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第43話:ノック、ノック・・・

 ガチャガチャと、ひそやかに響く解錠音を聞き、ラウムもトビィの狙いに気がついた。

 鍵があるのであれば当然、動ける者がいるのであればなおさら。

 それに気がついた上で、ラウムはトビィの目の前で足を止めた。


「――っ?」


 トビィは跳躍に備えたまま、訝しげに眉根を潜める。

 跳びはしない。迂闊に跳んだとしても、ラウムの射程からは逃れられない。

 ならば、向こうの初動を確認した上で、確実な回避を行わなければ。

 警戒を解かないトビィを前にしながら、ラウムは一度戦闘体勢を解く。


「くっくっくっ……。時間稼ぎか? 健気というか、哀れというか」


 ラウムはズバリと言い当てながら、軽く周囲を示してみせる。

 解錠が始まった音を聞き、牢の中でへばっていた何人かの勇者候補たちが息を吹き返し、鉄格子に縋りついているのが見える。

 その姿はどこまでも必死であり、そんな様が酷く滑稽にも見えた。

 それを嘲笑うようにラウムは笑みを浮かべた。


「確かにお前たちにとってはここの連中の開放が最後の希望だろう。だが、あの程度の連中が通じると思うか? 外の奴らはともかく、この俺に」

「………」


 トビィは無言で返す。

 正直に話すのであれば、無理だろう。不可能だろうし、天地がひっくり返ってもありえないと断言したくなる。

 それほどに、隔絶とした実力差があると感じているのだ、トビィは。

 少なくとも、外で見たほかの三人とラウムとでは、確実に一線飛び越えた力の差があるだろう。

 確たる証拠があるわけではないが、確信は得ていた。直に肌でこの男の強さを感じた身として、はっきりとそれを感じていた。

 だがその一方で、この男が無為な殺戮をするのだろうか?という疑問が浮かぶ。この男から騎士のような高潔な魂を感じるわけではないが……だからといって、血と殺戮を好む邪悪な狂戦士の悪徳を感じるわけでもない。

 その鎧は血に汚れ、酷く濁った姿をしているが、トビィにはそれが一方的な殺戮の結果ではないような気がしていた。

 これも、確証があるわけではない。ただ、彼が本当に邪悪であれば、自身程度とっくの昔におもちゃか虫のようにバラバラにされていてもおかしくはない。

 彼が本気を出せば逃げることなど叶わず、ただただ悲鳴を上げるだけの愉快なおもちゃとして弄ばれていたとしても不思議ではないのだから。

 トビィの思案の間にも、ラウムの語りは続く。両手を広げ、朗々と歌い上げるように語る。


「まあ、星の数ほどの奇跡が重なれば、あるいはそういう未来も存在するのかもしれん。だが、それはありえん未来だ。何故ならば、この国はもうすぐ魔王の国となるのだし、お前らがここを出ることも不可能だからだ」


 何か具体的な案を述べているわけではない。だが、その声には絶対の自信が含まれており、その言葉には裏もなく確かな事実のみを述べている力が篭っていた。

 少なくとも、この男を倒さない限り、牢から外に出ることは叶わない可能性は高い。

 だが、この牢のどこかには、この国にまだ残っていた勇者である、フォルティスカレッジの教師ゲンジが捕らわれているはずだ。

 彼もこのフォルティス・グランダムを支える勇者の一人。彼であれば、きっとこの男にも勝てるだけの実力があるに違いない。

 ……そんなトビィの考えを見透かしているかのように、ラウムはニヤリと邪悪な笑みを浮かべる。


「だが、それっぱかしの理由で若者の芽を摘むのはいささか意地の悪い話だな。少しは希望と華を持たせてやるのが、人生の先達という奴だ。故に――」


 ラウムは両手を大きく広げたまま、トビィを見据える。

 顔はどこまでも邪悪な笑みを浮かべている。だが、トビィは気づいた。

 その瞳が、一欠片も笑っていない事に。


「その時間稼ぎに付き合おうじゃないか」

「……!?」


 ラウムの表情に不審を覚え、その口から放たれた言葉の意味が理解できない。

 だが、それを考える前に、トビィの視界は一変した。


地獄への開廟の調べノックノック・ディアボロスッ!!」


 ラウムがその名を叫んだ瞬間、辺り一面は草木の一本も生えない荒野と化した。

 空は赤茶けており、星も月も太陽さえも存在しない、異質な空間。

 地面も地下牢に存在した石畳ではなく、枯れた大地へと変わり果てていた。そこに生を感じさせる存在はなく、濃厚な死の香りだけが蔓延していた。


「なん……なんですか、これ……」


 周囲のあまりの変容に、トビィは力すら抜けてしまい、ゆっくりと周りを見回す。

 地平線の彼方まで、人間は愚か遮蔽物すら確認できない。どこまでも平坦な大地が広がっている。

 太陽や月はないが、代わりに暗闇も存在しない。光源もないのに、視界に不自由しないというのも奇妙な話だ。

 トビィの理解など、どこまで行っても及ばない。そんな彼に、ラウムは静かな声で答えた。


「これは言うなれば、決戦のために用意した闘技場。障害物も、邪魔な敵もいない。純粋な一対一で戦うために、俺がイデアで作り上げた一種の結界のようなものだ」

「けっ、かい? 貴方が、イデアで?」

「その通り」


 剛斧を担ぎ、トビィを見据えるラウム。そこに先ほどまで存在していた嘲りはなく、純粋な闘志を瞳の中に滾らせていた。


「俺のイデアは開廟の調べ(ノックノック)。普段は移動にしか使わん能力だが、その本領は空間操作にある」

「空間操作……?」

「そう。俺たちがごく当たり前に過ごすこの世界……そこに普遍の存在として広がるもの……意識したことはないだろう。実際、俺もイデアに目覚めるまではまったく意に介したことすらなかった」


 ラウムは軽く虚空を掴む。

 その手に何か握られているわけではない。だが、トビィの目には彼が何かをしっかりと握り締めているのが見えた。

 それが、なんなのかはわからない。だが、彼は確かに何かを握っているのだ。


「俺たちが吸っている空気ではない。踏みしめている大地でもない。外に広がっている海を満たしている水でもない……。なに、と説明されても困るが、確かにそこに存在し、俺たちの体を包んでいるもの。それが“空間”だ」

「………」

「俺のイデアはその空間を操作する。認識できる範囲は、この国の全域。操作できる範囲は視界の範囲内。目が届けば、俺にとっては触れられるも同然。俺にとって、距離は無意味なものとなった」


 ラウムは語りながらゆっくりと歩き始める。トビィへと向かって。


「この場所、この決闘場はこのイデアを持って作り上げた、特殊な場所だ。先ほど行ったとおり、この場には誰もおらず、そして誰も入ってくることは出来ない」

「……結界、だから、ですか?」


 トビィは一歩後ずさる。

 彼の言葉に、ラウムは首を横に振った。


「そこまで複雑なものではない。単に、地下牢の空間、極小一点の中を大きく広げ、その中に入り込んでいるに過ぎない」

「………?」

「理解できないか? まあ、当然だな。俺も、説明できる気がしない」


 ラウムは軽く笑い、それから剛斧を振り上げる。


「……理解するのは二つだけでいい。ここには誰も入れず、誰も俺たちを発見できないということだけで」

「っ!」


 神速の振り下ろし。

 霞むほどの速度で下ろされた剛斧を、トビィは跳んでかわす。

 トビィの移動を横目で見ながら、ラウムは叫ぶ。


「これが! これこそが俺の望む場所だ! 俺の力を十全に! 俺の力と存分に! 戦うことの出来る猛者と、邪魔の入らない純粋な一対一の決闘場!」

「これが……!」


 着地の勢いを滑りながら殺し、トビィはラウムへと大きな声で問い返す。


「これが貴方の望みなんですか!? こんな、寂しい風景が!!」

「然り! 貴様には見えんか!? この、熱く滾る我が闘志が!!」


 ラウムは叫びながら、背後の景色が歪むほどの熱気を全身から迸らせる。

 彼の体温が上昇しているのか、あるいは彼の言う闘志が可視化されているのか。

 ラウムはまた叫ぶ。


「もはやこの世に望むものなし! 我が力を試すにも値せぬ世界よりも! この闘志をぶつけることの相手をこそを俺は欲す!」

「………」

「そうして、俺の名を世界に刻む! この悪名を、永遠に刻む! この名、ラウム・ディアボロスの名前をな!!」

ディアボロス(悪魔)……それが、貴方の」

「そう! 俺が、自身につけた名だ!! 世界に刻むに、これほど相応しい名もあるまい!?」


 ラウムは笑い、剛斧を振り上げる。


「故にこの我が望みの象徴の名は地獄への開廟の調べノックノック・ディアボロス! 我が闘志の煮え滾る、地獄の大釜の底がここというわけだ!!」

「っ……!」


 トビィは素早く周囲を見回す。

 そこそこ遠くに跳んでみたはずだが、それでも周囲の景色が変わらない。まだ距離を跳ばねばわからないが、どこまでもこの光景が不変である場合、逃げることすら叶わない事になる。

 ラウムが、この世界を開放しない限り。


「理解したか? 少年」

「………」


 ラウムの言葉に、トビィは無言で振り返る。

 愉悦に歪む彼の顔を睨みつけ、トビィは腰を落とす。

 なんであれ、一対一。逃げることも叶わないなら。


「――そうだ。それでいい」


 少しでも、刃向かって見せなければ。

 両足に力を入れ、トビィは跳び上がる。

 ラウムへと、渾身の一撃を叩き込むために。




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