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第35話:王が認めし者

「ち、地下牢……? それに……」


 今の今まで思い至らなかった、自分以外の者たちの行方。

 王の言葉からそれを僅かに察し、トビィは体を震わせる。


「二、ニーナ様……ニーナ王女は、今、どこに……?」


 アルス王の嫡子である、ニーナ王女。歳の頃合はトビィとさして変わらなかったはず。

 そういえば、玉座の間ではアルス王の姿しか確認していなかった。無我夢中で逃げ出してきたが、まさか。

 トビィが否定したい考えを、アルス王はあっさりと肯定してしまう。


「ニーナは、まだ玉座の間にいる」

「―――」

「さすがに、あの子まで連れて逃げるのは厳しかっただろう。そして、君と同じフォルティスカレッジに通う子等は、皆地下牢にいるようだ」


 アルス王はなんということもなくそう口にするが、トビィの心臓は早鐘のようになり始めた。

 自分が助かるために、必死になってアルス王を助けようとした。だがその結果、彼の嫡子であるニーナ王女を完全に見捨ててしまった。

 アルス王が逃げ出したことで、連中の警戒度は確実に跳ね上がっているはずだ。計画の詳細に関して、トビィはいまいち理解していなかったが、それでもニーナ王女の身柄が確実に危険になったのは間違いないだろう。

 玉座に軟禁される程度であれば、まだ良かろう。人質として利用されるのはまず間違いない。最悪、生きていれば問題ないという理由で、手足を捥がれることすらありえるかもしれない。

 トビィの全身から、いやな汗が噴出してくる。トビィの故郷には、いろんな理由で四肢の一部を失った者たちがいた。

 ある者はきこりの作業中に、誤って足を切り落とした。ある者は魔物に襲われ、命の代わりに足を差し出した。ある者は、戦の最中で大怪我を負った。

 いずれもトビィのとっては親しい老人たちで、皆過去の出来事を笑って語っていたものであるが、彼らの足の傷を見たトビィは、到底笑う気にはなれなかった。

 切り落とされた足や手の傷は、比較的真新しい皮膚によって覆われてはいたが、周辺の肌と比較しても色が異なるその皮膚は痛々しさと生々しさに溢れており、あるべきはずのものがそこにないという奇異な状態が、幼き頃のトビィにはいやに恐ろしげに見えたものだ。

 ただ見るだけであのおぞましさだというのに、ニーナ王女が直接そんな目に合ってしまうなどと、考えただけでも恐ろしい。

 トビィは己を恥じる。自らが助かることしか考えなかった、自身の不徳を。

 同時にニーナ王女の安否が気になる。まだうら若き乙女である彼女が、果たして本当に無事なのか。


「私はこれから、地下牢に向かい――トビィ、どうしたのだ?」


 アルス王は、トビィの様子がおかしい事に気がついた。

 目の焦点は合わず、顔中から汗が噴出し、指先が震えている。

 まるで、感染症か何かに罹ったかのようだ。

 彼の容態を心配し、アルス王はゆっくりと手を伸ばす。


「酷く体が震えておるぞ。どこか、具合が悪いのか」

「お、王……」


 トビィはゆっくりと伸ばされたアルス王の手を、震える両手で握り、そのまま膝を突いた。


「もうしわけ、ございません……!」


 そして、絞り出すような声で謝罪を始めた。


「なに? トビィ、一体……」

「ぼ、僕は! 自分が助かりたい一心で、貴方様をお助けしました! その結果、ニーナ様を、貴方の御子を、あの、おぞましい場所に置き去りにしてしまいました!」

「それは――」

「あんな場所に置き去りにされ、ニーナ様が無事であるはずがございません……! 僕の、僕のせいで、ニーナ様が、危険に曝され……!」

「トビィ、落ち着くのだ」


 アルス王はトビィの肩に手に置き、軽く揺さぶる。

 それに呼応するように顔を上げたトビィの瞳には、大粒の涙が浮かび上がっていた。


「ぼく、僕が、ニーナ様をみすて、見捨てなければ……!」

「見捨ててなどおらぬ、トビィ。お主は最善を尽くした」

「いいえ、いいえ……! 僕が、僕が犠牲になっていれば、今頃御二人は無事に……!」


 そう。自身が犠牲になっていれば。

 そうすれば、フォルティス・グランダムそのものともいえる、血脈は生き残ったはずだ。

 何の血筋も持たぬ、一介の農民の子である自分が生贄にないさえすれば、まだ希望が残っていたはずなのに。自身が助かりたい一心で、ニーナ王女を見捨ててしまった。

 トビィの心の内には、後悔と自己犠牲を望む思いが満ち溢れる。今からでも玉座に向かい王女の代わりに命を差し出すべきか。いやそうすべきだ――。


「トビィ・ラビットテール!!」

「ッ!?」


 ぐるぐると、深い暗黒のような陰鬱とした感情にとらわれたトビィを、アルス王は一喝して引き上げる。

 自身の胸を強くたたくような叱咤の声に目を覚ましたトビィが最初に見たのは、自分を真剣な眼差しで見つめるアルス王であった。


「……トビィ。そのようなことを申すな」

「……?」

「自らの命を犠牲にし、他者を救おうとするな」


 アルス王はトビィに言い聞かせるように、繰り返す。


「犠牲の上で成り立つ正義など存在しない。救うことの出来る存在に手を伸ばし、また救われぬ存在にも手を伸ばす。そうして両者を救い上げることのできるものが、勇者なのだ」

「な、なら、僕は……!」


 ニーナ王女を救えなかった。

 そう口にしようとするトビィに、アルス王は優しく告げる。


「だが、私を救った。それは事実だ」

「でも……!」

「お主のおかげで私はあの場を離れ、自由に動くことが出来るようになった。……不覚を取り、下手人どもに囚われた愚かな王を救ってくれたのは、紛れもなくお主だ」


 トビィがさらに何かを言い募るより先に、アルス王はこう口にする。


「ありがとう、トビィ・ラビットテール……幼き勇者よ」

「ッ!?」

「お主のおかげで、私は希望を捨てずにいる。お主の小さな勇気が、この国を救うきっかけとなったのだ」

「ゆ、勇者……!? そんな、僕は……!」


 自身に対する評価を否定しようと、必死に首を振るトビィ。

 だが、アルス王は譲らない。優しい笑顔でトビィを見つめる。


「謙遜することはない。お主の行動は、紛れもなく賞賛されるべきものだ。それを称えるための、私が用意できる最高の称号がこれだ」

「なら、なおさら――!?」


 受け取ることなど出来ない。出来るはずがない。

 恐れ多くも、敬愛するアルス王から直接なんて。

 言外のトビィの悲鳴を全て塞ぎ、アルス王はさらに重ねる。


「トビィよ。この国において、勇者とはフォルティスカレッジの修行を修了した者に与えられる称号だ」

「その通りです! だから!」


 その称号はこの身に余る。

 そのはずだ。だが、アルス王の考えは違った。


「だが、トビィよ。元来、勇者にそのようなものはいらぬはずなのだ」

「え?」

「勇者とは、勇なる者……。その言葉は優れている者を指すのではない。勇ましい者を……恐怖に負けぬ強い心を持つ者にこそ与えられるべきだ」


 かつてはそうであった。武技に、知慧に。あらゆる事象に通じ、優れた者が勇者であったか?

 いいや、違う。それら全て、魔王に挑み、ことごとく滅ぼされてしまった。

 最終的に魔王を滅ぼすまでに至ったのは、どこにでもいたはずの、ただの少年であったもの。立った一振りの勇気を手に、長き時の果てに優れた力を手にし、魔王を討ち取ったのは、初代アルス王。

 遠い祖先の武勇を思い返し、六代目を数えるアルス王は目の前の少年を見つめる。


「トビィ。お主は、幾度となく命を脅かされた相手の前に飛び出し、私を救い出してみせた。恐怖で動かぬ足を叱咤し、震える体を抑え、あの者たちの鼻先から私をさらってみせた」


 確かにニーナを救えなかった。

 確かに侵入者たちを倒すことは出来なかった。

 確かに……逃げることしか出来なかった。

 だが、それがどうしたというのか。

 それすら出来なかった老骨に、一筋の希望を見出させるだけの行為をやってのけたのは誰だ?

 そこに至るまでの過程は偶然であっても。その動機は己の為だけのものであっても。

 アルス王は胸を張って、こう口にする。


「トビィよ……。その行為が、己が保身の為であっても、それを恥じることはない。見知らず想像もしえぬ事象を、お主が背負うこともない」

「あ、あ……」

「お主はあの時、一抹の勇気を振り絞って行動してみせた。その行いこそが、勇者の為すべき事なのだ。力があるから、才能があるから……それが勇者の行動原理ではないのだ。例え目の前にどのような障害があっても、己が為すべき正しき行いのために行動する者……。それが、勇者という者なのだ」

「ゆう、しゃ……」


 アルス王は、涙を流すトビィにもう一度告げた。


「勇者トビィよ。万感の礼を。この騒ぎが終わった暁には、必ずこの恩に報いよう。――ありがとう。本当に、ありがとう」


 頭を下げるアルス王。

 トビィは、彼を見て涙を流す。

 先ほどの流した後悔の涙ではない。瞳の内から自然とこぼれだしたそれは、不思議なほどに熱い。

 ――恐らく、きっと。アルス王の言葉に嘘はない。心の底からそう思って、トビィに頭を下げている。

 それを理解したトビィは、いつの間にか胸の内に熱い熱が宿っている事に気がついた。


「ぼ、ぼく……」


 この国に来て、一度も感じたことのなかった気持ち。

 まるで太陽のように暖かく、それでいて立ち上る焔のように激しい熱さを感じるその感情に、名をつけることはできない。

 だが、アルス王の真摯さに呼応するように感じたその気持ちを抱くように、トビィは自身の体を抱きしめた。


「ぼく……! ぼくは……!」


 ――認められたのだ、と理解した。

 トビィ・ラビットテールという存在を。自らの師たる人間のみならず、学友たちにすら認められなかった、このちっぽけな存在を。

 目の前の偉大な、しかしやせ細って見える老人が。

 しっかりと、この小さな存在を認めてくれたのだ。

 トビィは、それだけははっきり理解し、静かに涙を流した。

 それは歓喜か。あるいは感謝か。

 いずれにせよ……久方ぶりに感じる暖かな心地よさに、トビィはただ涙した。




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