第24話:少年の帰還
「な、なにこれ……」
アイマから無事に王都へと戻ってきたトビィは、最初に大橋が閉じたままな事に驚き、そして西側に回りこんだときに三匹のワームが城壁を破壊している事に慄いた。
自身が王都を離れている間に、何らかの異常事態が発生しているのは間違いないだろう。これだけの異常事態だというのに、事故現場?周辺に一人も衛兵がいないのも奇妙な点だ。
これだけのワームが突然城壁を破壊したというのであれば、それを調査に衛兵が来るのが普通だろう。それすらないというのはつまり……。
「……王都の中、で、まだ何か起こってるってことだよね……?」
トビィは体を軽く震わせながら、王都の中を覗き込むように背伸びしてみる。
が、あいにく破壊された城壁から中の様子は窺えない。ワームの体の高さも、下手をすると家1件分くらいはある。
だが……掘りの外側から見上げるフォルティス・グランダムの上空は御世辞にも穏やかとは言い難かった。
何しろ正体不明の虫のような生き物が、複数種類飛んでいるのだ。
蛾や蜂のような虫や、でかいガガンボ、果ては蜘蛛上のなにかまで飛んでいる。あんなもの、昨日のフォルティス・グランダム上空には生息していなかった。いや、そもそもこの国にあんな種の虫が存在しないはずだ。虫には苦労させられた農民の子であるトビィでも、あんな虫は見たことがない。
「…………」
トビィは苦虫を噛み潰した悲しげな表情で、ワームの破砕した城壁の亀裂を見る。
できることなら、入りたくない。
入らず回れ右して、近隣諸国に逃げ込むべきだ。
ここからだと一番近いのは、六盟国の一つであるクリムゾン・ローズか。女王が治め、女騎士たちが国を守る、女性上位主義の女傑国だと聞いている。
「一夜にしてフォルティス・グランダムが虫の王国になってしまった」などという突拍子もない申し出が受け入れられるかはまったく不明だが、フォルティス・グランダムとの関係は悪くない。異常さえ認められれば、助けてくれる可能性は高いだろう。
もう少し足を伸ばして、フェルム帝国に助けを求めても良いだろう。今はアインアッシュ帝国との関係が悪化し、緊張状態にあるがそれでもかつての最強国家。フォルティス・グランダムとの信頼関係も厚く、快く救援を送り出してくれるはずだ。
だが……長い懊悩の果て、最終的にトビィは王都の中に向かって足を進める事にした。
「………うぅ」
ワームの体表に生えている繊毛を掴み、その巨体を上りながらうめき声を上げる。
虫自体はなんてことはない。故郷の村では郷土料理の一つとして、いも虫の煮込みスープなんてものもある。
単純に、怖いのだ。これから何が起こるかわからず、中の状況も不明。わかっているのは、王都の空に正体不明の昆虫群が舞っているという事のみ。少なくとも、良い方向に転がっていくことはありえない。そんなところに足を踏み入れねばならないということが、ただただひたすらに恐ろしいのだ。
なら逃げればよいだろう。人は言うかもしれない。
しかし、彼は中に入ることを選んだ。
理由は、ゲンジからの命があったからだ。
かれは、翌朝にはフォルティスカレッジに戻れと命じた。すでに、期日は大幅に過ぎ、そろそろ太陽の傾きも地平に届きかねない時間だ。こんなに遅れてしまった状態では言い訳も思いつきようがないが、これ以上遅れるのはもっとまずい。トビィはそう考えた。
そして、これは彼も無意識に考えていたことであるが、最悪の状態にはなっていないだろうと考えたからである。
いかに国土が小さかろうが。国力が低かろうが。フォルティス・グランダムは勇者を最も多く保有する六盟国の“勇者国家”である。その潜在能力は他国に譲るものではないし、一朝一夕にやられるほどやわでもない。
現在、フォルティス・グランダムを守る勇者は“拳骨隆々”ゲンジただ一人であるが、彼以外にも国を守る英傑や騎士、衛兵は数多くおり、その実力は粒揃いだ。並大抵の侵略者では手も足も出ない豪傑も少なくはない。
そんなフォルティス・グランダムが、たった一日かそこらで陥落することはないと、トビィは楽天的に考えていたのだ。
無論、その考えはワームの体を上りきった辺りで否定されることとなる。
「―――ッ!?」
口を大きく開き、唖然と王都の中、城下町に当たる部分を見ているトビィ。
ワームの背中に乗ったことでその中を見ることが出来たのだが、そこには想像もしなかった光景が広がっていた。
ワームが破壊した城壁は、住宅街に程近い場所であったようだ。整然と並べられた家屋が列を成しており、所々の家の窓には吊るされた洗濯ものの姿も見える。
この時間であれば、家人は外に働きに出るか、あるいは家の中で作業をしているかであろうが、それでも普段であれば盛況で賑やかな様子が窺えたであろう。
だが、今は違う。今は、息をつまらせそうなほどの静寂が場を支配している。
その静寂の原因の一端を担っているのは、道を歩いている大量のスケルトンであろう。
「―……―」
「―……―」
一匹や、二匹なんて話ではない。それこそ何十、何百という夥しい数のスケルトンが、フォルティス・グランダム王都の住宅街を闊歩していた。細い路地を進もうとしているスケルトンなんぞは、その数ゆえに渋滞を起こし、お互いの体を絡ませて今にも転んでしまいそうだ。
さらに、家屋の壁面に張り付く巨大な昆虫の姿も見える。窓の傍に張り付いている甲虫は、その窓よりも一回りか二周りはでかい。恐らく、空を飛んでいる連中もこの巨大昆虫たちの大きさに準じているのだろう。
百鬼夜行なんて言葉をトビィは聞いたことがあるが、恐らく目の前の光景を現すのに最適な言葉がこれなのだろう。たった一日で人外魔境と化してしまったフォルティス・グランダムを前にして、トビィは呆然とした呟きをこぼすことしか出来ない。
「なん……なの……これ……?」
「さあ。なぁんだろうなぁ?」
「―――」
不意に。トビィの肩に手が置かれた。
その唐突さに、トビィは一瞬心臓を止めかけ。
「まったく、愉快な光景だろう? あの勇者王国を、たった一日で制圧した物量がこれだ」
そして、今は思考が死亡しかけている。
トビィの背後に立ち、彼の肩に手をかけ、ゆっくりと語る男は、ニヤリと笑ったようだ。
「何にも勝る力は数だ。例え相手が百の力を持っていようとも、その百倍にあたいするだけに物量が用意できれば、このとおりという訳だ」
「―――」
「それで? そんな国に、お前さんはやって来たのか? それとも、帰ってきたのか?」
男は笑いながら、トビィの目線にあわせるように屈みこみ、そして顔を横から覗きこんでくる。
「どっちなんだ? んん?」
実に楽しそうに笑う男の言葉に、トビィは笑うことすら出来ない。
―――宵闇に眠る山を、魔物の勢力圏となった場所を、トビィが駆け抜けられるのはその身体能力ばかりが理由ではない。
彼の生まれた村は、農作を主な収入源としていたが、その稼ぎは決して潤沢なものとはいえなかった。故に、山野を駆け巡り、狩りや採取もあわせ、食い繋ぐ必要があった。
夜ばかりではなく、昼の山も当然危険に満ち溢れている。魔物は夜に活動する存在だが、例外も当然ある。油断すれば、死が待っているのが山の中というものだ。生物による脅威ばかりではない。雨が降れば地が滑り、風が吹けば体が投げ出される。山というものは一片たりとも同じ顔を持たず、常に変化を続けるもの。トビィに山の中を歩くすべを教えてくれた翁は、常にそう口にしていた。
故にその中を出歩く者には、危機感地能力というものを備える必要がある。山々の中を巡る万象に対し、常に目を向け、耳を傾け、五体を持って山を感じ、自らを死の淵から遠ざける力だ。
生来、臆病な性格であったトビィは、早期にこの力を身につけることができた。死とは恐怖の根源となる事象のひとつであり、人にとって最も忌避すべきものの一つである。臆病なトビィは、その恐怖を敏感に感じ取る能力を持っていたのだ。
夜の闇の中でも、恐怖におびえる自身に従い、危機を察知し、敏捷さを駆使して逃げうることを得意とするトビィ。彼は今、今まで感じたことのない恐怖を全身で感じていた。
(なん、だ、この人。とにかく、やばい……!!)
肩に置かれた手の感触。その愉悦に満ちた声色。背中で感じる、彼の存在感。こちらを覗きこんでくる瞳。
言い知れぬ恐怖という言葉があるが、トビィが感じている感覚はそんな言葉では収まらない。
何も理解できないが、とにかくやばいことだけが伝わってくる。
それは力の差なのか? あるいは思想の違いなのか? はたまた、信念……狂気に犯されている故なのか?
そうした相手に対する理解が及ばない……否、それを拒絶してしまうほどに、トビィの後ろに立つ男――ラウムは、やばい存在だと彼は感じた。
「んー? どうした?」
完全に固まってしまったトビィを見て、ラウムはわざとらしく不思議そうな声を上げる。
「まるで、死んじまったみてぇに固まって……そんなにおっかねぇのか、この光景が?」
目の前のスケルトンたちや、昆虫の姿を指し、ラウムは安心させるようにトビィの横顔を覗き込む。
「だぁいじょうぶだ、坊主。あいつら、見た目と違って案外優しいのさ。スケルトンたちは人間を殺さねぇように躾けられてるし、昆虫たちは監視用のがほとんどだ。オメェを襲ったりはしねぇよ」
ラウムはその顔からは想像もつかないほど、優しい声でトビィに語りかける。
「だから、な? 坊主。お前は安心して――」
トビィを安堵させるように、軽く肩を叩いてやろうとその掌をゆっくりと上げる。
ダン、と大きな音を立ててトビィの姿が消えたのはその時だ。
「―――」
いきなり消えたトビィの姿を探すように、ラウムが顔を上げると、住宅街の屋根を飛び跳ねて逃げるトビィの背中が見つかった。
ラウムは笑う。
「……安心して、逃げ回ればいい。そう言おうとしたんだがなぁ」
ゆっくりと立ち上がり、背中に吊っていたグレートアックスに手をかけた。
「意気がいい。決断が早い。逃げ足も抜群。いやぁ、いい獲物だなぁ」
期待通り……いや、期待以上の大物を発見した狩人のように目を輝かせながら、ラウムはトビィの背中を視線で追う。
「さあ、存分に逃げ回れ小僧……。俺の退屈を潰してくれよ?」
小さな呟きと共に、ラウムの姿が消え失せる。
そして上がったトビィの悲鳴が、死力を尽くした鬼ごっこの開幕となった。




