第36話:小さな勇者
涙を流すトビィを笑顔で見守りながら、アルス王は静かに決意を固めた。
この暖かな涙を流す少年のためにも、命をとして国を取り戻すことを。
「――トビィ。お主は、ここにいなさい」
「え――?」
立ち上がったアルス王を見上げ、トビィは一瞬呆け、慌ててその足に縋りついた。
「ま、待ってください、王様! 一体、これからどうするおつもりなんですか!?」
「これより、国を取り戻す。王として、この国の騎士の一人として、為さねばならぬことだ。アルスの名を背負う者として……やらねばならぬことだ」
「ど、どうやって!? 外には無数の化け物と、異常なほどに強い化け物のような者たちがいます! いくらアルス王といえど、御一人では……!」
必死な形相のトビィを見て、アルス王は優しく微笑む。
「なぁに。確かに私一人では無理だろう……。だが、地下牢に多くのものが捕らわれているのはわかっている。話では、フォルティスカレッジの候補生たちが中心のようだが、四回生、五回生ともなればすでに一人前の騎士と変わらん実力者だ。彼らを解放できれば、勝算は十二分にある」
「ですが、やっぱり御一人では……!」
アルス王の言うとおり、この国を取り戻す要は地下牢に捕らえられているという、勇者候補生たちだ。その大半は、トビィと同じ一回生であるが、三回生以上の者たちも少なからず捕らえられている可能性は高い。いや、ラウムの能力を考えれば全ての勇者候補生を捕らえられていると考えるべきだろう。
これは最悪の結果とも、希望的観測とも言える。外に逃げようとも助けを求める手立てはないが、地下牢を開放できれば全ての戦力が王城に集中する事になる。
博打は博打であるが、勝ちの目が那由他の彼方にあるわけではない。まだ、指の先がかかりそうな距離にある。
問題は、その手の先に待ち構えているのが、数匹の虎であるということだが。
「例え地下牢を開放すれば勝てるとしても、あの化け物たちに……特に、あの騎士に勝てるわけがありません! あの騎士の異能は底がまったく見えないんですよ!?」
「お主も、邂逅しているのか? 奴に……剛斧を持った邪戦士に」
「はい。城下町で……追いかけられました」
トビィは俯き、そのとき感じた恐怖を払うように頭を振る。
「手加減されて……それでもなお、振り切ることが叶いませんでした。あの男の移動は、どこかが決定的におかしいんです……。距離も速さも関係ない。目で捉えられていれば、必ず追いつける。そういう類の能力です……」
「ふむ……」
俯いたままのトビィを見て、アルス王は感心したように頷く。
手加減されたとて、あの手練から逃げ遂せるのはたいしたものだろう。さらに逃げながらも、相手の能力を彼なりに分析している。観察力も悪くないようだ。
普段なら褒めるところであるが、今はその余裕はない。気を引き締め、アルス王も自身の感じたことを語る。
「君にはそう見えたか。私には、彼奴の能力は空間転移に関わるものと思える」
「え? くうかん……転移?」
「左様。彼奴は私の目の前に、君の同胞を十人近く、一度に移動せしめたのだ。地下牢にフォルティスカレッジの者たちを捕らえたのも、その能力ゆえだ」
あの能力から逃げ延びるのは至難の業だろう。さらにいうなら目的地に近づけるかどうかすら怪しい。
複数の人間を一度に移動できるということは、ラウムの能力は転移対象に触れる必要がないことを示す。恐らく何らかの方法で移動範囲を指定し、その中にあるものを移動させるのだろう。
触れる必要がないのであれば、わざわざ近づく必要もない。時間が来るまで、延々こちらを目的地から遠ざけるように移動させればいいだけだ。最小の労力で、こちらの行動を徒労に終わらせられるだろう。
「お主の言うとおり、彼奴の手から逃れるのは至難の業だ。どうにか奴の索敵範囲の外から、地下牢に近づかねばならぬ」
「それだけじゃない……。無手にて武器を操る女の子や、全身黒々とした甲冑を纏いながら、空を飛ぶような奴もいます! そんな連中相手に、アルス王御一人では……!」
トビィは反射的に叫んだ。
「――王! どうか、僕に命じてください!!」
「なに? どういうことか、トビィ」
「僕に、僕に地下牢を解放するようにと命じてください!! 僕が、皆を助けてきます!!」
トビィはそこまで叫んでから、自分がどれだけ大それたことを叫んだのかを自覚する。
地上を跋扈する化け物たちを掻い潜り、地下牢へと潜入し、そこに捕らわれた者たちを助ける。どれだけ険しい道のりなのか、考えるまでもない。
トビィの全身から、再び汗が噴出す。アルス王で無理なものを、どうして自分が出来るなどと言えるのか。
だが、一度飛び出した言葉を引っ込めることは出来ないし、トビィの心には火が付いていた。
ほんの小さな。しかし、確かに燃えている、小さな種火が。
「王御一人では無理でも……僕もやれれば……!」
「駄目だ、トビィ。お主を巻き込むわけにはいかぬ」
トビィの決死の叫びに、アルス王は諭すように静かに告げる。
「お主はまだ歳若い。見ること、聞くこと、学ぶことが多くある。それらを知らずに、このような戦いに身を投じることはない。お主は、私が地下牢へ向かっている間、ここで――」
「王! 命を捨てるなと仰ったのは貴方だ! 犠牲を持って他者を救うなと仰ったのは貴方だ!」
王の言葉の裏に潜む真意を見抜き、トビィは叫ぶ。
「犠牲を厭う貴方が、真っ先に犠牲になることを肯定するのですか!?」
「……それは、この国の王の責務だ。人のため、国のため、何よりも世界のために。真っ先に先陣に立ち、己がやれると示さねば――」
「それは、王の責務ではありません!!」
六代目アルス王として語る老人に、幼い少年トビィは反論する。
「貴方あってこその国だ! 貴方がいなければ、フォルティス・グランダムは成り立たない! 貴方の言う先陣は……勇者が担う役目のはずです!」
「――トビィ、だが」
アルス王は、トビィの肩に手を置く。
トビィは顔を挙げ、真っ直ぐにアルス王の瞳を見つめて叫ぶ。
「ならばその御役目は、僕が果たすべきだ!」
「トビィ……」
「王が、王が御認め下さった勇者である、僕が為すべきなんです……!」
目の前の王に認められ、小さな種火を抱いたトビィ。
その種火……決意という名の種火を絶やさず燃やしながら、トビィは叫ぶ。
「アルス王……! どうか、どうか命じてください……! 僕に、地下牢の者たちを解放せよと!」
「……お主、何故そこまで……」
先ほどまでの弱弱しさとは打って変わったかのような、強い……言ってしまえば強情なトビィの様子に驚かされるアルス王。
このトビィという少年は、気の弱い性格だったはずだ。事前の報告でも、そう聞いていた。
フォルティス・グランダムの外れにある、小さな山間の農村に生まれた、ただの少年だったはずだ。親も農民で、祖先の名など知られていない。
この少年の心は、傷ついていたはずだ。度重なる危難、恐怖、絶望……。そうしたものによって、心が折れかけていたはずだった。
だが、今はどうだ。このアルス王に向かって頭を垂れ、命を請うその姿は小さく若いながらも、騎士のようだ。作法も礼儀もなっていないが、それは紛れもなく騎士の姿だ。
「何故、何故私に命を請う? 王命を請おうとする?」
「……僕は、誰にも認められませんでした」
アルス王の問いに、トビィは静かに答える。
「この国で、僕を僕として認めてくれる人はいませんでした……。先生も、同級生の仲間たちも。僕を叱り、なじるばかりでした」
「………」
「僕は、何のためにこの国に来たのかわからなくなりました……。けれど、逃げる勇気も持てず、漫然と過ごすばかりでした」
自身の弱気を力なく吐き出すトビィ。その姿は、歳相応の気弱な少年のものだった。
「……けれど、アルス王。貴方は認めてくれました。僕が貴方を助けたのだと、認めてくださいました……」
「……うむ、そうだ。お主は、紛れもなく我が恩人だ。だから――」
「だから。僕は報いたいのです」
アルス王の言葉に重ね、トビィは告げる。
「僕を勇者と呼んでくれた貴方の意思に。心に。その呼び名に恥じぬ者であると、そう叫ぶために。行動をもって示し、貴方に報いたいのです。勇者の名をくれた、貴方に」
トビィは瞳に強い意志を滾らせる。
この国に来て、ようやく持つことの出来た目的。
フォルティスカレッジで学ぶ者にとっては当たり前でありながらも、トビィにとってはどこか絵空事であったはずの目標。
“勇者になる”こと。
今、トビィの胸の中にはそのことしか考えられなくなっていた。種火の中にくべた目標が決意となり、アルス王へと叩きつけられる。
「お願いです、アルス王……! 僕に命令してください……皆を助けろと! 貴方の勇者として、この体を使ってください……!」
「………そうか」
アルス王は、トビィの決意を聞き、瞑目する。
浅慮であった。その一言を飲み下し、アルス王は力強い笑みを浮かべる。
「……なれば、心強い味方を得たというわけだ」
「っ! じゃあ!」
「うむ」
アルス王は笑みを浮かべたまま、トビィに頷く。
「お主に命を下す。私に代わり、地下牢の者たちを解放するように」
「……! はい! 任せてください!!」
アルス王の命を受け、トビィは深々と頭を下げる。
そんな彼を見下ろしながら、アルス王は心の内で嘆息した。
(彼の心を踏みにじるようだが……軽率であったな。この小さき者を勇者と呼ぶのは)
その一言がきっかけで、少年は死地に身を投じようとしている。
それは、アルス王の一言が招いた結果だ。
それを力尽く、論理固めで押さえ込むことはきっと不可能ではないはずだ。
そうしても良いはずだが……アルス王はそうすることを止めた。
実際、一人では八方塞だったのは事実であったし、何より自らの口をついて出た言葉を嘘にしたくなかった。
この小さき者が勇者であるのは、明白であったからだ。それは、アルス王の身柄を救い出したからというだけではない。
(……七星の宿星を持つ者……トビィ・ラビットテール。今こそが、覚醒のときなのかも知れぬな)
トビィ自身も知らぬ、彼の秘密に触れながら、アルス王は懐に手を突っ込んだ。
やることは決まった。次は、その準備をしなければならない。




