第31話:路の終わり
少しずつ、天頂に向けて月が上ってゆく中、フォルティス・グランダム王都は実に静かに時を過ごしていた。
だが、その様相は昨日までとは一変していたといえる。照り映える月光の中、そこかしこから紅い燐光が立ち上っているのだ。
王都の中を囲うように、円の形で立ち上る燐光。そして、王都の中に点在する燐光。
それを、王都上空から確認するものが現れれば、明かりの位置がさながら魔法陣のような形を作っていることが確認できただろう。
それぞれの燐光は、地面に突きたった禍々しい剣にたかる、無数の紅い蝶が放っているものであった。
蝶が羽ばたきを繰り返すたび、その羽から燐粉が舞い、それが発光し始め、さながら煙かなにかのように燐光が天へと昇ってゆく。
実に、幻想的な光景であった。……その燐光を守るように、無数のスケルトンが蠢いていなければ。
燐光が立ち上る剣の元には、特に大量のスケルトンが集中していた。周辺の道の中にもかなりの数のスケルトンが歩いていたが、特に燐光付近のスケルトンたちは明確に“守る”ために動いていることが窺える。
そのスケルトンたちの行動を見れば、立ち上る燐光こそが何か重要な事象であることは一目瞭然であったが……あいにく、それを理解してもスケルトンたちを掻き分けて燐光を止めようとする者は、今のフォルティス・グランダムにはいなかった。
立ち上る燐光は、月に届く前に霧散し、消え失せる。だが、まるでその燐光が届いているかのように、月は空へと上がるたび、少しずつ赤く染まっていっている。
恐らく、天頂に差し掛かる頃には、血のように赤く染まっていることだろう。見るものに、そんな予感を与える禍々しい光景。
それは誰に止められることもなく、静かに、そして少しずつ確実に進行していった。
空に上がる月の輝きを見て、バルカスは満足げに一つ頷いた。
「ああ、アクシデントこそありましたが……ごらんなさい、アルス王。魔王閣下復活の儀は、滞りなく進行しておりますよ!」
「私にとっては、知りたくなかった事実だがな」
アルス王は精一杯の威厳を込めてバルカスに声をかける。隣で怯えているニーナの恐怖を、少しでも紛らわせようとしているのだが、うまくいっているとは言いがたい。
目の前の幻想的……いや、おぞましい光景は確実にこの国を滅びに導いている。幼いニーナも、魔法に疎いアルス王も、そのことを肌で感じている。
ねっとりと、体の全身に纏わりつくような粘っこい空気を感じながら、アルス王はバルカスを睨みつけた。
「貴様の目論見は聞いた。だが、そのようなことが到底叶いうるとは思えん……。貴様は、世界の命運を左右しえる存在だというのか?」
「私が、ではない。魔王閣下こそ、世界の命運を左右……いいや、決定付ける存在なのですよ」
バルカスはうっとりと微笑みながら、アルス王を見下ろした。
「貴方がた人間は、確かに強く賢いだろう。だが、どこまでも不完全だ。成長の余地があるといえば聞こえはいいが、成長の手綱をしっかりと握れる者はほとんどいない」
「何が言いたい」
「ああ、回りくどい表現でしたね。失敬、はっきり言えば愚か。その一言に尽きますよ」
バルカスは自身の考えを端的にまとめ、大仰にため息を吐いてみせる。
「いつまで経っても、その本質を改めるつもりがない……。魔王閣下が没してすでに百年以上経過している今でも、方々には災いの火がくすぶっていた……それも、人間自身が撒いた火種の! あまりにも愚かで、救いがたい……そうは思いませんか?」
「そうは思わん。それを救うための、力であり勇者だ」
バルカスの言葉に、アルス王ははっきりと継げ、胸を張る。
「確かに、人はいまだに愚かと言える。だが、少しずつでも変わって行ける生き物だ。故にこそ、完全無欠であった魔王を滅ぼすに至った」
「ふむ。まあ、確かに」
「貴様の言うとおり、今の世の中に人の争いの火種は無数にあるだろう。ならば、一つずつでも確実に消してゆくのが、今を生きる老い先短い私の使命だろう。多くの者の手を借りねばなるまいが、それでも少しずつ進んでいこうじゃないか」
力強く告げるアルス王。その言葉の中には迷いのない強い意思が込められており、聞くものを圧倒するだけの力が篭っていた。
「お父様……」
彼の言葉を一番近くで聞いていたニーナは瞳の中に力を取り戻し、バルコニーの近くに立っていたラウムは楽しそうに笑ってみせる。
そしてその宣言を聞いたバルカスは。
「ご立派な宣言ですね」
呆れたような様子で、アルス王を見下ろしていた。
自身の言葉を単なる夢想だと散々斬り捨てられてきたアルス王にとって、バルカスの視線程度は慣れたものであった。
だが、次に告げる彼の言葉は、アルス王の胸に大きく突き刺さる。
「だが、その手は対して広くも広がらないし、多くの火を一度に消せるわけでもない……。故に、此度のような騒動が起こったのですよ、アルス王?」
「……なに?」
「燻っていた火種を、対岸の火事に変え、無視できなくする。そうすれば、この国の防備は薄くなる」
バルカスは、うっすらと微笑む。
アルス王の語った理想が心底可笑しい。そう言わんばかりに。
「さらに一つだけでなく、回り一面火事にしてしまえば、その戦力のほとんどを吐き出さざるを得なくなる。ご立派な英雄精神は、この国にとっては国是だ。滅びに向かう哀れな蛾を救うことこそ、この国の正義だ」
「貴様……」
「この国の戦力を削ぎ落とすのに、力は要らない。たった一つの甘言、一枚の手紙あればいい」
ここ数ヶ月に渡る、方々の国での種々様々な騒動。
フォルティス・グランダムに存在する、十三人の勇者。そのほとんどが出奔してしまった、その原因。
火種を火事へと変えた男、バルカスは笑みを深める。心底可笑しいというように。
「この国がその理想を実現しようとすればするほど、私が願いを叶えるための障害はどんどん減っていったというわけですよ」
「………っ」
二の句を告げず、押し黙るアルス王。
まさに、バルカスの言うとおり……。己が身を省みず、世界が滅ばぬよう、人々が安心して暮らせるよう、その力を振るい続けた結果……。
フォルティス・グランダムは、存亡の淵に追いやられていた。自国の戦力を見誤ったというのもあるが、そうだとしてもこの結果はあまりにも御粗末で、愚かしいといえる。
バルカスは笑う。自業自得ともいえる結末を迎えてしまった、勇者王国の王を見て。
バルカスは嘲笑う。理想を追い求めるあまり、その足元が見えていない男を見下ろして。
「ありがとうをいわせていただこう、アルス王。貴方の高潔な精神が、我等が魔王閣下を蘇らせる」
「――ッ!」
「万感の感謝を持って、礼を。そのお礼に、この国はしっかり滅ぼそう。心を込めて、丁寧に。決してその形、痕跡が残らぬように、全霊で。この国は、滅ぼそう。かつて、魔王閣下がその身に受けた仕打ちのように………」
バルカスは一拍置き、天に向かって哄笑する。
ゆっくりと高く上ってゆく月。その背中を後押しするように、バルカスの哄笑がどこまでも響き渡っていった。
「……笑い、声」
結局赤い光の正体はわからず、それを探ることを諦め、再び梯子を上り始めたトビィ。
上った梯子の数が、三つか四つを越える頃、彼の耳に大きな笑い声が響き渡ってくる。
遠くから反響しているせいで、誰の声なのかはわからないが……こんな状況で、アルス王などが笑っているとは思えない。
恐らく、中庭で遭遇した一党の誰かが笑っているのだろう。一番ありえそうなのは、あの戦士――ラウムだろうか。声も大きそうだ。
トビィはごくりと生唾を飲み込みながら、梯子を上ってゆく。
この梯子の上りきった先に、あの男たちがいるのは間違いないかもしれない。
だが、それでも戻るという選択肢はなかった。戻ったところで何が出来るわけでもない。ただ餓死を待ち、虫や鼠の餌になるのを待つだけだ。
そんなのは、さすがにお断りであった。
何とか梯子を上りきり、続く梯子に手をかけるトビィ。
ここまで来たら、最後まできっちり上りきり、その先に何があるのかを確認し、その上でどうするか決めねばなるまい。
逃げるのだけは得意だ。不意を打って正面から抜けられれば、あるいは何か活路が見えてくるかもしれない。狼の群れや、群れ集った熊を相手取った時も、そうやって潜り抜けてきたのだ。
「―――あ」
不意に、頭上に光が差しているのが見える。
外から見える光とは違う。どこかの隙間から、こぼれる光だ。
長かったこの狭い通路の逃避行も、終わりを告げるようだ。
トビィはより一層慎重に、時間を掛けて梯子を上っていった。




