ。

 招かれ組として、厄介者扱いされてきた日々は一体なんだったのか。すでにイデアが自身に目覚めているとなれば、それら全ては無駄であったというのだろうか。

 ……混乱の極地に陥るトビィだが、ラウムにはそんな事情は関係ない。彼に目には、すでにイデアを操るトビィの姿しか見えていない。


「ならばそれこそが鍵だろう! 貴様は常時発動型のイデアを持つ! つまり、貴様が足を動かせば動かすほど、イデアは活性化する! その一挙手一投足すべてがイデアを操る鍵なのだ!」

「そ、そんな……! そんなこと……!?」


 ジリジリと迫るラウムの言葉を、トビィは否定するように首を横に振った。

 しかしラウムは拒否を許さない。呼び鈴(ノッカー)でトビィの真横へと回り込む。


「ゼェェイィィィ!!」

「ッ!?」


 トビィの頭を割る剛斧の一閃。ラウムが消えた瞬間にそれを察したトビィは、慌ててそこから跳び退く。

 神速の一閃は大地を砕き割り、トビィの巻いた神速の襟巻きの端を微かに斬り裂いた。

 ラウムの一撃はそれだけでは止まらず、トビィの逃げ延びた先へと再び飛び、剛斧を真横に振るう。


「ハァァァァ!!」

「―――!!」


 跳躍直後で、再び跳ぶ事ができない。そう感じたトビィは、それでも地面を蹴る。

 瞬間、地面が比喩ではなく爆ぜ、砕け散る。

 トビィの体は一気に加速し、再びラウムとの距離が離れる。

 しかしラウムはそれも許さない。


「まだまだだぁぁぁぁぁぁぁ!!」


 繰り返される呼び鈴(ノッカー)。ラウムの体が消え、剛斧の振るわれる轟音が響くたび、トビィの体もまた消え、加速しながら荒野を駆け回る。


「ハハハハハハハハ!! どうだ!? まだ信じ難いか!? これが貴様の力だ!!」


 ラウムは哄笑をあげながら、縦横無尽にトビィの姿を追い掛け回す。

 呼び鈴(ノッカー)の神速……いや、無速の前に、トビィは逃げ惑うばかりであった。

 だが、トビィの体に剛斧の刃は付きたてられず、むしろ彼の速度は徐々に確実に速くなっている気配すらあった。


「その身の危機に、足を動かし、駆ければ駆けるほどにその身の速度は上がっているようだな!? 常時発動型、自己強化タイプといったところか!? 羨ましい、俺が欲してやまない能力だぞ、それは!!」

「―――!!」


 叫び返す様子もなく、トビィはとにかく体を動かすしかない。

 足を止める間もなく、ラウムは呼び鈴(ノッカー)と共に攻撃を繰り返してくる。彼のイデアの前ではどんなスピードも0同然。トビィが体を動かしても、いくらでも追いつかれてしまう――。


「………!!」


 はずであった。

 だが、徐々にではあるが、ラウムが剛斧を振り下ろすよりも早く、トビィの姿が掻き消え始める。

 呼び鈴(ノッカー)の移動よりも、トビィの速度が勝り始めているのだろうか?

 ラウムは笑みを凶悪に浮かべながらも、否定せずにトビィの体を追いかける。


「―――!」


 トビィは声をあげることもなく、とにかく逃げ惑う。何をしたいのか自分でもわからなくなってきたが、なんであれ逃げねばならないと思ったのだ。

 自分は逃げるのが得意だ。逃げるのだけが得意だ……そう考えていたからかもしれない。

 ――やがて剛斧を振り下ろすどころか、移動した瞬間にはトビィの体が消え始めている事に気づいてしまう。

 ついに、ラウムのイデアの発動タイミングすら追い抜くようになったのだ。

 そこまで至ったラウムは、ようやくトビィの体を追いかけるのをやめた。いや、途中から追いかけることすら困難になっていたというべきか。

 何しろ、トビィの姿が残像ですら見えなくなったのだ。いいところ、色のついた風だ。無尽の荒野を駆け回る、一陣の紅い風。それが、今のトビィの姿であった。


「……知ってはいたが、いざ体験してみるとひどいものだ」


 トビィに追いつけなかった我が身を自嘲するラウム。

 イデア……というものがどれほどに世の理を無視しているのか、知っているつもりであった。少なくとも自分の移動能力が反則級である自覚はあったし、このイデアを見て卑怯だ反則だなどと声高に罵倒されたことなど数知れずだ。

 ……だが、だからこそ今まで自覚してこなかった。その理不尽が、一体どれほど度し難いものかというものを。


「得意分野を上回られるという事実……存外、堪えるものだ」

「え……?」


 小さな呟きと共に、トビィの姿が眼前に現れる。

 制止に際し、ほとんど衝撃のような者を受けた様子すらない。空間移動を高速移動で追い抜いておいて、リスクゼロである。

 なるほど。これは確かに理不尽だし、卑怯だし、反則だ。


「くっくっくっ……。これもまた貴重な体験よな……。開廟の調べ(ノックノック)を上回る者など、後にも先にももう現れんだろうしな」

「えと、その……」


 ラウムの纏う雰囲気が、先ほどまでと変わってしまった事に気づき、困惑するトビィ。

 愉悦はすでにそこになく、微かな怒りを帯び始めている。

 自身にその原因があることを自覚しているトビィは、しどろもどろになりながらも口を開く。


「と、とにかく……僕の、これは、イデアではない、です……。僕は、逃げるのだけは、得意ですから……」

「……ほう?」


 逃げ回ったおかげで、少し冷静になれた。逃げることこそ、自身の得意とすること。これがあるから、今日までやってこれたのだ。

 そう、後ろ向きな自信を披露するトビィだが、その物言いがラウムの怒りの琴線に触れる。


「そうかそうか。ここまでいたっても、まだ認めぬか? そのままでは、一生ここにいる事になるぞ……?」


 明らかに、殺意すら篭り始めたラウムの言葉。

 トビィはそれを聞き、怯みながらも言い返す。


「そ……それで構いません……。そうして、貴方が、僕に構っている間に……外ではすべてが、終わるんですから……!」

「ほう? どういうことだ?」

「牢の中にいる皆も……いつまでも、そうしているわけではありません……! 牢を出て、武器を手に取れれば、戦えます……。勇者でもある、ゲンジ先生もいます……。外には、アルス王だって……!」


 トビィは希望を胸に抱いて語る。

 そう。フランがあの調子で牢を開放していければ、遠からず地下牢に捕らわれていた者たちが全員外に出られるはずだ。

 その中には勇者ゲンジや、フォルティスカレッジにいた、五回生達や教員たちもいる。外には百戦錬磨のアルス王が、まだ戦っているはずだ。

 皆が協力し、バルカスたちに立ち向かえばこの危難だってきっと乗り越えられるはずなのだ。


「だから……僕は貴方とここにいます……! それが、逃げることしか能のない、僕のできることだから……!」


 絶対の自信を持って、トビィは告げる。

 逃げることは得意だ。それを続け、時間を稼げといわれれば、一生をかけられるほどに。

 少なくとも、冷静でいられればラウムの剛斧を回避できるのだ。これを維持し続けられれば、敵方の最大戦力をここに釘付けに出来るのだ。

 そう、決意し意思を固めるトビィを見て、ラウムはニヤリと大きな笑みを浮かべた。




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