第38話:世界の支配者
城内にある兵士たちの詰め所で手に入れた鋼の長剣を振るい、アルス王は一つ満足げに頷く。
「ふむ……。我が国の鍛屋は、相変わらず良い仕事をする」
しっくりと馴染んでくれる剣を片手に、アルス王は先ほど叩きとした大量の羽虫を見下ろす。
王城内を群れたまま、何かを探すように移動していたため、一先ず潰してみたのだが――。
「……ふむ。当たりであるか」
遠くからでも聞こえてくる巨大な虫の羽音を聞き、アルス王は中庭のほうへと向かう。
なるべく広く、障害物のない場所の方が戦いやすいし、向こうもこちらを発見しやすいだろう。
アルス王が中庭へと足を踏み入れると、ブゥンという羽音は一際大きくなり、頭上に影が差した。
「見つけたぞ!」
声のするほうへ顔を向けると、背中に二対の薄羽を生やした少年――バグズが旋回しながら中庭へと降り立ってくるところであった。
さらに、彼に付き従うように二体の甲冑虫も降りてくる。
アルス王は狙い通りに出てきてくれたバグズを見て一つ頷くと、彼のほうへと向き直った。
「ふむ。少年、私は忙しい。すぐにでも行かねばならん場所があるのでな。用があるなら、手短に頼みたい」
「ならば、大人しく付いてきてもらおう、アルス王。全ての抵抗は無意味だ」
バグズは薄羽を体内にしまいながら、アルス王を睨み付ける。
その瞳の中には殺意にも似た敵意が満ちていたが、長く最前線で戦い続けてきたアルス王にしてみれば子どもが怒って睨み付けているようにしか見えない。
バグズの言葉もさして気にした様子もなく、アルス王は肩をすくめた。
「それは出来ないな。今、牢の中に救わねばならぬ子どもたちがいるのでな。あの子らを解放したあとでならば、いくらでも付き合おう」
「無駄だというのがわからないのか、亡国の王。貴様に選択肢などありはしない」
バグズは居丈高にそう宣言すると、地下牢の方を指差してみせる。
「仮に貴様が地下牢に到達したとしても、あの場にいるのは我が方最強の戦士、ラウムだ。やせ細った老骨ごとき、奴にへし折られて終わりだ」
「これでも、まだ若いものには負けぬさ。折られるというのであれば、当たらねばよいだけだ」
ホッホッホッ、と快活に笑うアルス王。
自身の言葉にまるで答えた様子もないアルス王を見て、バグズは苛立ちに顔を歪める。
「貴様……自身の状況を理解しているのか……!? もはや滅びに向かう砂上の楼閣に立ち、貴様は何を――!!」
「それはそれとして、あの少女はおらんのかね? あの子にいられると、武器があっさり奪われて困るのだが……どこかに隠れておるのかね?」
バグズの言葉を遮り、辺りを見回すアルス王。彼にとって一番怖いのは、戦うための武器が奪われることだ。
敵である自身に、それをあっさり明かす余裕も気に入らない。バグズの顔はいよいよ凶悪に歪むが、それでも彼はアルス王を絶望させるべくあえて正直に答えた。
「……ポルタ、いやあの小娘なら、王女の傍でお守りをしている」
「ほう?」
「奴は加減を知らないからな。貴様ごときを半殺しにすら出来ない。故にあの場に残った。……貴様が頼みにしているであろう子鼠も、これで終わりということだ」
トビィを差して子鼠と称するバグズ。今は姿が見えない彼が王女救出に向かっているのだろう。
そう考えての言葉であったが、アルス王はとぼけた様子で小首を傾げる。
「はて? 私に動物の知り合いはおらんのだが……子鼠とは何の話しかね?」
「っ………!!」
バグズは歯軋りする。アルス王の癪に障る態度……これは間違いなく、こちらを煽って冷静さを失わせるための策だろう。その程度のことは、バグズにも理解できる。
それでも、苛立ちを抑えることは出来ない。絶対的な絶望、恐怖を目前にしても余裕を崩さないアルス王の姿が、どうしようもないくらい腹立たしい。
何も理解していないのか、あるいは幻影にでも縋っているのか。バグズにはわからない。
故に、深く理解させる必要がある。バグズは深呼吸し、地の底から響くような声を出す。
「……そして、貴様にはどちらに会うことも叶わない。この中庭から出ることも出来ない」
「ふむ?」
「この僕……侍虫の主がお前の目の前にいるからだ……!」
バグズのその声と同時に、中庭のいたるところに夥しい量の羽虫が現れた。
その数たるや、現れた瞬間、夜天が陰り、よりいっそう辺りの闇が増すほどだ。
「これは……」
「貴様は、この世界の支配者が誰か考えたことはあるか?」
空に浮かぶ羽虫の雲を見上げるアルス王に、バグズは朗々と語り始める。
「それは動物でも魔物でも、ましてや人間でもない……。この世界の支配者、それは虫だ」
背後に控える甲冑虫。そして、空に浮かぶ羽虫の雲を指差すバグズ。
彼は我が事であるかのように、誇らしげに語った。
「この侍虫の主に目覚めた時に、僕は知った……。世界中のいたるところに、虫たちは版図を広げている。それは地上だけじゃない、湖の中、海の中、土の中……。虫の存在しない場所は、いないと断言できるほどだ」
「………ふむ」
「――やがて、この世界は主が召喚される魔王閣下によって支配される。だが、その支配の中でも虫の繁栄は約束されている! 虫は世界と共にあるのだからな!」
バグズは笑い、アルス王を見て嘲る。
「滅びに向かう貴様ら人類よりもはるかに長い歴史を虫は歩んできているんだ!! こんな小さな羽虫とて、貴様を殺すには十分過ぎる! 理解しながら死ぬといいさ、この世界の支配者の力を!!」
得意満面といった様子で笑い続けるバグズを見て、アルス王は静かに呟く。
「――私はそうは思わんな」
「ふん! 負け惜しみか!?」
「いいや。虫たち、小さな命がこの世界中に広がり、繁栄しているという点は同意しよう」
アルス王はバグズに同意するように頷きながら、言葉を重ねる。
「だが、彼らは果たして世界を支配しようとしているのかね」
「……どういう意味だ?」
「そのままの意味だよ。虫たちに、世界を支配する必要はあるのかね」
手の中の長剣を弄ぶアルス王。
その瞳は凪いだ海のような静けさで、バグズを見据えている。
「彼らに何かを支配しようとする意思は感じられん。なぜなら、そんな必要はないからだ。彼らは何者かと争う必要はなく、ただ世界にあるだけで存在が完結している。それは、人には為し得ない偉業だろう」
偉業、という言葉にバグズの顔が愉悦に歪む。
だが、アルス王の続く言葉でその顔が怒りで歪んだ。
「だが、それゆえに虫は支配者足り得ない」
「……なんだと?」
「彼らは支配を望まない。世界と共にあることだけを望む。世界を支配するなどという、低俗で野蛮で大それた願いを持つのは、人間だけだ」
そう言って、アルス王はゆっくりとバグズを指差す。
「すなわち……君のような」
「――――」
「君がどのような世界を望むのかは知らぬが、無垢な虫たちの代弁者を気取るのはやめておいたほうが良いぞ? ただ滑稽なだけだ」
瞬間、羽虫の雲が大きくうねる。
怒りで顔が歪んだバグズは、指を振り、羽虫の雲を操りながら怒りの咆哮を上げた。
「抜かせ老害!! 貴様ごとき矮小な存在が、全てを知ったような口を聞くなぁ!!」
「これは老婆心という奴なのだが」
「やかましいわっ!!」
羽虫の雲は一塊となり、そのまま一気にアルス王のもとへと殺到する。
「このまま飲み込み、貴様の血肉で新たな虫を生み出してくれる!! 光栄に思うがいい!!」
黒い羽虫の塊は瞬く間にアルス王の体を飲み込み、一瞬でその命の灯火を吹消してしまう――。
はずだった。
だが、その結果は決してならず、次の瞬間に現れたのは巨大な爆炎であった。
「っ!?!?!?」
突然上がった爆炎に、目を庇いながらもバグズは混乱する。
アルス王が何がしかの呪文を詠唱していた気配はなかったし、そのような間も与えたつもりはない。
アルス王が魔術を治めていたという話も聞かない。あの羽虫の群れを蹴散らす方法はないはずだ。
手にしていた剣も、ただの剣だったはず。
バグズがそう考え、もう一度爆炎のあがった場所を見たとき、絶句した。
「な………!?」
逆巻く炎。その中心に立つアルス王。
彼が手にしていた剣は、いつの間にか炎をその刀身に纏い、辺りに漂う羽虫を焼き払っていたのだ。




