第46話:自覚なき力
「……どうして、本気で攻撃してこないんですか?」
「ん? 本気で?」
不意にトビィの口から放たれた疑問を受け、ラウムは心外といった様子で顔をしかめた。
「奇妙なことを言うじゃないか、小僧。俺は常に本気で攻撃しているぞ?」
「……そうは思えません。もし本気なら、どうしてあの移動をしてこないんですか?」
軽く腰を落としながら、トビィは不審を露にする。
「無音無動作、かつ長距離移動の出来るあの移動……。あれがあれば、僕くらい瞬殺できるんじゃないんですか?」
「ああ、呼び鈴のことか? あいにく、あれはあまり好きじゃない」
ラウムはフンと一つ鼻を鳴らしながら、両手で剛斧を握りしめる。
「戦いというものは、己の肉体、全能を駆使してこそだ。あんな、老人の杖のような力を使って敵を下しても、何一つ面白くない」
「老人の……いえ、確かに見ようによってはそうかもしれませんけど」
あまりに乱暴なラウムの物言いに、トビィは怯みながらも油断なく彼の隙を窺う。
「さりとて、貴方がたの目的は魔王の復活であるはず。こんなところで油を売っている余裕はないのでは?」
「あいにく、魔王なんて存在にさほど興味はない。俺の目的は、名を残すことのみだ」
トビィの指摘にゆるぎなく答え、ラウムはニヤリと笑う。
「まあ、復活後の魔王を俺がぶち倒すという展開も考えたことがある。そういう意味じゃ、興味あるな。どの程度強いのかも気になるところだ」
「……名を残す前に、死んじゃいますよ。相手は魔王なんですから」
呆れたように呟くトビィ。あまりにも狂戦士的なラウムの発言に、頭痛も覚える。
名を残すにしても、もう少しやりようがあるはずだろう。こんな悪名の形で名を残さずともよいのではないだろうか。
そんなトビィの考えを察したのか、ラウムは笑いながらそれに答えた。
「あいにく、こんな世界じゃ俺の名は残らねぇよ。平和に過ぎる。暴れる相手もろくにいねぇ」
「平和の何が駄目なんですか」
「俺が目立てねぇ。目立ったとしても、大抵悪人としてだ。例え誰かが俺に突っかかってきたとして、俺がそいつをぶちのめしたら、十中八九俺の方が悪者にされちまう」
その瞬間の光景を思い出したのか、ラウムはやれやれといった様子で頭を振った。
「ちぃと鼻っ柱をへし折ったくらいで大泣きしてな。どいつもこいつも根性は足りてねぇし、芯はフニャチンばっかりだ。顔面血まみれ程度、男なら勲章ってもんだ」
トビィは一瞬絶句し、それ以上触れないようにする。それ以上触れるのも恐ろしい。
「……貴方ほどの実力なら、仕官の道もあったのでは?」
「俺に置物をやれってのか? 冗談きついぜ、一秒足りとて我慢できねぇ。そんならまだ漬物石のバイトでもしてたほうが有意義ってもんだぜ」
「漬物石……」
まあ、この返答は予想できた。彼は誰かに仕えるというタイプではないだろう。
ラウムの実力をイデア抜きで加味したとしても、そこらの騎士団の精鋭が裸足で逃げ出す猛者だろう。だが、それゆえに“何者かのために力を振るう”事に満足できないのかもしれない。
誰よりも強い力を持つが故に、叶わぬ望みもなかったのだろう。結果として、自分以外の誰かを頼みにして生きていこうという発想が浮かばないのだろう。
誰かに仕える、仕えられるというのは、結局のところ補い合うことの形の一つなのだ。臣民は税や労働力という形で王を。王はその権力でもたらす臣民の領域を。それぞれ一人で為しえぬものを、補い合うのだ。身分という名の壁がそこに存在していても、そこの部分は変わらない。王は一人ではありえず、国民もまた王なしでは生きてゆけぬのだ。
絶対の力を持ち、誰にも頼らず生きてゆける男は、逆に不思議そうにトビィへと問いかけた。
「そういうお前はどうなんだ?」
「え?」
「それだけの力、何故腐らせておける? お前の力なら、何者にも負けぬだけの存在になりえるだろう」
ラウムに問いかけられ、困惑するトビィ。彼が問いかけてきたということも驚きだが、それ以上に問いかけの内容も謎だ。
それだけの力とは何の話だ? そんなもの、自分は持っていないのだが。
トビィは言外にそう伝えるが、ラウムは構わず言葉を重ねる。
「城下で見せた俊足。地下牢であの骨どもを砕いた剛脚。どちらも見事なものだった。この俺と一合、まともに打ち合ってみせるのも素晴らしい。貴様の足は、すでに必殺の領域にある武器と言える」
「………それは、この襟巻きのおかげです」
トビィはそういいながら、アルス王から賜った疾風の襟巻きに触れる。
「この襟巻きは、装備した者に疾風の素早さをもたらす魔法の襟巻き。この力があるからこそ、僕は貴方とも辛うじて戦える」
「そんな布切れに何の意味がある。どんな魔法がかけられていようと、貴様を支える骨子にはなんら影響を与えまい」
誇りを持って答えるトビィであったが、ラウムはばっさりと彼の言葉を斬り捨てた。
「銘から察するに、その襟巻きは“身軽さ”を装着者に与えるもの。決して“重さ”にはなりはしない」
「そんな……」
ラウムの言葉に、トビィは困惑してしまう。
言われてみれば確かに、この襟巻きを装備してから体が軽くなったような気がする。それこそが、疾風の襟巻きの効果というのは確かだろう。
だが、ならば先ほどのスケルトンたちを打ち倒した一撃は、なんだというのだ?
「そんなこと、言われても……。僕にはこの襟巻きしかありません。僕に、あのスケルトンを打ち倒すような力なんて……」
「然り。普通ではありえぬ。いかな才気を持ってしても、純質量を押し返し地力は養えぬ。これは時間の積み重ねの問題。要領がいかによかろうが、そこを覆すことは出来ない。……普通であれば」
ジリ、とラウムの全身に力が篭る。
「まだ目覚めていない……というよりは自覚がないのだろうな、貴様は」
「………?」
何のことかわからず、トビィは微かに下がる。
本当に僅かな後退。そこには明確な迷いが見えた。
それを追うように、ラウムは微かに前に出る。
「だが、そういった者も中にはいる。目に見える効果が出ないゆえ、己の目覚めも自覚せずに、そのまま最期を迎える者などざらにいる」
「なんの……話ですか……?」
下がるトビィ。追うラウム。
城下町で繰り広げた光景の再現。そのときよりもいささか迫力には欠くが、ラウムは気にせず笑った。
「気になるか? ならば――」
爆ぜるような踏み込み。
一瞬でラウムの巨体は跳び上がり、トビィの頭上を取った。
「その身に直接聞いてみよぉ!!」
「っ!?」
熊のような体躯が空へと飛び上がる光景を前に、トビィは一瞬思考を失う。
だが、体の反射は慌ててその場から飛び退く事に成功した。
一瞬後、地面を打ち砕きながらラウムが地面に落着した。
全身に纏った鋼の鎧は、着地のダメージを完全に跳ね返し、ラウムは難なく立ち上がる。
「まだまだ! 次だぁ!!」
大きく剛斧を振りかぶったラウムは、勢い良くそれをトビィに向かって投げつける。
竜巻のような轟音を上げながら、一直線に飛ぶ剛斧。
着地の後隙を狙われたトビィは、慌ててその刃を回避する。
薄絹一枚のような、僅かな距離で剛斧はトビィの傍を通り過ぎてゆく。
だが。
「はっはぁ!」
「―――!?」
瞬き一つの間に、ラウムが剛斧を受け止めた。トビィのすぐ傍で。
先ほどは好かぬといった、呼び鈴と呼ぶ移動法。それでもって接近し、トビィのすぐ傍に現れたのだ。
振り上げられた剛斧の狙いは、トビィの胴体。
仰け反るような回避の直後。トビィにそれ以上体を動かす余裕はない。
「くらえぇいぃ!!」
ラウムは叫び、剛斧を真っ直ぐに振り下ろす。
音速を超えたかのように、甲高い風斬音を奏でる剛斧。その白刃は、さながらギロチンのようにトビィの体を捉えようとする。
トビィはとにかくもがく。がむしゃらに、ひたすらに。その一撃から逃れようと、必死に足を動かす。
不十分な体勢では、足はしっかりと地面を蹴る事は出来ない。ずるりとすべり、無様に転びそうになる。
だが、それでもトビィは足を動かす。目の前に迫る剛斧の狂刃。それから逃れるために。
言葉を発する暇はなく、思考を繰り返すような瞬間もない。刹那に満たない時間の中で、トビィは懸命に生きるために足を動かす。
いつの間にか音は消え、視界に移る何もかもから色が抜け、世界はうっすらと暈けたような姿へとなってしまった。ああ、これが死に際の世界か、などとトビィは考える。
――そうして、走馬灯かなにかのように必死に足を動かす間に、気がつくと剛斧の刃がいずこかへと消えていた。
(……――?)
いや、それだけではない。
視界がやたらとぐるぐる回る。
赤茶けた大地と、濁った空。それが交互に、視界に移る。
そして、時折見えるのは、遠くで地面にゆっくりと剛斧を振り下ろすラウムの姿。
一体どういう理由か、彼はいやにゆっくりと、自慢の強力でその剛斧を振り下ろしている。
その狂刃は地面に触れると、ゆっくりと地面を隆起させ、辺りの地面にひびを入れる。
――そこに至り、トビィは気づく。
己の見ている、そして感じている時間が、いやにゆっくりと流れている事に。
「っ!?」
自覚と同時にすべてが鮮明に蘇る。世界の色も、音も。一気にトビィの世界に戻ってくる。
まるで遅れたように、連続した打撃音が響き渡り、トビィの体が容赦なく地面へと叩きつけられた。ラウムの攻撃か、とトビィは一瞬疑ったが、そうでないことはすぐにわかる。何しろ彼の体は遠くのほうにあり、剛斧を振り下ろした直後だ。トビィに打撃を入れる暇はなかったはず。
さらに謎は増えてゆく。ずいぶん遠くに見えるラウムの姿と、転んだ自分の間。その地面に、無数の足跡があった。
それはただの足跡ではない。まるでハンマーかなにかのように打ち砕かれたように、地面に穿たれた跡が、まるで足跡のようにトビィの方へと伸びているのだ。
転んだままの体勢で、呆然とその足跡を見つめるトビィに、今気がついたように顔を上げたラウムは、実に愉快そうな笑みを浮かべた。
「……それが、貴様のイデアというわけか」




