第30話:逃避行
「バニッシュ!」
フランの声が牢の中から響き、無形の衝撃波がその掌から放たれる。
衝撃波は無音のまま牢を横切ろうとした、巨大な骨塊の化け物に叩きつけられた。
バニッシュ……アンデットにかけられている不死の魔法を解き、彼らを物言わぬ死体へと還す魔法。あらゆるアンデットに対し、きわめて効果的な一撃を与え、精神力の弱い者であってもアンデットを滅しうる可能性を秘めている魔法であったが、フランの目の前を横切ろうとした骨塊の化け物――グレータースケルトンに対しては、毛先ほども通じなかった。
ガシャァン、と音を立ててその体を構成している骨がはじけ飛んだかと喜んだのも束の間。
「―――」
物言わぬ骸の塊は、何事もなかったかのようにのっそりと歩き始めた。それだけならばまだしも、はじけ飛んでしまった骨がその体に集まり、あっという間に元通りにくっついてしまったのだ。
「くっ……!?」
フランは息を荒げながら鉄格子を掴み、自身の目の前を平然と通過してゆくグレータースケルトンを見送る。
深く深呼吸をしながら、息を整え、フランは悔しげに呟いた。
「やっぱり……通じない、か」
これでグレーターデーモンにバニッシュを試すのは通算五度目。連中が見張りのために巡回するたびに試してみたが、すべてにおいて結果は同じ。どの部位に対してバニッシュを試みたとしても、砕けたはずの破片がグレータースケルトンへと集合し、同じ形を保とうとしている。
「何で通じないの……? あの骨の怪物は、アンデットじゃないとでも……?」
自分が今まで見たことのないアンデットの存在に、フランは自信を喪失しかける。
通常、スケルトンタイプの単純なアンデットはバニッシュで確殺出来る。精神に作用し、その身に秘める魔力を吹き飛ばすという効果を持つゆえ、自我を持たない低級アンデットはその衝撃波に耐えることが出来ず、あっさりとその存在を浄化することが出来るのだ。
精神に作用するという効果が重要で、自我がなければ確実にアンデットを浄化できるのだが、逆に自我がある場合は、バニッシュはまったく効果を発揮しない。ほんの僅かでも、相手に対抗しようという意思がある場合は、それが頚城となって魔力を吹き飛ばす衝撃波に耐えることが出来てしまうのだ。
故に上級アンデットに属する、自我を持つヴァンパイアやデュラハンなどには通用しないため、バニッシュが全てのアンデットに特効を有するわけではない。
ならば、骨塊の化け物――グレータースケルトンには自我があるのかと聞かれれば、首を傾げざるを得ない。
自我を持っているにしては、行動が単純すぎるのだ。
連中はその巨体を引きずりながら、基本的に地下牢の中を徘徊するばかりだ。牢の中には、フランのようにグレータースケルトンに対して攻撃を試みる者は少なくない。
フランが休憩している間にも、別の牢から攻撃魔法を炸裂させる音が聞こえてきている。
だが、それらの攻撃に対してグレータースケルトンはまったく無反応である。単に痛みを感じるほど通用していないとも考えられるが、それにしては体がバラバラになってもまったく気にしないというのは異常だろう。体が塵になるような爆炎系魔法を喰らったとしても、即時復活できるヴァンパイアであっても痛みは感じるようで、自身を滅しうる神官戦士ではなく、爆炎系魔法をぶち当ててきた魔法使いを執拗に追い回したという逸話もある。アンデットとて、体をバラバラにされるのは不快であるのは間違いないのだ。
自我があるのであれば、自身の体をバラバラにされれば多少反応は返してくるだろう。第一、自我があれば無効化されるのがバニッシュだ。その一撃を喰らって、体がバラけるという時点で自我があるとは考えにくい。
ならば、別にバニッシュを無力化する手段を備えていると考えるべきだが、まだ年若く経験の浅いフランでは、それに対抗する手段を思いつけない。
いや、想像できないわけではないが、バニッシュより高位の浄化系魔法を使うくらいしか思いつかないのだ。差しあたって、バニッシュの上位系であるアークバッシュを試してみるべきかもしれないが、まだ父から継承されていない。
こんなことなら、わがままを言ってでも授けてもらうべきだった、と後悔するフランの耳に、聞きなれた悲鳴……いや、絶叫?が聞こえてきた。
「っらぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!??」
「……またやってる」
フランが呆れたように声が聞こえてきた方へと視線を向けると、牢を飛び出したダトルがグレータースケルトンに胴体を掴まれ、大きく持ち上げられているところであった。
武器は取り上げられておらず、愛用しているらしい鋼の剣を振り回しながら、グレータースケルトンの体を斬りつけようとするが、刃は空しく空を切る。
そのままの体勢でなにやら意味のない言葉の羅列を喚いていたが、グレータースケルトンは一切聞く耳を持たずに、扉の開いていた近場の牢……ダトルが元々入っていた牢屋の中に彼の体を放り投げた。
「ぐげっ!?」
蛙のつぶれたような悲鳴をあげ、静かになったダトルの牢をグレータースケルトンはやや乱暴に閉め、そのまま徘徊を再開する。
しばらくすると、すすり泣きのようなものが聞こえ始めるダトルの牢を見て、フランは一つため息を吐いた。
「実力不足ぐらい、いい加減自覚しなさいよ……」
無謀を繰り返すダトルにもはやかける言葉が見つからないが、彼の行動によってわかったこともある。
グレータースケルトン、その自我の有無はともかく、その知能というか行動範囲や判断力は著しく低いようだ。
牢の鍵自体は割と単純な構造であるため、ダトルでなくとも破壊なり解錠なりで脱出を試みることが出来、そのまま逃げようとする者も中にはいた。
だがそのたびにグレータースケルトンは脱走者を見た目に似合わぬ俊敏さで捕らえ、そのまま近場の牢に放り込むのだが、その際に連中は鍵をかけない。いや、鍵の概念も理解していないのかもしれない。連中がやるのは、人間の体を牢の中に放り込み、開いている扉を乱暴に閉めるだけだ。鍵をかけようとはしないため、ダトルのような無謀なものは何度も脱走を試みている。
恐らく、主人に命じられているのは「地下牢を逃げようとする者を牢の中に放り込むこと」なのだろう。単純な命令しかこなせないという点では、通常のスケルトンとそう大差はないらしいが、そうなるとバニッシュが効かない点が不可解となる。
「……クソッ」
フランは、小さく悪態を吐く。瞳を閉じ、考えるのは父のことだ。
デオス教における、神官戦士でも最上位とされる位階である聖戦士の称号を持つ父。
今は国外における布教活動に努めている父に並び立てるだけの存在になりたくて。もっともっと強くなり、父の役に立てるようになりたくて。
勇者になれずとも、更なる力を身に着けたくて、この国の、フォルティスカレッジの門を叩いたというのに、この体たらくだ。
フォルティスカレッジに入学して、たった一ヶ月の身の上であるが、それにしても情けなさ過ぎる。フランは、自己嫌悪で胸が押し潰されそうになっていた。
いや、彼女だけではない。彼女の周りの牢に閉じ込められている、フォルティスカレッジの勇者候補生たちも彼女のように、自責の念で押し潰されそうになっているようだ。ダトルのすすり泣きを呼び水にしたかのごとく、あちらこちらから泣き声が聞こえ始めた。
フランは、思わずこみ上げる涙を堪えながら、歯を食いしばって耐える。
耐える事に意味があるわけではないが、それでもそうしなければ心が折れてしまいそうだ。
そうして耐えている時、不意にある少年のことが思い出される。
(……彼は、どうしたかな? ……無事、逃げられたのかな)
トビィ・ラビットテール。不運にもゲンジに目をつけられ、多大な罰を強いられた少年。結果として幸運にも、この悪難から逃れられたであろう少年。
フランは、力も才もなく、ただ逃げることしか知らぬ少年の無事のため、指を組み神に祈りを捧げる。
どうか、この場にいるはずのない少年に、平穏と安らぎを――と……。
「づっ……」
体の節々で悲鳴を上げる切り傷に呻きながらも、トビィは薄暗闇の中を、上に上っていた。
フォルティス城の地下へと落ちてしまい、枯渇した水源路を歩いていたトビィ。彼の逃避行は、意外な方向へと進みつつあった。
恐らく場外へと繋がっていたであろう水源路は、その途上で鉄格子によって塞がれ、代わりに上へと上るための梯子が現れたのだ。
トビィは突如現れたはしごの存在に、思わず首を傾げながらはしごに手をかけ、現在はゆっくりと上へと向かって上っている最中と言うわけである。
梯子は一本ではなく、途中で小さな踊り場のような場所へと繋がっており、そこからさらに上へと梯子が繋がっていた。すでに、そんな形で梯子を乗り継ぎ、三本目となっている。梯子の長さ自体はたいした事はないが、梯子を上っている場所の狭さと薄暗さによって感じる息苦しさのせいで、すでに王都を十週はしたかのような疲労感がトビィの体に圧し掛かっている。
「はっ……はっ……はぁ……!」
荒く息を吐きながら、上りきった三本目の梯子から体を離し、踊り場に腰を下ろす。
彼の目前には四本目の梯子があったが、一先ずそれを無視して休憩する事にした。
「……この、梯子……どこに続いてるのか、な……」
呟くトビィの疑問に答えるものはいないが、さすがに外に通じているというわけではあるまい。
上った梯子は三本だが、それでもすでに地上には出ているくらいの高さを上ったんじゃないか?とトビィは考えている。
体に感じている重力が、水源路を歩いている時よりもかすかに軽い。体感で言えば、木の上に飛び乗った時の感覚に似ている。地表から、おおよそその程度は上に体があると考えるべきだろうか。
フォルティス城の地図は、トビィの頭の中にはないため現在位置が分からないが、それでも城内のいずこかにいるのは間違いないだろう。
今自分が、一体どこを進んでいるのか。そんな、根本的なことも理解できずにトビィはとにかく魔王復活を目論む一党から逃げようとしている。
逃げた先に何があるのか、なんて考えない。とにかく逃げないと。その一心で、体を動かすトビィは、不意に気づいた。
「……あれ? これって……窓?」
自身の体を照らす明かりが、水源路にあった魔法文字でないことに気がついた。
彼の体を照らすのは、踊り場に据え付けられた小さな採光窓。その大きさは、拳一つ分あるかないか程度であるが、それでも今空を照らす月明かりを取り入れるには十分な大きさであった。
……だが、トビィの体を照らす明かりは、月明かりだけではなかった。
「………?」
月光の青白い光だけではない……なんとなく、不安になる紅い光もちらちら採光窓から入っているのに気づくトビィ。
その正体が気になり、彼はそっと採光窓から外を覗き込んだ――。




